永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(126)その1

2016年05月21日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (126)その1

「釣りする海人のうけばかり思ひみだるるに、ののしりて者来ぬ。さなめりと思ふに、心地まどひたちぬ。こたみはつつむことなくさし歩みて、ただ入りに入れば、わびて几帳ばかりを引き寄せてはた隠るれど、何のかひなし。香盛りすゑ数珠ひきさげ経うち置きなどしたるを見て、『あな恐ろし、いとかくは思はずこそありつれ。いみじく気疎くてもおはしけるかな。もし出で給ひぬべくやと思ひてまうで来つれど、かへりては罪得べかめり。いかに大夫、かくてのみあるをばいかが思ふ』と問へば、『いと苦しうはべれど、いかがは』と、うちうつぶしてゐたれば、『あはれ』とうち言ひて、『さらばともかくもきんぢが心、出で給ひぬべくは車よせさせよ』と言ひもはてぬに、たち走りて、散りかひたるものどもただ取りにつつみ、袋に入るべきは入れて、車どもにみな入れさせ、引きたる軟障なども放ち、立てたるものどもみしみしと取り払ふに、心地はあきれて我か人かにてあれば、人は目をくはせつついとよく笑みてまぼりゐたるべし」

◆◆「釣りする海人のうけ」のように、あれこれ思い乱れていると、がやがやとやかましく屋って来る者がいます。あの人の一行かと思うと心が落着かない。今回は何憚ることなく歩み寄って、つかつかと部屋に入ってきますので、私は困って几帳をちょっと引き寄せて隠れましたが、何の役にも立ちません。香を盛って置き、数珠を手にさげ、お経を置いたりしてしるのを見て、あの人は、「ああ、何と恐ろしい。まさかこれほどまでとは思わなかった。何とも近寄りにくいごようすですね。もしかして下山なさるかと思ってやって来たけれど、かえって仏の罰を被りそうだなあ。どうだ、大夫、こんな暮らしを続けているのをどう思うかね」と問うと、「まことに辛うございますが、致し方ございません」と、答えてうつむいているので、「可哀想に」と言い、「それではどちらにしろ、お前の気持ち次第だ。下山なさるようなら、車を寄せさせなさい」と言いも終わらぬうちに、道綱は立ち上がるやいなや走り回り、散らばっている身の周りの物などを、どしどし取って、包みや袋に入れるべきものは入れて、車にみな運びこませ、引きめぐらしてある軟障なども外して、立ててある調度などを、みしみしと取りのけるので、私はあきれ果てて、ただ呆然としていますと、あの人は私の方にちらちら目配せしながら、にこにこと相好をくずして、取り片付けの様子を見守っていたようでした。◆◆

■「釣りする海人のうけ」=古今集「伊勢の海に釣りする海人のうけなれや心ひとつを定めかねつる」波間に揺れる様な不安定な心の比喩。

■軟障(ぜざう)=隔てにするための幕


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