6/25(月) 先週の木曜日、朝一番の便にて高知空港に向かった。東京は曇り空だったが、高知竜馬空港に着くと大雨。激しく降っていた、時々地面に突き刺さるかのような檄雨となる。
前夜は、宏さんの一族(両親と一番下の姉は既に故人、姉二人と兄夫妻)の懇談の席に闖入していた。何時お会いしても穏かで仲の善いご姉・兄。末っ子となる宏さんは幼い頃から兄弟のアイドル的な存在。
この夜も、満州時代や引き揚げてからの徳島、日光、神戸から横浜、東京・田端の思い出が語られた。私は場違いな存在ではあるが、そんなことを感じさせない暖かな一族の方々。
昔の写真を持ち寄り、尽きぬ思いで話であの時代を偲ぶ。家族が家族であった時代、貧乏を貧乏とも思わず、ひたすら人生を切り開いた頃。齢を重ねてなお仲良き一族の姿に接し、愉しいひと時であった。
ベトナム駐在中に、かの地で妻を娶った甥のTOMOKI君が、所用の為に顔を出さなかったのが残念。帰国後、自転車にぶつけられて大怪我、その後思わぬ大病を患ったが元気だとのこと。二次会の席で、ベトナムからのお客さんを接待していると云うTOMOKIに電話をし、短い会話をした。鄙に希なる好青年である。
鄙に希なる好々爺に近づきつつある宏さんが、この場にミャンマー・カンカウン中学校舎の建設支援募金BOXを手作りして持参した。兄弟に廻して募金を募った。これまで置いてきたどの募金BOXよりも沢山の額が入った。
そんな前夜のことを思い出しながら妹夫妻の車で実家のある安田町に向かう。途中の河川は何処も濁った大水となっていた。故郷の安田川も大増水で濁った水が轟きを立てていた。
これじゃ、鮎も捕れない。海も荒れており魚も駄目である。
この日、父の誕生日であった。私は、熊本・菊池の山郷で飼育されている雉肉を「きじの松田屋」の松田さんにお願いしてあった。今夜は、メス雉の焼肉と従姉が捕り置いた鮎焼き・妹の甘露煮などで、叔父や従姉たちを交えて祝った。
金曜日、深夜の雷鳴が過ぎて小雨となった。午後にはどうにか降り止んだ。早速ミカン畑の草刈である。有り難いことに妹の亭主で私の同級生でもあるHirokatuが応援してくれた。
植えてあったスイカは一本を残して全滅、瓜も二本ほど生き残ってはいるが成育悪し。ミカンの幼木には、青い小さな果実を付けた木が何本かある。この実を撤果し、数個だけを残す。幼木の成長の為には、実を付けさせない方がいいのだが、どんな稔りがあるかは観て見たい・・・。
朝からビールを飲み、畑で遊び、苗物を遊び心で植えたりで郷里での休日は終わった。食を抑えたいところだが、老親は食が細い、勢い残すが嫌なので食べてしまう。おまけに、知人が帰省を知って差し入れてくれる。土曜の夜などは、部厚いステーキ肉が何枚も届いて往生した。田舎暮らしをすると、贅肉が付く一方である。
『今日の弁当』
帰京した昨夕は、妹が持たしてくれた安田川天然ウナギの蒲焼、茄子・オクラ酢揚げの青紫蘇ドレシング漬け、破竹タケノコ煮、沖ウルメ焼きなどの高知産で夕食。近所に住む長女が、1歳半の娘を連れて食事にきた。正確には、自分は減量中で夕食は要らないが、娘の食事を頼みたいとのことである。
「今夜はウナギだぜ!食べないのか?」と云うと、『夜はご飯を食べないので、明日のお弁当に入れてよ』ときた。泣く子と何とかにゃ、弱いOyajiは、今日の弁当に入れて鰻丼風にしてやった。
今日の菜は、三人三様である。昨夜の残り物のタケノコ煮や青紫蘇ドレシング漬けも、昨晩食べてない者には入れよう・・・。
今朝新たに作ったのは、鶏肉のオリーブオイルソテー、豚小間の細切りの紫蘇・オクラ巻揚げ、小松菜・モロッコインゲンの油揚げ煮、であった。今朝のベストは、小松菜の煮物であろう。以上で十分と判断し、卵焼きの出番がなかった。
以上、三人の弁当が完成となった。長女の鰻丼風弁当が、一際豪華に見える。