蜻蛉日記 中卷 (81)の2 2015.11.16
「十日の日になりぬ。今日ぞここにて試楽のやうなることする。舞の師、多好茂、女方よりあまたの物かづく。男方もありとあるかぎり脱ぐ。『殿は御物忌みなり』とて、男どもはさながら来たり。こと果て方になる夕ぐれに、好茂、胡蝶楽舞ひて出で来たるに、黄なる単衣ぬぎてかづけたる人あり。折りにあひたるここちす。」
◆◆十日になりました。この日はわが家で予行練習のようなことをします。舞の師匠、多好茂(おおのよしもち)が、侍女たちから沢山の被け物を受けましたし、男の連中もこぞって衣服を脱いで与えます。「殿(兼家)は御物忌みでいらっしゃいます」とのことで、あの人は来ず、召使たちがこぞってやってきました。練習も終わりに近い夕暮れ、好茂が胡蝶楽を舞って出てきたので、それに黄色の単衣(山吹の色に合わせた色の)を脱いで被けた人がいました。まったくその場にふさわしい感じでした。◆◆
「また十二日、『後への方人さながらあつまりて舞はすべし。ここには弓場なくてあしかりぬべし』とて、かしこにののしる。『殿上人、数をおほくつくしてあつまりて、好茂、埋もれてなむ』と聞く。我はいかにいかにとうしろめたく思ふに、夜ふけて、送り人あまたなどして物したり。」
◆◆その次の十二日、「後手組みの人が全員集まって、舞をさせる予定です。こちらでは弓場がなくて具合が悪いだろうから」とのことで、あちらでお騒ぎしています。「殿上人が大勢集まって、好茂が被け物に埋まってしまった」と聞きました。私は、道綱はどうだったのかしら、うまくやれたのかしらと気になっていると、夜が更けてから、大勢の人に送られて帰ってきたのでした。◆◆
「さて、とばかりありて、人々あやしと思ふに、はひ入りて、『これがいとらうたく舞ひつること語りになむものしつる。みな人の泣きあはれがりつること。あすあさて物忌み、いかにおぼつかなからん。五日の日、まだしきにわたりて、事どもはすべし』など言ひて帰られぬれば、常はゆかぬ心地も、あはれにうれしうおぼゆること限りなし。」
◆◆それから少したったころ、あの人が、人々が変に思うのもかまわず、私の張の中に入ってきて、「道綱が実に可愛らしく舞ったことを話しにきたよ。みんなが涙を流して感動してた。わたしは明日明後日は物忌み。心配でならないが、十五日には早朝から来て、いろいろと世話をしよう」などと言って帰られたので、私は普段不満足ではありましたが、今日は限りなく身にしみてうれしく思われたことでした。◆◆
■多好茂(おほのよしもち)=多氏は舞楽相伝の家柄で現代まで続く。代々雅楽寮に務む。好茂はこの時三十七歳。
■脱ぐ=着衣を脱いで被け物にする。褒美または御礼に。
■胡蝶楽(こちょうらく)=蝶の羽を模した衣装で山吹の花を持って舞う。
■五日の日=中の五日で、十五日のこと。
■写真は胡蝶楽
「十日の日になりぬ。今日ぞここにて試楽のやうなることする。舞の師、多好茂、女方よりあまたの物かづく。男方もありとあるかぎり脱ぐ。『殿は御物忌みなり』とて、男どもはさながら来たり。こと果て方になる夕ぐれに、好茂、胡蝶楽舞ひて出で来たるに、黄なる単衣ぬぎてかづけたる人あり。折りにあひたるここちす。」
◆◆十日になりました。この日はわが家で予行練習のようなことをします。舞の師匠、多好茂(おおのよしもち)が、侍女たちから沢山の被け物を受けましたし、男の連中もこぞって衣服を脱いで与えます。「殿(兼家)は御物忌みでいらっしゃいます」とのことで、あの人は来ず、召使たちがこぞってやってきました。練習も終わりに近い夕暮れ、好茂が胡蝶楽を舞って出てきたので、それに黄色の単衣(山吹の色に合わせた色の)を脱いで被けた人がいました。まったくその場にふさわしい感じでした。◆◆
「また十二日、『後への方人さながらあつまりて舞はすべし。ここには弓場なくてあしかりぬべし』とて、かしこにののしる。『殿上人、数をおほくつくしてあつまりて、好茂、埋もれてなむ』と聞く。我はいかにいかにとうしろめたく思ふに、夜ふけて、送り人あまたなどして物したり。」
◆◆その次の十二日、「後手組みの人が全員集まって、舞をさせる予定です。こちらでは弓場がなくて具合が悪いだろうから」とのことで、あちらでお騒ぎしています。「殿上人が大勢集まって、好茂が被け物に埋まってしまった」と聞きました。私は、道綱はどうだったのかしら、うまくやれたのかしらと気になっていると、夜が更けてから、大勢の人に送られて帰ってきたのでした。◆◆
「さて、とばかりありて、人々あやしと思ふに、はひ入りて、『これがいとらうたく舞ひつること語りになむものしつる。みな人の泣きあはれがりつること。あすあさて物忌み、いかにおぼつかなからん。五日の日、まだしきにわたりて、事どもはすべし』など言ひて帰られぬれば、常はゆかぬ心地も、あはれにうれしうおぼゆること限りなし。」
◆◆それから少したったころ、あの人が、人々が変に思うのもかまわず、私の張の中に入ってきて、「道綱が実に可愛らしく舞ったことを話しにきたよ。みんなが涙を流して感動してた。わたしは明日明後日は物忌み。心配でならないが、十五日には早朝から来て、いろいろと世話をしよう」などと言って帰られたので、私は普段不満足ではありましたが、今日は限りなく身にしみてうれしく思われたことでした。◆◆
■多好茂(おほのよしもち)=多氏は舞楽相伝の家柄で現代まで続く。代々雅楽寮に務む。好茂はこの時三十七歳。
■脱ぐ=着衣を脱いで被け物にする。褒美または御礼に。
■胡蝶楽(こちょうらく)=蝶の羽を模した衣装で山吹の花を持って舞う。
■五日の日=中の五日で、十五日のこと。
■写真は胡蝶楽