LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

フジ子・フェミング

2007-03-25 | 音楽の調べ?
私の歩んできた道は、困難に見えるかもしれない。
インタビューを受けて昔のことを聞かれたりする。
なかには思い出したくないこともある。
人間はなんのために生きるのかって考えるけれど、
人生はいろんな苦難を乗り超えていくためにあると思う。
なにもしないで、生きていくなんてダメ。

人に名を知られるようになって生活は変わったけれど、
私自身はなにも変わらない。
今も昔も嫌なことは嫌というし。
それで去っていく友達もいる。
嫌なところがあっても、お互い認め合うことが大事ね。
私自身も、昔はなにかあるとすぐ友達に絶交状を送りつけたこともあった。
もったいないことをしたと、今は思う。
トルストイの言葉、
「他人に対して、どうあるべきかを押し付けてはいけない」
をよく思い出す。
人間は身近な関係から、違うところを認めあっていかないといけないわね。

若いときはちょっとしたことでもしゃくにさわって、人を傷つけたりしたこともあった。
それで、夜も眠れないくらいに悩んだこともある。
でも、嫌なことを乗り越えていけばいいのよ。
淡々と空でも見て。
人間がそんな気持ちになれば、戦争も起こらなくなるでしょうに。
~「運命の力」フジ子フェミング著 TBSブリタニカより

フジ子フェミングのCDを改めて聞く。
ラカンパネラに代表される力強い響きは、彼女の人生そのもののようにさえ感じる。
間違ったって良いじゃない。機械じゃないのよ。
と言い切れるピアニスト。
そんな彼女の音楽が好きだ。

豆腐板|toufuita

2007-03-21 | 建築と文化
先日投稿したブログ「弘道館」の記事の中で、豆腐板なる記述をしていた。
建築に携る人でも聞きなれない言葉だと思い、
弘道館に行った時に撮影した画像があったので参考まで。

豆腐板は、画像の左奥に見える外縁隅部の正方形の板である。
縁側の板材の張り方には、建物に対して直角に板を敷く切目縁(kirime enn)と
建物に対して平行に長板を貼るくれ榑縁(kure enn)がある。

切目縁は、両側から均等幅の厚板を張ってくると、
コーナー部の納まりは45度にカットした板材を貼ることになる。
そこで、劣化や汚れを避けると共に隅部のディテールにこだわった豆腐板が貼られることになるのである。

普段目に留まらない所でも、以外にディテールにこだわった箇所があるものだ...。


水戸 弘道館

2007-03-19 | lohas的情景
水戸弘道館まで足を伸ばした。
と言っても、拙宅より10km程度の距離だが。
以外に近くにある名所や観光地は、何かのきっかけがないと行こうとしないのは小生だけであろうか?

昨年は、この季節雑多な日々を送っていたために、水戸に住んでいながらも梅の開花時期に偕楽園や千波公園の梅花を見ることが出来ずにいた。
今年も梅祭りが終焉に近づいているのが分かってはいたが、中々行けずにいた。

この季節のみ弘道館の正門が開けれている。
普段は通用門からしか入ることができないのだ。
初めて正門から弘道館内に入った。
警備員の方から、正門の柱の傷は、天狗党の乱の時に生じた鉄砲傷だと言われ、歴史の重みを改めて感じた。

正門奥の弘道館は、照り破風と全体の風貌が素晴らしい。
一間廊下の入側縁には畳が敷かれ、続き間の和室と外部との陰影に絶妙な空間美を構成している。

外縁は切目縁になっており、隅部先端は豆腐板が設けられている。
長年の間、風雨にさらされ自然に浮造りとなった厚板の小口が印象的だった。

外庭に出ると、遅咲きの梅花が枝垂れ状に咲き誇っていた。
一本一本品種が違うのにも驚かされる。
青空の下で、梅花を見上げた。
空の澄み切った青と梅花の純白が、ここ弘道館を際立たせていた。







数寄屋建築|数寄屋師

2007-03-18 | 建築と文化
我々建築の世界で、大工は社寺建築を手がける宮大工と、住宅建築を手がける町屋大工に区別される。
社寺建築の工法は一般建築とは異なった納め方をする場合があるので、
一般的には宮大工の方が技能が高いとされているが、実はそうでもないのだ。

町屋大工の中でも、数奇屋建築を主に手がけている職人がいる。
数奇屋建築の技術は、千利休が草庵の茶室を造るようになって発達していったものだ。

数奇屋建築を語るには、茶の湯の息吹が欠かせない。
茶の湯の心意気を理解するものでなければ、本格的な数奇屋建築は当然造れないだろう。
世間一般に言っている数奇屋建築は、数奇屋風建築のことであって、
本格的な数奇屋建築と出会うことは意外と少ないのだ。

数奇屋建築は、丸太や竹などの素材を自然形のままで利用するため、
施工精度がかなりのレベルで要求されてくる。
これは、大工に限ったことではない。
杮葺き職、網代職人、左官職人、簾職人など、その建築に携わる職人の高い技能がそれぞれの分野において必要とされる。
そう言った職人を数寄屋師と呼んでいた。
 ~「数寄屋師の世界」淡交社

しかし、それら職人の高い技術を単に露呈してしまっては、あまりにも短絡的であり、豪華絢爛な建物としてしか存在しないだろう。

茶事の終局の目が、
亭主は客の心を思いやり、客は亭主の心を推し量り、互いに真の心の交わりを楽しむ。
という事にもあるように、その建築そのものも、亭主の心を推し量ることができるようなものでなくてはならない。
さり気無さの中に、真髄が見えてくるようなものでなければならないのだ。

うーん、自分ではこうは言っているが、実際そのような現場をいかに納めていくかは、確かに難しい事だ。
一朝一夕では成就しないという事だけは間違いない。
まずは、日々向上心を持って望む事だろう...。

和菓子

2007-03-17 | 美の壺的解釈
昨日NHKで放映した「美の壺」では、和菓子を取り上げていた。
和菓子と言えば、小生、大福や桜餅・柏餅といったオーソドックスな発想しか浮かばないが、
ここで取り上げられたのは、どちらかと言うと茶事などで登場してくる和菓子だった。

しかし、実に興味深い。
和菓子にも鑑賞の壺があるとは...。

和菓子には、菓名がある。
菓名とは言っても、豆大福とか薄皮饅頭とか言ったものではない。
確かにそれも菓名かもしれないが、
たとえば、「初雪」「初ちぎり」等のように季節感や情景を想像させるような菓名だ。

その菓名を知って、その奥に潜む物語を堪能することに意義があるそうだ。
美の壺では、「初雪」を思い描いた和菓子を3人の職人がそれぞれ違った作風で作り上げていた。

初雪のイメージ...。
地域によってもその感覚は異なるだろう。
枝葉にそっと積もった雪、
ほんの一瞬地面が薄っすらと白くなりそして今にも溶け出しそうな雪、
雪の中の一輪の紅梅。

職人の思いもそれぞれだ。
そんな情景や季節感を感じ取る。まさに粋の世界だ。

何も考えず一口で食べてしまっていた和菓子、これは悔い改めなければならない..。

真実の軌跡

2007-03-08 | 音楽の調べ?
ふと立ち止まった所に、「フジ子・フェミング真実の軌跡」と題した書籍が書棚ケースの中に納められていた。
フジ子・フェミングに関して以前ブログ投稿をした事もあり、彼女の音楽やここまで辿ってきた道のりはある程度知っていた。
ショパンとリストを演奏するために生まれてきたピアニストと今では絶賛される彼女。
彼女の人生の軌跡は決して一言では語れない。

中でも衝撃的な事は、壮絶な日々を送りながらやっと事で掴んだ数少ないチャンスが悲劇的結末を迎えてしまう。
一度目は、カラヤンとの出会い。
二度目は、バーンスタインとの出会い。
特に、彼女の才能を絶賛し、後ろ盾を約束してくれたバーンスタインが、フジ子のリサイタルを設定してくれたにも関わらず、彼女の身に悲劇が起こってしまう。
折角のチャンス、こんな事があって良いのだろうかと誰もが感じる壮絶な出来事だ。

当時ウィーンにいたフジ子は、貧困の生活を余儀なくされ、ある未亡人の所に身を寄せていた。
マイナス10度を超える極寒の中、安普請の家に冷気が入り込み、そこで風邪をこじらせてしまった。
しかし、彼女には医者にかかるお金がなく、安いワインで体を温めているだけだった。
リサイタル1週間前に、彼女の耳は聞こえなくなってしまう。
音楽家に取って聴力は命だ。
誰にも聴力の事は言わないで無理矢理リサイタルを決行したフジ子の評判は、言うまでもないように酷評に終わってしまったのだ。

壮絶な人生の軌跡そのものが、一瞬にして彼女の脳裏に走り、絶望感と孤独感で人生の終焉を感じざぜるを得なかったと思う。

しかし、今は違う。
ラ・カンパネラのあの鐘の響きは、彼女自身の人生を物語っているようにも聞こえる...。








わくわく美術展

2007-03-02 | 美の壺的解釈
先日、県民文化センターで開催されている「わくわく美術展」に行ってきた。
義父の作品と会社OBの方の作品が展示されていると知ったので、敬意を表して見学に行ったのだ。

わくわく美術展は、シニア対象の美術展で県と社会福祉協議会が主催している。
アマチュアの作品なので...と会場に入る前は思っていたが、
なんと、とてもアマチュアの作品展とは思えない力作が多かったのに驚いた。

会場には、若者の姿は見えない。
皆、年配の方々だ。
茨城なまりの言葉で、あちこちから作品に対する批評が聞こえてくる。
僅かな段差につまづきよろけ警備員に思わず抱きかかえられていた老婆がいたが、
いつまでも絶えない向上心には感服する。

個人的には、洋画の「向日葵」、写真の部の「海霧」が印象に残った。