蜻蛉日記 中卷 (132)その3 2016.6.24
「明けぬれば急ぎたちて行くに、にへのの池、泉川、はじめ見しには違はであるを見るも、あはれにのみおぼえたり。よろづにおぼゆることいとおほかれで、いと物さわがしくにぎははしきに紛れつつあり。ようたての森に車とどめて、破籠などものす。みな人の口むまげなり。春日へとて、宿院のいとむつかしげなるとどまりぬ。」
◆◆夜が明けたので急いで出立してゆくと、贄野(にえの)の池や泉川が最初に見たときと全く変わっていない様子であるのも感慨深いものでした。何かにつけてしみじみ思うことが多いけれど、まわりは騒がしくにぎやかで、それに紛れながら過ごして、ようたての森に車を止めてお弁当を食べます。皆美味しそうに食べています。春日神社にお参りするということで、とてもむさくるしい宿院に泊まりました。◆◆
「それよりたつほどに、雨風いみじく降りふぶく。三笠山をさして行くかひもなく、濡れまどふ人おほかり。からうじてまうでつきて御幣たてまつりて、初瀬ざまにおもむく。飛鳥に御灯明たてまつりければ、ただ釘貫に車をひきかけて見れば、木立いとをかしき所なりけり。庭きよげに井もいと飲まほしければ、むべ『宿りはすべし』と言ふらんと見えたり。いみじき雨いやまさりなれば、いふかひもなし。」
◆◆そこから出立して行くうちに風雨がひどく吹き荒れて、三笠山を目指して行くのにその名前にあやかるどころか、ずぶ濡れになった供人が大勢いました。やっとのことで御社に着いて幣帛(へいはく)をお捧げして、初瀬の方に向いました。飛鳥寺にお灯明をあげに寄ったので、私は牛車の中にいて、轅(ながえ)を釘貫にひっかけて、あたりを見回しますと、木立のこんもりとした美しいところでした。庭も行き届いて清らかに、井戸の水も思わず飲みたくなるように澄んでいて、なるほど「宿りはすべし」というのだろうと思われました。激しい雨が先ほどよりいっそうひどく降ってきて、どうしようも無いのでした。◆◆
■宿院(すくゐん)=寺院に参詣した人の宿泊する僧坊。
■飛鳥(あすか)=春日社の南西、元興寺の異称。中門の観音が長谷寺の観音の御衣木(みそぎ)で作られていたので、長谷参詣の人は往路に立ち寄ったという。
■釘貫(くぎぬき)=柱を並べ立て、横木を貫き渡した柵。
■『宿りはすべし』=催馬楽「飛鳥井」に「飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 陰もよし みもひ(水)も寒し みまくさもよし」とあるのを想定して、その文句道理だと。
「明けぬれば急ぎたちて行くに、にへのの池、泉川、はじめ見しには違はであるを見るも、あはれにのみおぼえたり。よろづにおぼゆることいとおほかれで、いと物さわがしくにぎははしきに紛れつつあり。ようたての森に車とどめて、破籠などものす。みな人の口むまげなり。春日へとて、宿院のいとむつかしげなるとどまりぬ。」
◆◆夜が明けたので急いで出立してゆくと、贄野(にえの)の池や泉川が最初に見たときと全く変わっていない様子であるのも感慨深いものでした。何かにつけてしみじみ思うことが多いけれど、まわりは騒がしくにぎやかで、それに紛れながら過ごして、ようたての森に車を止めてお弁当を食べます。皆美味しそうに食べています。春日神社にお参りするということで、とてもむさくるしい宿院に泊まりました。◆◆
「それよりたつほどに、雨風いみじく降りふぶく。三笠山をさして行くかひもなく、濡れまどふ人おほかり。からうじてまうでつきて御幣たてまつりて、初瀬ざまにおもむく。飛鳥に御灯明たてまつりければ、ただ釘貫に車をひきかけて見れば、木立いとをかしき所なりけり。庭きよげに井もいと飲まほしければ、むべ『宿りはすべし』と言ふらんと見えたり。いみじき雨いやまさりなれば、いふかひもなし。」
◆◆そこから出立して行くうちに風雨がひどく吹き荒れて、三笠山を目指して行くのにその名前にあやかるどころか、ずぶ濡れになった供人が大勢いました。やっとのことで御社に着いて幣帛(へいはく)をお捧げして、初瀬の方に向いました。飛鳥寺にお灯明をあげに寄ったので、私は牛車の中にいて、轅(ながえ)を釘貫にひっかけて、あたりを見回しますと、木立のこんもりとした美しいところでした。庭も行き届いて清らかに、井戸の水も思わず飲みたくなるように澄んでいて、なるほど「宿りはすべし」というのだろうと思われました。激しい雨が先ほどよりいっそうひどく降ってきて、どうしようも無いのでした。◆◆
■宿院(すくゐん)=寺院に参詣した人の宿泊する僧坊。
■飛鳥(あすか)=春日社の南西、元興寺の異称。中門の観音が長谷寺の観音の御衣木(みそぎ)で作られていたので、長谷参詣の人は往路に立ち寄ったという。
■釘貫(くぎぬき)=柱を並べ立て、横木を貫き渡した柵。
■『宿りはすべし』=催馬楽「飛鳥井」に「飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 陰もよし みもひ(水)も寒し みまくさもよし」とあるのを想定して、その文句道理だと。