何の変哲もないこの道、久しぶりに通ってみた。
思えばあれからもう30年以上も経ってしまったのだ。
この辺は近くにコンビニが出来たぐらいであまり変わっていないような気がする。
高校一年の時、国鉄のストがあった日に(今では聞かない言葉だが)、
電車で通学していた私は、自宅から30Km 程離れている学校まで自転車で行こうとふと思いつき、そのまま行ってしまったのだ。
たいした授業をやるのでもなく、勿論勝手にそう感じているだけなのだが、何故か学校へと向かったのだ。
学校へ着いても当然登校する生徒は少なく、結局休校になってしまったような気がする。
弁当を10時頃食べる習慣が身に付いていた私は、いつものように早々と弁当を平らげ暫くして学校を後にした。
学校を出て途中軽快に走っていたが、10km程行った所で後輪がパンクしてしまった。
パンクを直そうにも道具は持ち歩いていない。
自転車屋に入って直してもらうなどという考えが浮かばなかったか、
近くに自転車屋がなかったか、手持ちのお金が無く自転車屋に入れなかったのかは
記憶は定かでない。
この写真の信号の所まで自転車を押してきた時に、「そうだヒッチハイクで帰ろう」と思いついた。
中学3年の時、NHKFMの日曜喫茶室で、中近東をヒッチハイクしながら旅してきた方が話しているのを興味持って聞いていた。
その頃から放浪とかバックパッカーとかに憧れていたのである。
ヒッチハイクは、親指を立てて、止まった車に乗せてもらうという事は分かっていたが、何しろ初めての事で勝手が分からない。
しかも、この自転車はいったいどうすればいいのだろうか。
ここに置いて帰る訳には行かない。
自分で言うのも何だが、その時は何故かとても気転が利いていたのだ。
とりあえず自転車を隠し、まずは身軽になろう。そう判断し、
ヒッチハイクスタイルの親指を立てずに、信号で止まったトラックに直接交渉してみる事にしたのだ。
どのくらい経過したのかは覚えていないが、チャンスはやって来た。
空荷のトラックが目の前で止まったのだ。
運転手に行き先を告げると「良いよ」という声を聞くや否や、
自転車を勝手に積み込み助手席に乗り込んでしまった。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
でも運転手は寡黙な方だった。
ただ黙っている。
私も黙っている。
ただ嬉しさの余り、自分の顔がほころんでんでいるのがはっきりと感じる。
抑えようとしても抑えきれない。
こんな経験は今までに無かった。
本当に嬉しかった。
そして暫く沈黙が続き、次に新たな展開が始まってしまったのだ。
中年風の運転手はタバコを吸いながら、「お兄ちゃん、その座布団もみ消してくんねいか」と話しかけてきた。
助手席に敷いてあった座布団の上に座っていた私は、やたら跳ねるトラックの中でその座布団を取り出し、
言われたように座布団に少し穴が開いて汚れていた所を車の窓を開けて擦り付けるように落とし始めた。
うん?何やら座布団から煙が出始めたのだ。
まずい。段々と煙が強くなってきた...。
そうか、汚れを落とすのではなく、座布団に落ちたタバコの火を消してくれという事だったのか。
手間取っている私に見兼ねたのか、車を路肩に着け私から座布団を取り上げるや否や、
水溜りにそのまま突っ込んでしまった。
何とか消火活動は無事に終了した。
もみ消すどころか火をおこしてしまった愚かな自分がそこに居た。
運転手はただ黙っている。
運転手の顔色も伺えない程恐縮してしまった私は、ただ黙って前方を見ているだけだった...。
そしてまた走り続けた。
信じられない事に、今度は警棒をもった警察官が路肩に入るよう誘導しているのだ。
なんとスピード違反で捕まってしまったのだ。
私は運転手がパトカーの中に入っていくのを横目で見ただけで、ただひたすらジッとしているだけだった。
どのくらい経ったのだろう。
私には、非常に長い時間が経過したように感じた。
暫くして運転手はトラックに乗り込んできた。
ただ黙っている。
どんな表情をしているのか分からない。
いつも間にか車は発車していた。
私は先ほど以上に体を強張らせ前方を直視するだけだった。
何を話せばいいんだろうか?あやまった方がいいのだろうか?
スピード違反で私が誤るのも変だし、でも、座布団の火を消すのに時間をとられスピードを出していたとしたら...?
そんな事ばかりを考えていたが、ただただ時間が過ぎるだけだった。
初めてのヒッチハイクだったが余りも信じられないような出来事が続き、
運転手の顔をまともに見られず、
どのような方に乗せていただいたのか当時も印象に残らなかった事を記憶している。
ただ、自宅近くの交差点で降ろしてくれた時に、
「気いつけて帰れよ」と最後に言ってってくれた事は、本当に嬉しかった。
今でも鮮明に覚えている。
名前だけでも聞いて置けばよかったなぁと後悔するも、
心から感謝するという事を初めて感じたのもこの日だったのかも知れない...。
思えばあれからもう30年以上も経ってしまったのだ。
この辺は近くにコンビニが出来たぐらいであまり変わっていないような気がする。
高校一年の時、国鉄のストがあった日に(今では聞かない言葉だが)、
電車で通学していた私は、自宅から30Km 程離れている学校まで自転車で行こうとふと思いつき、そのまま行ってしまったのだ。
たいした授業をやるのでもなく、勿論勝手にそう感じているだけなのだが、何故か学校へと向かったのだ。
学校へ着いても当然登校する生徒は少なく、結局休校になってしまったような気がする。
弁当を10時頃食べる習慣が身に付いていた私は、いつものように早々と弁当を平らげ暫くして学校を後にした。
学校を出て途中軽快に走っていたが、10km程行った所で後輪がパンクしてしまった。
パンクを直そうにも道具は持ち歩いていない。
自転車屋に入って直してもらうなどという考えが浮かばなかったか、
近くに自転車屋がなかったか、手持ちのお金が無く自転車屋に入れなかったのかは
記憶は定かでない。
この写真の信号の所まで自転車を押してきた時に、「そうだヒッチハイクで帰ろう」と思いついた。
中学3年の時、NHKFMの日曜喫茶室で、中近東をヒッチハイクしながら旅してきた方が話しているのを興味持って聞いていた。
その頃から放浪とかバックパッカーとかに憧れていたのである。
ヒッチハイクは、親指を立てて、止まった車に乗せてもらうという事は分かっていたが、何しろ初めての事で勝手が分からない。
しかも、この自転車はいったいどうすればいいのだろうか。
ここに置いて帰る訳には行かない。
自分で言うのも何だが、その時は何故かとても気転が利いていたのだ。
とりあえず自転車を隠し、まずは身軽になろう。そう判断し、
ヒッチハイクスタイルの親指を立てずに、信号で止まったトラックに直接交渉してみる事にしたのだ。
どのくらい経過したのかは覚えていないが、チャンスはやって来た。
空荷のトラックが目の前で止まったのだ。
運転手に行き先を告げると「良いよ」という声を聞くや否や、
自転車を勝手に積み込み助手席に乗り込んでしまった。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
でも運転手は寡黙な方だった。
ただ黙っている。
私も黙っている。
ただ嬉しさの余り、自分の顔がほころんでんでいるのがはっきりと感じる。
抑えようとしても抑えきれない。
こんな経験は今までに無かった。
本当に嬉しかった。
そして暫く沈黙が続き、次に新たな展開が始まってしまったのだ。
中年風の運転手はタバコを吸いながら、「お兄ちゃん、その座布団もみ消してくんねいか」と話しかけてきた。
助手席に敷いてあった座布団の上に座っていた私は、やたら跳ねるトラックの中でその座布団を取り出し、
言われたように座布団に少し穴が開いて汚れていた所を車の窓を開けて擦り付けるように落とし始めた。
うん?何やら座布団から煙が出始めたのだ。
まずい。段々と煙が強くなってきた...。
そうか、汚れを落とすのではなく、座布団に落ちたタバコの火を消してくれという事だったのか。
手間取っている私に見兼ねたのか、車を路肩に着け私から座布団を取り上げるや否や、
水溜りにそのまま突っ込んでしまった。
何とか消火活動は無事に終了した。
もみ消すどころか火をおこしてしまった愚かな自分がそこに居た。
運転手はただ黙っている。
運転手の顔色も伺えない程恐縮してしまった私は、ただ黙って前方を見ているだけだった...。
そしてまた走り続けた。
信じられない事に、今度は警棒をもった警察官が路肩に入るよう誘導しているのだ。
なんとスピード違反で捕まってしまったのだ。
私は運転手がパトカーの中に入っていくのを横目で見ただけで、ただひたすらジッとしているだけだった。
どのくらい経ったのだろう。
私には、非常に長い時間が経過したように感じた。
暫くして運転手はトラックに乗り込んできた。
ただ黙っている。
どんな表情をしているのか分からない。
いつも間にか車は発車していた。
私は先ほど以上に体を強張らせ前方を直視するだけだった。
何を話せばいいんだろうか?あやまった方がいいのだろうか?
スピード違反で私が誤るのも変だし、でも、座布団の火を消すのに時間をとられスピードを出していたとしたら...?
そんな事ばかりを考えていたが、ただただ時間が過ぎるだけだった。
初めてのヒッチハイクだったが余りも信じられないような出来事が続き、
運転手の顔をまともに見られず、
どのような方に乗せていただいたのか当時も印象に残らなかった事を記憶している。
ただ、自宅近くの交差点で降ろしてくれた時に、
「気いつけて帰れよ」と最後に言ってってくれた事は、本当に嬉しかった。
今でも鮮明に覚えている。
名前だけでも聞いて置けばよかったなぁと後悔するも、
心から感謝するという事を初めて感じたのもこの日だったのかも知れない...。