蜻蛉日記 上巻 (4) 2015.3.28
「秋つかたになりにけり。添へたる文に、『さかしらついたるやうに見えつる憂さになん、念じつれど、いかなるにかあらん、<鹿の音もきこえぬ里に住みながらあやしくあはぬ目をもみるかな>』とある返りごと。
――そして秋になりました。兼家からの文に添えて「あなたの強情さには困っているが、どうしたものだろう。(兼家歌)「鹿の声も聞こえぬ都にいながら、不思議に目が合わない(眠れない)いや、あなたに合えない目にあうことだ」とありましたのに、返事として――
「『<高砂のをのへのわたり住まふともしかさめねべき目とはきかぬを>げにあやしのことや』とばかりなん。」
――「(道綱母の歌)『高砂の山に住んでも、そのように目が覚めるとは聞いていませんが』本当に不思議ですね」とだけ書いてやりました。――
「又、ほどへて、<逢坂の関やなになり近けれど越えわびぬれば嘆きてぞふる>
かへし、
<越えわぶる逢坂よりも音にきく勿来をかたき関としらなん> などいふ。」
――またしばらくして、(兼家歌)「逢坂の関なんて何でしょう。近いのに関を越えて逢えぬとは、私は嘆き暮しています」とあって、返事は(道綱母の歌)「あなたが越えられぬ逢坂の関よりも噂に高い勿来の関の方が守りが堅いとか。私をそのようにお考えください」などと書きました。――
■(歌)鹿の音も…=(古今集「)山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」を下敷きに。
■「高砂」=播磨の枕詞で鹿の名所
■この日記の作者は子供の名前、道綱により「道綱母」と表記されます。
■日記とはいえ、始めの方は歌物語のような展開になっています。作者は歌の方でも優れていたそうで、兼家もそこに惹かれたのではないでしょうか。
■当時の求婚は、人を介して歌のやりとりからはじまります。女性はすぐに靡くそぶりをみせず、始めは断りからいくのが奥ゆかしいとされていました。
「秋つかたになりにけり。添へたる文に、『さかしらついたるやうに見えつる憂さになん、念じつれど、いかなるにかあらん、<鹿の音もきこえぬ里に住みながらあやしくあはぬ目をもみるかな>』とある返りごと。
――そして秋になりました。兼家からの文に添えて「あなたの強情さには困っているが、どうしたものだろう。(兼家歌)「鹿の声も聞こえぬ都にいながら、不思議に目が合わない(眠れない)いや、あなたに合えない目にあうことだ」とありましたのに、返事として――
「『<高砂のをのへのわたり住まふともしかさめねべき目とはきかぬを>げにあやしのことや』とばかりなん。」
――「(道綱母の歌)『高砂の山に住んでも、そのように目が覚めるとは聞いていませんが』本当に不思議ですね」とだけ書いてやりました。――
「又、ほどへて、<逢坂の関やなになり近けれど越えわびぬれば嘆きてぞふる>
かへし、
<越えわぶる逢坂よりも音にきく勿来をかたき関としらなん> などいふ。」
――またしばらくして、(兼家歌)「逢坂の関なんて何でしょう。近いのに関を越えて逢えぬとは、私は嘆き暮しています」とあって、返事は(道綱母の歌)「あなたが越えられぬ逢坂の関よりも噂に高い勿来の関の方が守りが堅いとか。私をそのようにお考えください」などと書きました。――
■(歌)鹿の音も…=(古今集「)山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」を下敷きに。
■「高砂」=播磨の枕詞で鹿の名所
■この日記の作者は子供の名前、道綱により「道綱母」と表記されます。
■日記とはいえ、始めの方は歌物語のような展開になっています。作者は歌の方でも優れていたそうで、兼家もそこに惹かれたのではないでしょうか。
■当時の求婚は、人を介して歌のやりとりからはじまります。女性はすぐに靡くそぶりをみせず、始めは断りからいくのが奥ゆかしいとされていました。