永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(117)その3

2019年04月03日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その3  2019.4.3

 近う来ぬ。「さりとも、いとかうてやまむやは。この車のさまをだに、人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿のもとにとどめて、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰りはべる」と言はせたる使、「『ただいままゐる。あが君あが君』となむたまへる。さぶらひにまひろげて。指貫奉りつ」と言ふに、「待つべきにもあらず」とて、走らせて、土御門ざまへやらするに、いつの間にか装束しつらむ。帯は道のままに結ひて、「しば、しば」と追ひ来る。
◆◆御所近くに来てしまった。「そうとしても、全く人にも知らせないままで終わってしまってよいものか。せめてこの車の様子だけでも、人に語り草にさせてこそ『けり』をつけよう」ということで、一条大宮にある故太政大臣藤原為光の邸のあたりに車を止めて、「侍従(為光の六男公信)殿はおいでになりますか。郭公(ほととぎす)の声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせておいた使いが帰ってきて、「『今すぐ伺います。君よ、君よ』といっしゃっておいでです。侍ところにくつろいでいらっしゃいました。今、指貫をお召しでした」と言うので、「待っているbきことでもない」とて車を走らせて、土御門の方に行かせるときに、いつの間にか装束をつけたのであろうか。帯は道の途中で結んで、「しばらく、しばらく」と追い掛けてくる。◆◆



 供に、侍、雑色物はかで走るめる。「とくやれ」と、いとどいそがして、土御門に行き着きぬるにぞ、あつちまどひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひたまふ。「うつつの人の乗りたるとなむ、さらに見えぬ。なほおりて見よ」など笑ひたまへば、供なりつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかにか。それ聞かむ」とのたまへば、「今御前に御覧ぜさせてこそは」など言ふほどに、雨まことに降りぬ。
◆◆供として、侍や雑色が履物も履かないで走って来るようだ。「早く車をはしらせよ」と一層急がせて、土御門に行き着いてしまった時に、飛ぶように大騒ぎをしておいでになって、なにはさておいてこの車の様子を面白がって笑う。「現実の人が乗っているとは、まったく見えない。さあ降りてこれをご覧」などといってお笑いになると、供だつ人どもも面白がって笑う。「歌(ほととぎすの)はどうですか。それを聞こう」とおっしゃるので、「これから中宮さまに御覧あそばすようにおさせして、その後で」などと言ううちに、雨が本当に降り出してしまった。◆◆



 「などかこと御門のやうにあらで、この土御門しも、上もなく作りそめけむと、今日こそいとにくけれ」など言ひて、「いかで帰らむずらむ。こなたざまは、ただおくれじと思ひつるに、人目も知らず走られつるを。あう行かむ事こそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし。内へ」など言ふ。「それも烏帽子にてはいかでか」。「取りにやりたまへ」など言ふに、雨まめやかに降れば、笠なきをのこどもも、ただ引き入れつ。一条よりかさを持て来たるをささせて、うち見返りうち見返り、このたびはゆるゆると物憂げにて、卯の花ばかりを取りておはするもをかし。
◆◆(侍従殿が)「どうして他の御門のようにではなく、特にこの土御門に、屋根もなく初めから作ったのだろう、今日は特に憎らしい」などと言って、「どうして帰ってそれなのにもっと遠くに行くのこそは、興ざめなことだ」とおっしゃるので、「さあ、いらっしてください。宮中へ」などと言う。「それも、烏帽子ではどうしてできましょうか」。「お装束を取りに人をおやりなさいませ」などと言うときに、雨が本式に降るので、笠の無い男どもも、車を門内に引き入れてしまう。一条の邸から笠を持って来ているのをささせて、振り返り振り返り見て、今度はゆっくりと億劫そうに、卯の花だけを手に持って帰っておいでになるのもをかしい。◆◆

■あう行かむ=「奥行く」でさらに遠くへ行く

*写真は卯の花