LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

車窓にて

2006-11-28 | lohas的情景
雨上がりの桜並木は、濡れた樹木と橙に色づいた桜葉のコントラストが実に素晴らしい。
どんよりとした寒空からの雨も、このような情景をかもし出すのであれば、雨の存在価値を高めることができる。
暫く車を走らせ、近代美術館まで来ると、イチョウが黄色の絨毯を敷き詰めていた。

おっ、太陽が出てきたな。

魚河岸のマグロ

2006-11-27 | lohas的情景
今朝の朝日新聞の一面に、本マグロ枠段階削減の記事が掲載されていた。
地中海沖でのクロマグロの漁獲枠が4年で20%削減されるというものだ。

うーん、日本人が食べるクロマグロの約60%が地中海産と言うから、これは驚きだ。
朝日新聞社も、本社を築地に構えているためかどいうかは知らないが、トップ記事でその事を扱っていた。

マグロ、実は少し研究していた。
「魚河岸マグロ経済学」上田武司著 集英社新書
なる本を読んでいた。

そこでは大間のマグロに始まり、回転すしやスーパーのマグロまで言及している。
地中海のクロマグロも勿論取り上げていた。
クロマグロは海のダイヤモンドとも言われ巨大ビジネスに発展しているそうだ。
地中海一帯のマグロを一手に押さえているマフィアのドンの所に、
大手商社、水産会社、一般企業、独立系一匹狼などがひしめき合う。

買い付けた後は、航空会社がマグロビジネスに巻き込まれる。
冷凍マグロの場合は一般的に船便だが、生マグロは空輸だ。
ジャンボマグロと言われるらしい。
そう、ジャンボジェット機のジャンボだ。
当然到着するのは、築地でなく成田になる。成田には、大手商社が買い付けるための市場まであるそうだ。

クロマグロは食したことはあるが、さすがに大間のクロマグロまでは食した事がないよなぁ。たぶん。
そうなると地中海産と考えてほぼ間違いないようだ。

マグロが高騰しない事を願うのは小生ばかりではないだろう...。





捨て去られてきたもの

2006-11-24 | 建築と文化
私は表層的な快適さの追及だけでなく、
経済の急成長に伴って捨て去られてきたもの

―自然との本質的なかかわり、素材との直接的な対話、
 生活空間の中における住む人を触発し得る小さな発見や驚き、
 簡素な生活の内に得る工夫の楽しみや美意識など―

を、ひとつひとつ拾い上げ問い直し、
人間の住居から本当に削り取り、
消し去ることができないものだけを
追い求めてゆきたい。

 ~安藤 忠雄《挑発する箱》 日本の建築家編集部より


安藤忠雄は、昭和61年に発刊されたこの”挑発する箱”の中で、
高度成長の波と共に捨て去られてきたものを問いただしている。
我々は、それからさらにバブル期を経ている。
今の時代、それ以上に捨て去られてしまったものがあるのではないだろうか?

最近LOHASやスローライフといったものが一部の人々の間で注目されている。
それらは、現代社会の利便性を享受すると共に、どこか各々の生活におけるそういった原点を見いだそうとしているような気がする。

建築においても、モダニズム建築やポストモダニズム建築がもてはやされ、インフラとしての大きな使命を担っていたのは確かだ。
しかし、それら建築物は、建築物としての評価を得んばかりの作為性を感じてしまうのだ。

考えすぎだろうか?
建築がどうあるべきなのか、自分なりにもう一度見つめ直してみたい。







フォー

2006-11-21 | 男の料理
つくば店に行ったら、「フォー」なる食材をスープと共に持参してきたスタッフがいた。

フォー????春雨のような葛のような???
米でできた麺だそうだ。

ベトナムうどんと呼ばれるくらい、現地ではポピュラーな食べ物だそうだ。

スープはレトルト。なるほど、カップの中にフォーとレトルトのスープを入れてお湯を注ぐ。
インスタントにしてはかなりマニアックな感じだ。
うーん、もっと研究しなければ...。

ラフマニノフ 《鐘》

2006-11-20 | 音楽の調べ?
たまにはこんな音楽もいい。
取り出したのは、ラフマニノフの出世作:前奏曲嬰ハ短調Op.3-2《鐘》

あまりにも印象に残る。
重い連打によるメロディーが鐘を奏でる。

もしもピアノが弾けたなら、こんな一曲を深夜に思いっきり弾いてみたい。
そんな曲だ。




表現のリアリティ

2006-11-19 | 建築と文化
表現のリアリティとは常に生活に関わったもので、
その奥行きの深さに支えられていなければならないと思う。

あくまでも生活空間を基盤としつつ”詩”の高みを獲得したいと考えてきた。

詩人が言葉を選ぶように素材を選び、最も相応しい表現を与える。

建築の各部分は詩のフレーズのようにおのおの輝いて欲しい。

そして全体像に接するとき、
人をイメージの上ではるか遠くへ運ぶものであって欲しい。

   ~「安藤忠雄 挑発する箱」日本の建築家編集部より

うーん、確かにそうでありたい。
しかし、奥行きの深さかぁ。

言葉では表現できても、実際どうすればそれが叶うのか?
私たちの現場において、特にリフォーム現場になると、既存との融合も取り入れなくてはならない。
感性という言葉で解決するにはあまりにも安易すぎる。

クライアントの様々な価値観を通して期待し見うるものが、我々のそれでなくてはならない。
また、一方的な押し付けで提案側のみの自己満足に終わってしまっていては、
建築はたとえ完成したとしても、そこに単なる物質が存在するだけだ。

そう、我々は偉大な建築家を前にして、まず為すべきことがある。
我々の日々の感性力向上と共に、あらゆるテクスチャーの空間における可能性を探るたゆまない努力。
そして、クライアントとのさらなるコミュニケーション。

Now let's advance ahead.!



私という原型

2006-11-17 | 建築と文化
私が目指すに至ったコンクリートの表現は、
コルビジェに代表される粗粗しいそれではなく、
もっと繊細なものであった。
それは、私自身の感性から生まれてきたものであり、
現在は失われつつあるにしても、
日本に固有の美意識に裏づけされた生活を
その拠り所にしていたと思う。

これは、建築家安藤忠雄が「私という原型」の一節で語っている言葉だ。
【安藤忠雄 挑発する箱】日本の建築家編集部より

うーん、繊細さかぁ。
安藤忠雄は、コンクリートを用いた建築表現の可能性を徹底的に追求している。
また、光も空間を演出するための重要なファクターとして捉えている。
光の教会などは、まさにその典型なのだろう。

今、「安藤忠雄の現場・・光の教会」を読んでいる。
私も建築に携わっているせいか、内容がリアルに再現されていく。
安藤忠雄の世界に少しでも触れたい...。
そう感じた。

沢煮椀

2006-11-16 | 男の料理
かつおと昆布で一番出しを取り、粗塩とごく少量の薄口醤油を加える。
人参・ごぼう・長ネギ・しいたけは可能な限り極細の千切りにする。
薄刃包丁が必要だ。

だし汁を再沸騰させ、そこにそれらの食材を加える。
煮込むというより、熱湯に浸すという感じだ。
時間にして5秒ほど。
仕上がりに胡椒を椀にふる。

上品な香りが漂い、だしと素材の絶妙なバランスがそこにはある。
なんとも言えない味わいだ。
素材も確かな食感を与えている。

こんな一品を先日つくってみた。


くじらが潮を吹いていた

2006-11-15 | 美の壺的解釈
くじらが潮を吹いていた。
いったい何の事だろうと、思わずその題名の本を手に取った。
著者は、グラフィックデザイナーの佐藤 卓氏

「デザインの追及においては、単に販売するためだけのデザインだけではない。」
「人と人を繋ぐデザイン、コミュニケーションとは何なのか?」
佐藤氏はそんな観点からデザインしていくのだ。

うーん、なるほど....。
ページをめくるたびに、佐藤卓の思考がヒシヒシと伝わってくるようだ。

ロッテのクールミントガム、今と昔ではパッケージデザインが違うのご存知でした?
佐藤卓は、日常品等のデザインを手がけている超有名グラフィックデザイナーで、クールミントガムのリニューアルデザインも手がけたそうです。
ちなみに私は初めて知りましたが...。
他にも、「明治のおいしい牛乳」「キシリトールガム」「大正製薬ゼナ」「カネボウ ルージュ’90」など数多くの作品を送り出しているとの事です。
この方だったのか、という感じです。

クールミントガム、真っ先に浮かんでくるのはペンギンでしょうね。
そういえば、昔のガムのデザインは違っていた。
ペンギンが氷の上にたたずんでいるようなデザインだった。
佐藤卓は、デザインのリニューアルにおいて、当時のパッケージを見つめ直した。

ペンギンの後ろで、くじらが潮を吹いているのに気づく。
「この事を知っている人は、日本のどこかにいるのではないか」、という発想から、リニューアルした後に、そういった方々にも何かメッセージ残したいと考えていった。

クールミントガムのペンギン、良く見てください。
5匹並んでいますが、一匹だけ違うのわかりますか?
その動作にも実は意味が込められています。
(知りたい方は、コメント送付してください。)

デザインがコミュニケーションを生むのってやっぱり在るんだなぁ。
...などと感じながら本を読んでいた。

あれっ?
著書の帯封を何気なく見たら、水戸芸術館で「佐藤卓展」開催の案内が記載されているではないか。
水戸で暮らしていて、全く気が付かなかった。

灯台下暗しとはこの事か...。


大三角

2006-11-14 | 宇宙・環境・資源
夏の大三角が西の夜空に移ると共に、秋の静寂さがより一層深まる。
日中、都会の雑踏の中にいても、ここでは一歩戸外に出ると別世界だ。

学生時代、天体などにまったく興味などなかった。
今、こうして星空を眺め、古の人々と同じ星空が眼下に迫っていると思うと感慨深いものがある。
宇宙の歴史を考えれば、古代人との時間差など皆無に等しい。

星空さえ壮大な物語をつくりだす古代人の創造力。

そんな事をふと思いながら、しばし夜空を見上げていた。