LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

気の利いた所

2006-09-30 | その他
スタッフと食事に行くときに、たまにこんな会話をする。
「食事どうしますか? 」
「うーん。気の利いたところがいいなぁ。」
「気の利いたところですか?...難しいですね...。」

多少傲慢さが残る発言かも知れないけれど、あえて「気の利いた所」と表現してしまう。

相手の要望を聞いて具現化したり実行したりするのは比較的容易だが、
その相手がなんとなく抱いているイメージや思いを具現化していくのは難しい。

実は、私たちの仕事にはこんなケースは多々あることだ。

リフォーム工事などで、お客様が抱いているイメージが、「こんなキッチンでこういう間取りでできたらいいなぁ。」
というように、ある程度、私たちとしてもお客様のイメージが掴み易い場合、さらなる提案を差し上げてひとつのものにしていく事が比較的容易にできる。

しかし、お客様が、リフォームして快適に暮らしたいけど、なんとなくぼんやりとしたイメージはあるものの、どうしたものか?
何社かPLANを依頼はしてみたが、なんかシックリこない。
こんなケースはどうだろう。

まさに気の利いた提案がそこに必要になるのだ。

勿論、そこには難しさはある。
お客様のライフスタイル・価値観・趣味・コスト等さまざまな事を加味していかなければならない。

あーそうだ。お客様宅にあった胡蝶蘭、そう言えば去年も咲いていたなぁ。
とか、
いつも床の間に一輪挿しが活けられているなぁ。
とか、
玄関の壁に掛けられているモチーフは、奥様の手作りなのだろうか。などなど

まずは、現在の事象から様々な事を連想していくのだ。
そして、お客様とのヒアリング。
的外れな質問はNo goodだ。
勿論、私たちリフォームグループのスタッフの面々はそつが無い。

確かな満足、心地よい空間を実現しているのは間違いない。

さてと、食事にするか。






へうげもの

2006-09-16 | 美の壺的解釈
織部焼かぁ。斬新的なスタイルと独特の緑。
実にインパクトがある器だ。

NHK「美の壷」では、ナレーターの安らぐような語りと共に織部焼を紹介していった。

緑に”けしき”を見る。
桃山時代、釉薬の生み出す色の変化を”けしき”といって陶芸の美を味わったそうだ。
織部焼は、釉薬に様々な木の灰を使い分け、変化に富んだ緑を生み出している。
うーん。確かに青磁などと違って、自然の変化が感じられ、なんとも味わい深いものがある。

織部焼の斬新なスタイル。そう、歪んだ器だ。
千利休の弟子、古田織部は、従来の茶器のもつイメージから新たな美意識を創造していった。
シンメトリーでないアンバランスの美をギリギリの線で品格を保ち表現していったのだ。
そういった意味で、”へうげもの”(ひょうげもの)なのだそうだ。

そう言えば、事務所の近くの陶器店にも織部焼が置いてあったなぁ。
展示テーブルには、確か魯山人織部複写と記載していたが、贋作でもそれなりに値が張っていたのを鮮明に覚えている。
その時も、こんなのが欲しいなぁ。と感じていたが、
ここに来て織部焼を紹介するなんて。
ちょっと危険だなぁ...。



関係の空気

2006-09-14 | その他
うーん。関係の空気かぁ。
面白い表現をするものだなぁ、と感じながらその本を手に取った。
「関係の空気」「場の空気」冷泉彰彦著 講談社現代新書

話し手と聞き手の間が、「関係の空気」で満たされるとき、日本語は高い伝達能力を発揮する。
また、「関係の空気」が日本語におけるコミュニケーションの重要な要素になっているとしている。

うーん。なんとなくイメージが分かるような気がする。
コミュニケーションがうまく行かない時などは、空気の欠乏状態を意味しているそうだ。
そういった中で、日本語の窒息が生じてしまうらしい。

空気は、長時間労働や小子化問題など、様々な事象を引き起こしてしまう。

そのような「空気」について興味ある方は、是非書店まで。

一年

2006-09-11 | lohas的情景
ブログ開設して一年目を迎えた。
掲載ペースは、平均すると3日に1回の投稿といったペースだ。
しかし、1年前の頃と比べると、最近の投稿ペースは遅いなぁ。
継続することの難しさを改めて感じる。

ちょうど一年前、筑波山に登った記事をブログ投稿していた。
一年は早いなと感じながら、再び筑波山に登った。
急勾配の直進路が暫く続き、大量の汗が湧き出てきたのを思い出す。
うん?今回はハイペースかと思いきや、頂上についた頃には暫く時間が経過していた。
途中、茶屋があったのでそこで休憩する予定だったが、いつの間にかその茶屋もなくなっていた。
以前あった茶屋から先は奇岩が続く。
しかし、こんな岩がどうして落ちてこないんだなどと思いながら、気を紛らわせている自分がいた。
現実を直視しながら、一歩一歩確実に前へ。

一年、様々な事が走馬灯のごとく思いを廻らす。

フジ子 フェミングとラ・カンパネラ

2006-09-04 | 音楽の調べ?
日曜日の午前中、TV番組の中でフジ子フェミングが、ラ・カンパネラを演奏していた。
フジ子フェミングの指先はとても繊細とは言えないし、勿論決して若くはない。
しかし、演奏を聴く限りでは、とてもパワフルで ラ・カンパネラのあの鐘の模倣した音色がとても印象的だった。

アナウンサーが、「激動の人生を歩んできた....。」云々とフジ子フェミングを紹介していたが、その時は何の事か分からなかった。
実は、フジ子フェミング 初めて聞いたピアニストだった。

フジ子フェミングが気になったので、その日の午後、図書館に行きフジ子フェミングのCDを探しに行った。
そのCDを今、改めて聞いている。
CDの中にフジ子フェミングのプロフィールが載っていた。
激動の人生・・・なる程意味が分かった。

彼女は幼い頃からピアノを習い、世界的なピアニストの夢を抱いていた。
16歳の時に右耳の聴力を失い、持ちえた才能を発揮できないままヨーロッパに渡る。
そして、世界デビューを果たそうとしたその直前に両耳の聴力を失ってしまう。
その後も波乱の人生を歩むことになる。

うーん。信じられない。
今このCDを聞く限りではそんなハンディキャップは感じられない。
(現在では左耳が40%の聴力だそうだ)
ハンディキャップを感じるどころかパワフルさを感じたのだ。

ラ・カンパネラ繰り返し聞いてみた。
彼女の激動の人生を彷彿させるかのごとく、鐘の音はパワフルで繊細な響きとともに流れていった。