LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

サンピエール教会とル・コルビュジェ

2007-08-28 | 建築と文化
ル・コルビュジェ最後の作品【サンピエール教会】は、ル・コルビュジェ没後40年、昨年竣工した。

サンピエール教会は、基礎部分の工事後20年間放置されていたそうだ。
地盤問題、建設費高騰、資金削減などで、コルビュジェの思いを残したまま時が過ぎ去っていたのだ。
ル・コルビュジェの作品を世界遺産にしようとする動きがある中、巨匠の未完成の作品をそのまま放置する事は、文化そのものの放棄に繋がっていたのかも知れない。

サンピエール教会は、まさに光の教会だ。
造形深いコンクリート打ち放しの壁から、複数の印象的な光が注ぎ込む。
実際に行った訳ではないが、ル・コルビュジェの意図した思いは分かるような気がする。

光の教会・コンクリート打ち放しと言うと安藤忠雄を連想するが、いずれにしても両者のコンクリートに秘めた思いや可能性を感じざるを得ない...。

縁側

2007-08-28 | 建築と文化
縁側のイメージ。
どのような生活シーンを想像するだろうか?

夏、西瓜を縁側で食べた記憶。
チャンバラごっこで、風呂敷をマントにして縁側より飛び降りた記憶。

空間を演出するのも私たちの仕事。
生活シーンが見えてくるような提案...。
LOHASな雰囲気も大切にしたい。



アントニン・レーモンドとコルビュジェ

2007-08-26 | 建築と文化
今朝の朝日新聞be on Sunday に、奇想遺産として群馬音楽センターが掲載されていた。

群馬音楽センターは、建築家アントニン・レーモンドの作品だ。
鉄筋コンクリートの薄い板を折って繋いだ様な構造で、折板構造と呼ばれている。
この設計に関して、アントニン・レーモンドは3つの原則を打ち出していた。
一つは、無駄のない長寿命建築物にする事
二つは、舞台と客席の一体化
三つ目は、敷地環境に配慮し建物の高さを押さえる事
だったそうだ。

実際に私はこの建築物を見たことが無いが、当時としてはかなり斬新的なものであったのは間違いない。

記事には、世界のコルビュジェと日本のレーモンドの関係を取り上げていた。
二人の間には、戦前から構造と造形に関わる緊張の糸が張っていた。
打ち放しコンクリートは、レーモンドはコルビュジェより早く実現しているが、造形面では遅れをとっていた。

戦後、コルビュジェは国立西洋美術館を建て、その2年後にレーモンドの群馬音楽センターが姿を現す。
コルビュジェの作品には出てこない、コンクリート打ち放しの折板構造での表現。
コルビュジェを意識したのかどうか定かではないが、世界に向けて発信された建築物であることは私でも容易に想像できた...。



小間の茶室

2007-08-25 | lohas的情景
4畳半より狭い空間の茶室を小間と言っている。
それそり広いものは広間と言う。

茶室と言えば、やはり小間を思い浮かべる。
小間での茶の湯の点前は、もてなしの極致とされ、小生も小間での茶の湯に憧れる。

躙口(nijiriguchi)より入り、床の掛け軸に目を追いやる。
本来なら狭い空間なはずなのだが、そこには無限の空間を感じさせる。
非日常的な振る舞いが、新鮮さと高貴さを与え、まさにわびさびの世界を醸し出す。

そのような情景に憧れる今日この頃...。

精進料理の中から

2007-08-18 | 男の料理
「精進料理を暮らしの中で」・・藤井宗哲 NHK出版

精進料理とは?との問いに筆者は、
「殺生をしない」という事と説いている。
殺生をしないという事は、単たる野菜だけの料理ということではなくて、
その素材、持ち味をとことん生かし切るということだそうだ。

けんちん汁(漢字では建長汁と書く)は、鎌倉建長寺が発祥の地だそうだ。
そのけんちん汁は精進料理でも王道を行くものと記してあって、小生が抱いていた精進料理のイメージよりもっと身近なものだった。

著書には精進料理のレシピ集が、朝食・昼食・夕食ごとに数点記載されていた。
レシピの終わりには筆者がコメントを残していた。

朝食(朝食は人生のはじまり)
昼食(人と出会う昼食)
夕食(夕食がこころをおさめる)

特に、昼食時のコメントは身に沁みる。
・・昼食は、ただかき込むのではなく、ゆったりと、人との会話を大切にしながらいただきたいものである。
勤め人なら、同僚たちと憩いながら食べるのもいいだろう。
同僚たちのものの見方、考え方などを聞きながら、
または、趣味や家族のことなどを聞きながら、
彼らの暮らしに思いをはせて食べるのは楽しいものである。・・

・・休日などは、たまには外で家族といっしょに昼食をとってみてはどうだろう。
といっても外食ではなく、お弁当を持って野外で食べるのだ。
今の時代に失われている家族の団欒、それは、家族が一緒に食事をすることから取り戻すしかないのではないだろうか。・・・

うーん、段取りとスピードをモットーとしている小生としては、多少?改善の余地ありか...??