蜻蛉日記 上巻 (65)の6 2015.9.9
「舟の岸によするほどに、かへし、
<かへるひを心のうちにかぞへつつ誰によりてか網代をも訪ふ>
見るほどに、車かき据ゑて、ののしりてさし渡す。いとやんごとなきにはあらねど、賤しからぬ家の子ども、何のぞうの君などいふものども、轅、鴟尾のなかに入りこみて、日の脚のわづかに見えて、霧ところどころ晴れゆく。」
◆◆舟が向こう岸からこちらに引き返して来る時に、あの人からの返事で、
(兼家の歌)「あなたが帰る日を心の内で数えて待っていたのだ。あなた以外の誰のために宇治までやって来るものか」
読むうちに、車を舟に乗せて、大きく掛け声をかけて、棹をさして渡す。大して高貴な身分ではないけれども、決していやしくない良家の子息たちや、なにがしの丞(ぞう)の君などという人たちが、車の轅とか鴟の尾(とみのを)の間にぎっしり入り込んで渡っていくと、日差しがわずかに洩れはじめ、霧もところどころ晴れていく。◆◆
「あなたの岸に家の子、衛府の佐など、かひつれて見おこせたり。中に立てる人も、旅だちて狩衣なり。岸のいと高きところに舟をよせて、わりなうただ上げに担ひ上ぐ。轅を板敷きに引き掛けて立てたり。」
◆◆あちらの岸には良家の子息や衛府の佐などが連れ立ってこちらを見ています。その中に立っているあの人も、狩衣姿です。岸のとても高いところに舟を寄せて、がむしゃらにただもう上に担ぎ上げて、轅をすのこに立てかけて置きました。◆◆
■轅、鴟尾(ながえ、とみのを)=車の前後に出た棒。前部を轅、後部を鴟尾という。
■衛府の佐(えふのすけ)=「かみ」に次ぐ位。この年、左兵衛佐になった兼家の長男、道隆か。(母は時姫)
*写真は中世の宇治川
「舟の岸によするほどに、かへし、
<かへるひを心のうちにかぞへつつ誰によりてか網代をも訪ふ>
見るほどに、車かき据ゑて、ののしりてさし渡す。いとやんごとなきにはあらねど、賤しからぬ家の子ども、何のぞうの君などいふものども、轅、鴟尾のなかに入りこみて、日の脚のわづかに見えて、霧ところどころ晴れゆく。」
◆◆舟が向こう岸からこちらに引き返して来る時に、あの人からの返事で、
(兼家の歌)「あなたが帰る日を心の内で数えて待っていたのだ。あなた以外の誰のために宇治までやって来るものか」
読むうちに、車を舟に乗せて、大きく掛け声をかけて、棹をさして渡す。大して高貴な身分ではないけれども、決していやしくない良家の子息たちや、なにがしの丞(ぞう)の君などという人たちが、車の轅とか鴟の尾(とみのを)の間にぎっしり入り込んで渡っていくと、日差しがわずかに洩れはじめ、霧もところどころ晴れていく。◆◆
「あなたの岸に家の子、衛府の佐など、かひつれて見おこせたり。中に立てる人も、旅だちて狩衣なり。岸のいと高きところに舟をよせて、わりなうただ上げに担ひ上ぐ。轅を板敷きに引き掛けて立てたり。」
◆◆あちらの岸には良家の子息や衛府の佐などが連れ立ってこちらを見ています。その中に立っているあの人も、狩衣姿です。岸のとても高いところに舟を寄せて、がむしゃらにただもう上に担ぎ上げて、轅をすのこに立てかけて置きました。◆◆
■轅、鴟尾(ながえ、とみのを)=車の前後に出た棒。前部を轅、後部を鴟尾という。
■衛府の佐(えふのすけ)=「かみ」に次ぐ位。この年、左兵衛佐になった兼家の長男、道隆か。(母は時姫)
*写真は中世の宇治川