永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(147)その6

2016年11月01日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その6  2016.11.1

「それより後もふたたびばかり文ものして、こと定まり果てぬれば、この禅師たちいたりて、京に出だしたてけり。ただ一人いだしたてけんも、思へばはかなし。おぼろげにてかくあらんや、ただ親もし見給はばなどにこそあらめ、さ思ひたらんに、わが本にてもおなじごと見ること難からんこと、またさともなからん時、なかなかいとほしうもあるばきかななど、思ふ心添ひぬれど、いかがはせん、かく言ひ契りつれば思ひかへるべきにもあるず。」

◆◆それから後も2度ばかり手紙を送って、話がすっかり決まったので、この禅師たちが、志賀に行き、先方では女の子を京に出向かせました。たった一人でこちらに出向かせたようですが、考えてみるとまことにあっけなく浅い母子の縁であったことよ。並大抵のことでこのようなこと(子を手放す)するだろうか。ただ、父親である兼家が面倒をみてくださるのなら、私のところへ来ても以前同様、父兼家に会う事はむずかしいであろう。そんなことで母親の期待に添えない時は、かえって気の毒なことになるであろう、などと思ってみるけれど、今さら仕方がない、このように約束してしまったのだから、考え直すわけにもいかない。◆◆



「『この十九日よろしき日なるを』と定めてしかば、これ迎へにものす。しのびてただきよげなる網代車に、馬に乗りたる男ども四人、下人はあまたあり。大夫やがてはひ乗りて、後に、このことに口入れたる人と乗せて、やりつ。」

◆◆「この19日が養女を迎えるのに、差し支えない日であるから」と決めておいたので、この女の子を迎えに行きます。目立たぬようにただこぎれいな網代車に、馬に乗った侍たちが四人、下人は大ぜいお供をする。道綱がすぐに乗り込んで、車の後部にはこの件で口を利いた人を乗せて同行させました。◆◆