2011. 10/29 1019
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(80)
「さらなることなれば、にくげならむやは。ゆゆしきまで白くうつくしくて、たかやかに物がたりし、うち笑ひなどし給ふ顔を見るに、わがものにて見まほしくうらやましきも、世の思ひ離れがたくなりぬるにやあらむ」
――(この若君は)お美しい御両親の御子でいらっしゃればこそ、どうして可愛らしくないことがありましょうか。恐ろしいまでに色白で美しく、声高に何かものを言ったり笑ったりなさるお顔をご覧になりますにつけ、薫は、これがわが子であったならと、羨ましくもお思いになるのは、やはり仏の道ではなく、この世に未練をお持ちになったということでしょうか――
「されど、いふかひなくなり給ひし人の、世の常のありさまにて、かやうならむ人をも、とどめ置き給へらましかば、とのみ覚えて、このごろおもだたしげなる御あたりに、いつしかなどは思ひよられぬこそ、あまりすべなき君の御心なめれ」
――それにしても、はかなく逝ってしまわれた大君が、世間並みに自分の妻となり、せめてこのような子供でも遺しておいてくださったならば、と、そんな風にばかりお考えになって、先頃、晴れがましく結婚なさった女二の宮に、いつか御子が生まれればうれしいのになどとは一向にお思いにならないのは、あまりにどうしようもない薫のお心というものですこと――
「かく女々しくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。しかわろびかたほならむ人を、帝のとりわき切に近づけて、睦び給ふべきにもあらじものを、まことしき方ざまの御心おきてなどこそは、めやすくものし給ひけめ、とぞおしはかるべき」
――(一方で)このように薫を女々しくひねくれて描写するのは、ちょっとお気の毒ではあります。そのように体裁悪い人を、帝が選りに選って婿君にお召しになる筈もないと思いますと、政治向きの手腕などは相当なものであったろうと想像されますね――
「げにいとかく幼き程を見せ給へるもあはれなれば、例よりは物語などこまやかにきこえ給ふほどに、暮れぬれば、心やすく夜をだにふかすまじきを、苦しう覚ゆれば、歎く歎く出で給ひぬ」
――(薫は)中の君が、いたいけな若君のお姿を、こうしてわざわざお見せくださったのもあはれ深く、いつもより細々とお話なさっているうちに、日もすっかり暮れてしまいましたので、こちらにくつろいで夜を更かすわけにもいきませんのをお辛くお思いになって、
嘆息しながらお帰りになりました――
「『をかしの人の御にほひや。折りつれば、とかやいふやうに、うぐひすもたづね来ぬべかめり』など、わづらはしがる若き人もあり」
――(侍女の中には)「まあ、いい匂いを残して行かれましたこと。折りつれば、の歌のように、鶯も訪ねてきそうですこと」と、この匂いを厄介がる者もいます――
◆折りつれば=古今集「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯の鳴く」
では10/31に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(80)
「さらなることなれば、にくげならむやは。ゆゆしきまで白くうつくしくて、たかやかに物がたりし、うち笑ひなどし給ふ顔を見るに、わがものにて見まほしくうらやましきも、世の思ひ離れがたくなりぬるにやあらむ」
――(この若君は)お美しい御両親の御子でいらっしゃればこそ、どうして可愛らしくないことがありましょうか。恐ろしいまでに色白で美しく、声高に何かものを言ったり笑ったりなさるお顔をご覧になりますにつけ、薫は、これがわが子であったならと、羨ましくもお思いになるのは、やはり仏の道ではなく、この世に未練をお持ちになったということでしょうか――
「されど、いふかひなくなり給ひし人の、世の常のありさまにて、かやうならむ人をも、とどめ置き給へらましかば、とのみ覚えて、このごろおもだたしげなる御あたりに、いつしかなどは思ひよられぬこそ、あまりすべなき君の御心なめれ」
――それにしても、はかなく逝ってしまわれた大君が、世間並みに自分の妻となり、せめてこのような子供でも遺しておいてくださったならば、と、そんな風にばかりお考えになって、先頃、晴れがましく結婚なさった女二の宮に、いつか御子が生まれればうれしいのになどとは一向にお思いにならないのは、あまりにどうしようもない薫のお心というものですこと――
「かく女々しくねぢけて、まねびなすこそいとほしけれ。しかわろびかたほならむ人を、帝のとりわき切に近づけて、睦び給ふべきにもあらじものを、まことしき方ざまの御心おきてなどこそは、めやすくものし給ひけめ、とぞおしはかるべき」
――(一方で)このように薫を女々しくひねくれて描写するのは、ちょっとお気の毒ではあります。そのように体裁悪い人を、帝が選りに選って婿君にお召しになる筈もないと思いますと、政治向きの手腕などは相当なものであったろうと想像されますね――
「げにいとかく幼き程を見せ給へるもあはれなれば、例よりは物語などこまやかにきこえ給ふほどに、暮れぬれば、心やすく夜をだにふかすまじきを、苦しう覚ゆれば、歎く歎く出で給ひぬ」
――(薫は)中の君が、いたいけな若君のお姿を、こうしてわざわざお見せくださったのもあはれ深く、いつもより細々とお話なさっているうちに、日もすっかり暮れてしまいましたので、こちらにくつろいで夜を更かすわけにもいきませんのをお辛くお思いになって、
嘆息しながらお帰りになりました――
「『をかしの人の御にほひや。折りつれば、とかやいふやうに、うぐひすもたづね来ぬべかめり』など、わづらはしがる若き人もあり」
――(侍女の中には)「まあ、いい匂いを残して行かれましたこと。折りつれば、の歌のように、鶯も訪ねてきそうですこと」と、この匂いを厄介がる者もいます――
◆折りつれば=古今集「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯の鳴く」
では10/31に。