永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(117)その5

2019年04月16日 | 枕草子を読んできて
一〇四  五月の御精進のほど、職に (117) その5  2019.4.16

 二日ばかりありて、その日の事など言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたると言ひし下蕨は」とのたまふを聞かせたまひて、「思ひ出づる事のさまよ」と笑はせたまひて、紙の散りたるに、
 下蕨こそ恋しかりけれ
と書かせたまひて、「本言へ」と仰せらるるもをかし。
 郭公たづねて聞きし声よりも
と書きて、まゐらせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでにだに、いかで郭公の事をかけつらむ」と笑はせたまふ。
◆◆二日ほどしてのち、あの郭公を聞きに行った日のことを口に出して話していると、宰相の君が「どうでしたか、自分で折ったといった下蕨の味は」とおっしゃるのを、中宮様がお聞きあそばされて、「思い出すことといったら、(郭公の声でなく)まったく」とお笑いあそばして、お手元に紙が散ってあるのに、
(中宮様の下句)「食べた下蕨(したわらび)をこそ恋いしかったことだ」
とお書かせになって、「上句をつけよ」と仰せあそばされるのもおもしろい。
(作者の上句)「郭公の声をたずねて聞いたその声よりも」
と書いて、差し上げたところ、「たいそう、はっきりと言い切ったものだね。こんなふうに食い気一方の状態であってさえも、ちゃんと郭公のことを心に掛けて引き合いに出しているのだろう」とお笑いあそばされる。◆◆

■下蕨こそ恋しかりけれ=「こそ」と下蕨(わらび)を強め、食い気だけあるのをからかった言い方。下の句を書いて上の句をつけさせつ短連歌。
■郭公たづねて聞きし声よりも=ためらわずに、中宮のからかいを肯定して興をそえる呼吸はさすがである。
■うけばり=「うけばる」は、人に気兼ねしないで存分にふるまうこと。食物の恋しさをはっきり言い切ったことをさす。


 「この歌、すべてよみはべらじとなむ思ひはべるものを。物のをりなど人のよみはべるにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむしはべる。いかでかは、文字の数知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅のをりは菊などよむ事侍らむ。されど、歌よむと言はれはべりし末々は、すこし人にまさりて、『そのをりの歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なれば』など言はれたらむこそ、かひある心地してはべらめ。つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましく、われはと思へるさまに、さいそによみ出ではべらむなむ、
亡き人のためにいとほしく侍る」などまめやかに啓すれば、笑はせたまひて、「さらば、ただ心にまかす。われはよめとも言はじ」とのたまはあすれば、「いと心やすくなりはべりぬ。今は歌のこと思ひかけはべらじ」など言ひてあるころ、庚申せさせたまひて、内大臣殿、いみじう心まうけせさせたまへり。
◆◆「この歌というものを、一切詠みますまいと思っておりますものを。何かの折などに人が詠みますにつけても、『詠め』などと仰せになりますならば、おそばに伺候することができそうもない気がいたします。と言って、歌の字数を知らず、春は冬の歌を詠み、秋は春の歌を詠み、梅の季節に菊の花などを詠むことがございましょうか。けれど、歌が上手だと言われた者の子孫は、少しは人に勝って、『これこれの歌は、この歌こそすばらしかった。何と言っても、だれそれの子なのだから』などと言われているのこそ、詠みがいのある気持ちがしていることでございましょうに。少しも特別にこれといった点もなくて、それでもいかにも歌らしく、自分こそはと思っているふうに、得意然として最初に詠みだしましょうのは、亡き人のために気の毒でございます」などと、真面目に申し上げると、中宮様はお笑いあそばされて、「それならば、そなたの心にまかせる。わたしは詠めとも言うまい」と仰せあそばすので、「とても気持ちが楽になりました。もう今は歌の事を気に掛けないようにいたしましょう」などと言っているころ、中宮様が庚申をあそばされて、内大臣様は、たいへん気を入れてご用意あそばしていらっしゃる。◆◆


■さいそ=最初
■亡き人=作者の父元輔や曾祖父を指す。
■庚申(こうしん)せさせ=庚申待ち。人の腹中に三尺(さんし)という悪虫があり、干支が庚申(かのえさる)に当たる日の夜、天に昇って天帝に罪過を告げ命を縮めるが、この夜眠らなければ虫も昇天できないというので、この夜は眠らずに飲食を設け、碁・双六・歌会などの遊びをして夜を明かす。もと中国道家の説。
■内大臣殿=藤原伊周(これちか)。長徳二年(996)四月内大臣から太宰権帥に左遷。翌年四月召喚の官符を賜い十二月帰京。この年(長徳四年)二十五歳。正確には当時内大臣ではない。