大正元年の文展を見に行った夏目漱石は大半の画家を無個性と酷評した中に、蕭湘八景は気の利いた間抜けな趣で巧みな手際、無益で無頓着、脱欲の気は高士禅僧と違い平民的でのんきなものと評している。
と風太郎氏書いている。そして、さすが漱石で、大観の絵の価値と本質を眼にとらえている。そして無我、屈原,流燈などの名作を描きながら、その画法は朦朧体と、しかし反骨精神から貧苦の不遇のなかにあった。
しかし、若き反逆魂は消し飛んで、国粋的になり戦犯におびえて進駐軍関係将校を料亭に招く狼狽ぶりを示した。
だが、晩年はいじわる爺さんらしく、生活費をもらいに行くと聞くに堪えない嫌味をいい、夫人が孫に密かにやる金を警戒して金の入ったタンスの前に座って動かなかったという。彼女たちは寝食を忘れる絵に対する情熱があったという。
87才で重態に陥ったが、酒1合飲み干すと奇蹟のように回復、酒を飲むなという医者がわしより先に死によると言いながら3年生き延び90才気管支炎で亡くなっている。
北村謙三氏は死亡記事風に描かれた膨大な短編小説であると言っているように、水戸藩士酒井捨彦の長男秀麿は一家転居、東京英語学校で鉛筆画から出発洋画へ、東京美術学校卒業、岡倉天心から酒を教えられ、ニューヨーク行きも進められ、父の尊王攘夷の精神が陸海軍への寄付に結びついていることには触れていない。
近くの五浦大観美術館へは日立、水戸への途中寄りいつも京風の建物と合わせて絵を観賞している。
と風太郎氏書いている。そして、さすが漱石で、大観の絵の価値と本質を眼にとらえている。そして無我、屈原,流燈などの名作を描きながら、その画法は朦朧体と、しかし反骨精神から貧苦の不遇のなかにあった。
しかし、若き反逆魂は消し飛んで、国粋的になり戦犯におびえて進駐軍関係将校を料亭に招く狼狽ぶりを示した。
だが、晩年はいじわる爺さんらしく、生活費をもらいに行くと聞くに堪えない嫌味をいい、夫人が孫に密かにやる金を警戒して金の入ったタンスの前に座って動かなかったという。彼女たちは寝食を忘れる絵に対する情熱があったという。
87才で重態に陥ったが、酒1合飲み干すと奇蹟のように回復、酒を飲むなという医者がわしより先に死によると言いながら3年生き延び90才気管支炎で亡くなっている。
北村謙三氏は死亡記事風に描かれた膨大な短編小説であると言っているように、水戸藩士酒井捨彦の長男秀麿は一家転居、東京英語学校で鉛筆画から出発洋画へ、東京美術学校卒業、岡倉天心から酒を教えられ、ニューヨーク行きも進められ、父の尊王攘夷の精神が陸海軍への寄付に結びついていることには触れていない。
近くの五浦大観美術館へは日立、水戸への途中寄りいつも京風の建物と合わせて絵を観賞している。