LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

納豆論議2

2006-07-31 | 男の料理
以前、納豆論議についてブログ投稿したが、どうやらその結論が出たようだ。

その時の論議内容は、納豆を混ぜる前にタレやマスタードを入れるか、それとも混ぜた後にタレやマスタードを入れるかどうか?という事だった。
結論は出せなかったが、混ぜた後にマスタードやタレを入れた方が風味がでるというな締めくくりだったと思う。

昨日、TV番組で同様の問題提起があり、検証していったようだっだ。
と言うのも、小生、その時間、愛車(マウンテンバイク)に乗り、近隣徘徊していたためにそのTVを見られなかったのだ。
妻から聞いた話である。

検証の結果は、良く混ぜると納豆菌が増殖され、タレなどは後から入れた方が良いとの事だった。
よく言えば、納豆を良く混ぜた後、暫く置いておいた方が納豆菌が増殖されるらしい。
うーん。しかし、朝の忙しい時に暫く置いておく事はできないよなぁ。


納豆について、魯山人も「魯山人味道」中公文庫でこう発言している。

納豆の練り方がまずいと、納豆の味が出ない。
納豆を器に出して、それになにも加えないで、そのまま、二本の箸でよく練り混ぜる。
そうすると、納豆の糸が多くなる。
蓮から出る糸のようなものが増えてきて、硬くて練りにくくなって来る。
この糸を出せば出すほど納豆は美味くなるのであるから、不精をしないで、
また、手間を惜しまず、極力練り返すべきである。
かたく練り上げたら、醤油を数的落としてまた練るのである。
また醤油数的落として練る。
要するにほんの少しづつ醤油をかけては、練ることを繰り返し、
糸のすがたがなくなってどろどろになった納豆に、辛子を入れてよく攪拌する。
納豆はこうして食べるべきものである。
最初から醤油を入れて練るようなやり方は、下手なやり方である。

うーん。魯山人も納豆を混ぜてからタレを入れていたんだなぁ。
それも徹底的に......。








アクアリウム

2006-07-24 | その他
実は、私は多趣味なほうだ。
昔からの好奇心旺盛な性格が、趣味の世界をどんどん広げてしまう。
まあ、そのため熱しやすく冷めやすいというのも変わってはいないが...。

昨年アクアリウムを始めた。
そう、熱帯魚である。
なんとなくオタクっぽいような気もしていたが、家内にも相談せず、幅60cmの水槽をドンとリビングに置いてしまっていた。

それ以来、悪戦苦闘の日々は続くことになる。
アクアリウムの熱帯魚が群れで泳ぐ姿は実に良いが、手入れは以外に手間がかかるのだ。
水槽の水交換も週一程度で必要だ。
以前、水槽のサーモスタットのスイッチを入れ忘れ、ヒーターで水槽の水がお湯になっていた事もあった。
エビが真っ赤な姿に変わっていたのは、昨年の冬の事だった。

様々な経験をしながら、今に至っている。
ラミーノーズテトラ10匹とコリドラスパンダ2匹、ヤマトヌマエビ2匹が混泳している。
水草にも、こだわりを持つ。
なんとか、イメージ通りの水槽になった。いや、なりつつある?

しかし、何事でも奥が深いものだとつくづく感じてしまう今日この頃だ。

喫茶文化

2006-07-17 | その他
密かに陶芸でも勉強しようと思っている。
製作は無理だろうが、鑑賞はできるようになりたいと思っている。
あの渋さが実に良い。

そう言えば、陶芸に関する本の中でこんな記述があった。
時代は1579年。
イエズス会宣教師が茶の文化をキリスト教布教に利用したが、茶の湯の味はとても飲めるものではないと言い、
茶道具の魅力がどこにあるのかも分からないとも言ってる。
その価値観の相違は、西洋と日本における茶道具の素材にも現れていった。
同じ中国からの喫茶の風習は、様々に多様化するのだ。
日本人は地味で見苦しい茶碗で茶を飲み、一方ヨーロッパでは、金銀の器や白磁や色絵の器で茶を飲む方向に発展する。

うーん。個人的にはどちらも良いなぁ。
陶芸の持つ渋さも良いし、マイセンやロイヤルコペンハーゲンなども味わい深いものがある。
一点豪華主義で、数脚のティーカップも集めた時期もあったぐらいだ。

著書では、日本人の茶の心入れに及ぶ。(名品茶碗の見方  矢部 良明著)
日本人の茶に対する心入れは、快適に茶を飲むことにあるのではなく、一見抵抗を覚える苦い茶をあえて見苦しい茶碗で飲み、
そこに精神の浄化を求めようとしている。
精神の支えなくして日本の茶碗は成立しなかった。
ここに日本文化の奥行きの深さがあり、ヨーロッパの人々の求める精神の有り様と大きな溝を感じざぜるを得ないと言っている。

茶碗を例にとって、なぜ日本においてかくも長い間、多様な創作活動を進めてきたかという問題の原点は、
即そのまま日本人の模索する、深い精神性を求めえてやまない文化活動として理解できるわけで、茶碗はまさに精神史の申し子なのであると説いている。

深い精神性を求めてのやまない文化活動かぁ。
あまりにも奥が深そうだ。
少しでも自分なりに模索しながら追求していってみたい.....。


雨・蒸気・スピード - グレートウェスタン鉄道

2006-07-09 | 美の壺的解釈
この季節、突然の土砂降りに見舞われることがある。
この間も、高速道路を走っていたら、土砂降りの轟音と共にワイパーが必死に動いている姿があった。
そう言えば、こんな感じの絵があったなぁと思いながらも家路を急いでいた。

ターナーの「雨・蒸気・スピード - グレートウェスタン鉄道」は、ひたすら激しい天候の中、猛スピードで走る蒸気機関車を描いたものだ。
風景画としては、あまりにも斬新的だ。
通常、風景画は、静的な描写が多い。
モネ等の印象派の作品も好きだが、こんなにスピード感を絵画の中で感じられるものはおそらくないだろう。
また、一瞬では見ただけでは分からない、野ウサギや川岸の人物描写も興味をそそる。

ターナーは、秘密のベールに包まれた画家だ。
偽名や住所不定で生活していたりと謎めいているらしい。
イギリスでは、ターナーを風景画の巨匠として位置付けられており、現在残されている多くの作品も風景画だそうだ。
しかし、ターナーは生涯に渡り、女性をかなり描いていたそうだ。
残念ながら、誰かの手によってそのほとんどを焼却されてしまったらしいのだ。

うーん。当時の社会では、ターナーの描く女性像は受け入れ難いものだったのだろう。
価値観・考え方は、当然人それぞれ異なるものだ。
しかし、その価値観を受け入れる時代背景や政治的背景によっては、周囲と同調してしまうことがあるようだ。
個性を貫くということは以外に難しいかもしれない。



神田川

2006-07-08 | lohas的情景
小山に向かう途中、カーラジオをつけた。
南こうせつが、小堺一機と昔話しをしている所だった。

三帖一間の小さな下宿、洗い髪が芯まで冷えた銭湯通い。
うーん、こんな光景今では見られないよなぁ。ましてや彼氏や彼女と行くなんて。
そんな事をラジオで話していた。


神田川は、途中に流れるヴァイオリンがやたら哀愁を帯びていて、実に良い。
一瞬にして、高校時代にフォークギターを猛練習していた頃の自分の思い出が蘇った。

もう30年も前の事だ。携帯電話もインターネットもない。
コンビニもない。
今のように、24時間瞬時にして、情報や物質が手に入る時代とは違う。
高度成長の波に乗っていたとは言え、今と比べれば明らかにスローな生活をしていた。

そう言えば、今度、吉田拓郎とかぐや姫の二万人ジョイントコンサートを開催するそうだ。
なんと、チケット発売後一時間で完売したとの事。

スローライフやLOHAS等、人々の価値観は確実に多様化している。
スピード時代の狭間に、安らぎや癒やしを求めるのは、自分だけでないだろう。
そんな中でのコンサート、大いに盛り上げてもらいたい。

そうだ、今日はオールド片手にギターでも弾くとするか...。

仮想水

2006-07-02 | その他
今朝の朝日新聞be on sundayに、仮想水に関する記事が載っていた。

仮想水とは?
日本は、肉にしても野菜にしても、穀物にしても、その多くを海外からの輸入している。
そうした食品をつくるために、当然ながら生産国では大量の水を使っている。
ちなみに牛丼一杯で、1.9トン(風呂桶10杯分)の水を必要とするそうだ。
そういった食料の輸入は、言い換えれば仮想的な水を輸入している事と等しい。食料に限らず、木材や工業製品なども同様だ。
仮想水はこういった考え方を意味している。

日本は、2000年時の仮想水の総輸入量は、640億立方m、世界一の輸入国だそうだ。
また、日本は実際に使用した総水量の73%の仮想水を輸入している。

be on sundayでは、水は高きから低きに流れるが、仮想水は金のある方に流れると締めくくっていた。

うーん。確かにそうかもしれないなぁ。


そう言えば、「ウォーターマネー」浜田 和幸著 光文社では、こんなことが述べられていた。

いま、世界は深刻な水不足にに陥っている。
イラクの戦後復興が泥沼化しているのも、水が不足していることにある。
中国では黄河が干上がり、アメリカでは五大湖の水位が落ち、アフリカでは砂漠化が進んでいる。

20世紀は石油の世紀だったが、21世紀は水の世紀である。
石油から水へ、戦略資源は大きく転換し、これからは水をめぐって戦争が起こる可能性が高い。
人類の暮らしも激変する。
この大転換を知らないのは、日本人だけである。

「ウォーターマネー」は、暫く前に出版されたものだが、改めて読み返してみた。
水に関する、利権争い・軍事作戦・政治工作・テロ問題など、確かに世界の中では実際、頻繁に発生しているのだ。
日本にいるとどうしてもそういった感覚に乏しくなるのも事実だ。
また、よく手にするミネラルウォーターなど、これからの課題も多いことに改めて気づかされる。

そんな事を感じた日曜の朝だった.....。