LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

PM7:15の紫峰

2007-05-27 | lohas的情景
PM7:15 常磐道下り斜線、土浦付近。
西の空に紫峰がくっきりと浮かび上がっていた。
太陽は既に沈んでいたが、西の空はまだ日中の余韻を残している。
筑波山と西空のコントラストが見事だ。

日中は晴れていたが、夕方風が強くなると共に曇天模様となったようだ。
夜空を見上げたが星はない。

車窓に飛び込んでくる風景と共に今日一日を振り返っていた...。


ミズバショウ

2007-05-11 | lohas的情景
初めてミズバショウを見た時には、実は驚いた。
「はるかな尾瀬、遠い空...。」
ミズバショウは可憐に咲く湿原の花というイメージがあったが、
あまりにも大きく育つ事を知らなかった小生は、
思わず、Oh my god!!
そんな事をこの写真を撮りながら思い出していた。
もっともここは尾瀬ではないが...。

抱いているイメージと現実とのギャップ、
そんな時って結構ありますよね。


日本人の原風景~竹内敏信

2007-05-10 | 美の壺的解釈
小生の熱しやすく冷めやすい性格で、先日久しぶりに写真撮影に取組んだ。
取組んだというより、たまたま出かけた時に一眼レフを持っていっただけなのだが。
フレーミングは難しい。
数回に渡ってブログ投稿している写真もいま一つ冴えない。
普段何気なく視界に入ってくる風景も、いざ撮影するとなるとどう捉えていいのか分からない。

風景写真家に竹内敏信がいる。
日本人の原風景を求めることに主眼を置き、様々な角度から自然を捉えている写真家だ。

竹内敏信は、名も無き森や草原や海辺の風景に、美の極みを見出だそうとしているのだ。
そのためには、光や影、フォルムの一瞬の微細な変化を見逃さない神経の集中と、カメラ操作の技術が必要とされる。
 ~「ジャパニーズフォトグラファーズ」
 飯沢耕太郎 白水社より

その一瞬とは、撮りたいと思う自らの願望と、そのとき自然が見せてくれたきらめきとの接点である。
自然との対話とは、こういう事をいうのであろうか。
相対する自然と自分が極限状態になると、まるで火花が散るような興奮がある。
その一瞬をギリギリのフレーミィングでうけとめる。
見えないものを見、聞こえるはずもない声を聞くのごとく、なのである。
~「日本人の原風景を求めて」竹内敏信

本を読む限りではなるほど理解できるが、いざ自分で撮影するとなるとこうはいかない。

建築現場の完成写真の撮影に同行する時もあるが、
そいうった時プロカメラマンとの感覚の相違に気づく。

何を表現したいのか?
何をメッセージとして残したいのか?

これは、写真に限ったことではない、と実感する今日この頃である。

シロヤシオ

2007-05-09 | lohas的情景
シロヤシオ(別名 五葉ツツジ)は、愛子様のお印として有名な花だそうだ。
ネットで検索して初めて知った。

この風景は、水戸近隣では見られないよなぁ。
それとも気づかないだけなのか。

ここまで来るのに、水戸から車で2時間半といったところか。

小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ

2007-05-07 | 音楽の調べ?
小澤征爾の魅力について、
「サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く」~小学館
の著者である一志治夫がこう語っていた。

小澤征爾は、一言で言えば「気」が違うのだ。
それがどんな人とも異なる。
張りつめている空気、高みに向かって駆け上がろうとする気、本質をつかもうとする気だ。
何に対しても臆することなくぶつかっていき、本質のみを知ろうとする本能。
小澤の身体からは、ときに何か野生のにおいすら感じる。
その一方で、とてつもなく繊細で、研ぎ澄まされた美意識を持っている。
そういった事が小澤征爾の魅力だと言っている。

小澤征爾は水戸室内管弦楽団の顧問をし、水戸芸術館での公演も行っているので以前から興味があった。
興味本位で本を読んでいると、オーケストラの事は良く分からないが、小澤征爾が多少なりとも理解できたような気がした。
2005年末から体調を崩し入院し暫く療養していたが、2006年7月に国内の活動に復帰し、さらに今年4月末からウィーン国立歌劇場に復帰したと先日のニュースで取り上げていた。
71歳だそうだ。

繊細さと高みに向かって駆け上がろうとする気。

これは、音楽業界に限ったことではない...。

ソース、何にかける?

2007-05-06 | 男の料理
日経プラス1に、ソースに関する記事が載っていた。
ソースの種類もほんと良くあるなぁ、と感じながらも、
小生、ランキングされていたソースはほとんど知らなかった。
もっとも、10位までにランキングされていたソースの8種類が西日本製のものだそうだ。
お好み焼き文化の違いなのか?

気になった記事は、「ソース、何にかける?」と題してあった欄だ。
こんな事があって良いのかと思うぐらい小生にとっては目からうろこだった。

記事を抜粋してみると...
空腹の時に、自らのご飯にかける。おいしい。(30代女性)
トマトにかけるといい。(60代女性)
天ぷらには、やはりソース(40代男性)
夫が肉まんにかけるのを知り、以来肉まんに添えている(40代女性)
...等々。
うーん、魯山人も真っ青といった感じだ。

人によっては当たり前の事であっても、個人によっては必ずしも当たり前ではない。
こんな事を明確に物語っているようだった。

食文化に限らず、人の価値観は様々なのだ。
ソース一つとっても、その本人の育った環境・地域性・食生活などによって
味覚も好みも変わってくる。
それを個人の感覚で否定する事はできない。

幅広く受け止めることができるよう、あらゆるものに関して好奇心旺盛でありたいと思う今日この頃だ。





茶事・・感動

2007-05-02 | 美の壺的解釈
今日はとても感激した一日だった。
先日増改築現場の引渡しを終えたお施主様より茶事に招待された。
スタッフ4人でお伺いさせていただいたが、茶事は全員が初体験。
茶碗を数回廻してからお茶を飲み干す事ぐらいは知っていたが、
皆、緊張した面持ちで茶事に望んだ。

玄関に入ると一気に茶事の雰囲気が伝わる。
着物姿で迎えてくれた亭主。
単に濃茶を飲むためのものでは無い事は容易に想像できた。
玄関の生花も素晴らしい。流派を超えた美が感じられる。

(ちなみに本来の茶事では亭主は出迎えない。
そのため亭主は玄関を少し開けて置く。それが、いつでも茶事が行えるという合図なのだ。)

お施主様は表千家の先生で、勝手の分からない私たちに何でも教えてくれた。
本当にありがたい事だ。
今回は、略式なので...。と亭主が言ったが、とんでもない。
貴重な茶器でお茶を振舞われたり、その解説をして頂いたりと私たちにとっては至れり尽くせりの世界だった。

濃茶の席に掛軸があった。
書の心得の無い私にとっては、何と書いてあるのか分からなかった。
このような時、はたして聞いて良いものやら?と思っていたが、
ここは勉強と思い、尋ねてみた。

青松多寿色・・・seishou jyushoku ooshi
松は一年を通してもまた年月を重ねても青々とし、色あせることのないその姿は、いつも変わることのない永遠の心を象徴している。
読み方だけでなく、掛軸の意味まで教えていただいた。

常に輝き続けてください。
そんな亭主のメッセージを感じ取りながらお施主様宅を後にした。

本当にありがとうございました。

建築家のメモ

2007-05-01 | 建築と文化
今、「建築家のメモ」~日本建築家協会を読んでいる。
読むというより感じ取っていると言った方が近いかもしれない。

建築家100人のメモとコメントがそれぞれ見開きで掲載してある。
そこに隈研吾のコメントがあった。

スケッチの最も大事な事は、自分の描いた線にうっとりしない事である。
白い紙の上に、自分の気に入った筆記用具で線をひけば、
どんな形を描こうが結果としては、美しいものができるに決まっている。
だから、みなそれにうっとりしてしまって、自分が決定する形というものに対する反省がなくなり、
肝心の建築に対しても同様に評価が甘くなって気持ちが緩み、とりかえしがつかない失敗を繰り返すのである。

隈氏の意見に賛成だ。
スケッチだけではなく、プレゼンも同様だと思う。
最近はやりのCGにしてもそうだ。
最新技術を駆使しても、プレゼンテクニックを最大限使ったとしても
自己満足で終わってしまっていては何にもならない。
結果、押し付けがましいものになってしまったりするのだ。

スケッチにしてもプレゼンにしても、我々とクライアントとのベクトルを
より良い方向に導くためのものでありたい。
改めてそう感じた。