蜻蛉日記 上巻 (60) 2015.8.7
「かかる世に、中将にや三位にやなど、よろこびをしきりたる人は、『ところどころなる、いとさはり繁ければあしきを、近うさりぬべき所いできたり』とて、渡して、乗り物なきほどにはひ渡るほどなれば、人は思ふやうなりと思ふべかめり。霜月なかのほどなり。しはすつごもりがたに、貞観殿の御方、この西なる方にまかで給へり。」
◆◆このような世の中で、中将になったり、三位になったりして、次から次へとめでたいことの重なる人(兼家)は、「離れ離れに住んでいるのは不都合が多いので、近くに手ごろな邸が見つかった」といって、私を移らせて、乗り物がなくてもすぐに来られるところなので、世間の人は(又は、兼家は)私の思いどおりになった、と思ったでしょうか。それは十一月の中旬ごろのことでした。十二月の末ごろに貞観殿さまが、この邸の西の対にさがっておいでになりました。◆◆
■兼家は十月七日に中将になり、従三位になったのは翌年安和元年十一月二十三日である。
先帝の縁故者は悲しみに沈んでいるが、新帝の関係者は昇任したり、明るい道を歩んでいる。
兼家もその一人で、出世街道を颯爽と進んで行く。多忙になるにつけ、時姫や作者を自邸の近
くの適当な家にそれぞれ住まわせた。
■貞観殿の御方(じょうがんでんのおんかた)=兼家の同母妹。(58)に詳細。
「かかる世に、中将にや三位にやなど、よろこびをしきりたる人は、『ところどころなる、いとさはり繁ければあしきを、近うさりぬべき所いできたり』とて、渡して、乗り物なきほどにはひ渡るほどなれば、人は思ふやうなりと思ふべかめり。霜月なかのほどなり。しはすつごもりがたに、貞観殿の御方、この西なる方にまかで給へり。」
◆◆このような世の中で、中将になったり、三位になったりして、次から次へとめでたいことの重なる人(兼家)は、「離れ離れに住んでいるのは不都合が多いので、近くに手ごろな邸が見つかった」といって、私を移らせて、乗り物がなくてもすぐに来られるところなので、世間の人は(又は、兼家は)私の思いどおりになった、と思ったでしょうか。それは十一月の中旬ごろのことでした。十二月の末ごろに貞観殿さまが、この邸の西の対にさがっておいでになりました。◆◆
■兼家は十月七日に中将になり、従三位になったのは翌年安和元年十一月二十三日である。
先帝の縁故者は悲しみに沈んでいるが、新帝の関係者は昇任したり、明るい道を歩んでいる。
兼家もその一人で、出世街道を颯爽と進んで行く。多忙になるにつけ、時姫や作者を自邸の近
くの適当な家にそれぞれ住まわせた。
■貞観殿の御方(じょうがんでんのおんかた)=兼家の同母妹。(58)に詳細。