今日(2月11日)は建国記念の日ですが、「仁丹の日」でもあるらしいです。 森下仁丹は明治26年2月11日の創業ということで、仁丹、体温計などの主力製品は全て2月11日に発売しており、平成20年に2月11日を仁丹の日として制定したとのことです。
小田原で生まれ育った私としては、仁丹よりも「外郎(ういろう)」に馴染みがあります。ういろうと聞くと、お菓子のういろうを思い浮かべる方も多いと思いますが、外郎は透頂香(とうちんこう)という銀色をした小粒の薬で、お菓子は後から出来たものです。子どもの頃、外郎家の周辺は私の縄張りで、薬を挽く音を聞きながら駆け回っていました。
江戸時代、二代目市川団十郎が咳と喉の病で台詞が言えず、舞台に立てなくなって困っていた折りに、外郎を用いたところ全快。そのお礼に小田原の外郎家を訪れて、この薬のことを舞台で上演したい、この薬が世にあることを伝えたいという団十郎の熱意ある申し出により上演することが了承された。以来、外郎売は成田屋の歌舞伎十八番の一つに数えられるになったということです。
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成田屋HPより
歌舞伎の若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)では、曾我十郎が外郎を売り歩く商人姿で現れ、この薬の由来や効能を早口言葉のように述べ立てます。
その台詞には、「先ず此の薬を、かように一粒舌の上にのせまして、腹内に納めますると、イヤどうも言えぬは、胃、心、肺、肝がすこやかに成って、薫風喉より来り、口中微涼を生ずるが如し、魚鳥、きのこ、麺類の喰合せ、その外、万病速効あること神の如し」とありますので、この薬をいかに信頼していたかが分かります。
そして、「さて、この薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭ゴマがはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬのじゃ」と、よどみなく口上が続きますが、その台詞は俳優やアナウンサーの滑舌の練習教材にもなっています。
国道1号線で小田原の外郎家の前を通ると、あの苦い味と悪ガキたちの顔が懐かしく思い出されます。
小田原で生まれ育った私としては、仁丹よりも「外郎(ういろう)」に馴染みがあります。ういろうと聞くと、お菓子のういろうを思い浮かべる方も多いと思いますが、外郎は透頂香(とうちんこう)という銀色をした小粒の薬で、お菓子は後から出来たものです。子どもの頃、外郎家の周辺は私の縄張りで、薬を挽く音を聞きながら駆け回っていました。
江戸時代、二代目市川団十郎が咳と喉の病で台詞が言えず、舞台に立てなくなって困っていた折りに、外郎を用いたところ全快。そのお礼に小田原の外郎家を訪れて、この薬のことを舞台で上演したい、この薬が世にあることを伝えたいという団十郎の熱意ある申し出により上演することが了承された。以来、外郎売は成田屋の歌舞伎十八番の一つに数えられるになったということです。
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成田屋HPより
歌舞伎の若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)では、曾我十郎が外郎を売り歩く商人姿で現れ、この薬の由来や効能を早口言葉のように述べ立てます。
その台詞には、「先ず此の薬を、かように一粒舌の上にのせまして、腹内に納めますると、イヤどうも言えぬは、胃、心、肺、肝がすこやかに成って、薫風喉より来り、口中微涼を生ずるが如し、魚鳥、きのこ、麺類の喰合せ、その外、万病速効あること神の如し」とありますので、この薬をいかに信頼していたかが分かります。
そして、「さて、この薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭ゴマがはだしで逃げる。ひょっと舌がまわり出すと、矢も盾もたまらぬのじゃ」と、よどみなく口上が続きますが、その台詞は俳優やアナウンサーの滑舌の練習教材にもなっています。
国道1号線で小田原の外郎家の前を通ると、あの苦い味と悪ガキたちの顔が懐かしく思い出されます。
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