オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

三嶋大社の夏祭り

2011-08-17 | Weblog

8/17(水) 昨日の朝、会社に向かメトロの中で思い出したのが終戦記念日と、三嶋大社の夏祭り(8月15日~17日)であった。三嶋の夏祭りは、一昨年に初めて観た。

三島は青春のひと時、十九歳の一年間を過した街である。が、夏休みの最中が例祭となる大社のお祭を見ることはなかった。その後、三島は何度と無く訪れていたが、お祭とは縁がなかった。

一昨年、三島出身の年若い知り合いから祭りの事を聞き、初めて観ることとなった。そのことをメトロの中で思い出していた。もう一つ、ここの処、鰻付いている。三島は鰻屋が多く、一昨年、その若い知り合いと鰻を食した。鰻からの連想かな・・・。

世を挙げての夏休みの最中、会社には出ているだけのことで仕事などしやしない(無いが正しいか)。どう仕様か、行くか行くまいか迷っていた。

丁度そこに、夏休み中のU老から電話が入った「森伊蔵を持って、夕方に会社へ行こうと思ってるけど、今日は暇?時間があるのならチョッと一杯やりませんか?」ときた。

これを解説すると、以下のとおり。
『幻の焼酎「森伊蔵」は、秋のベッタラ市で出す屋台の目玉商品。それを入手したので休みの今日持参したい。ついては、あんたはどうせ暇だろうから、暇なあたしと一杯やろうよ!』と云う次第である。

これで、道中暇をしなくていいと「夕方なんて言ってないで、直ぐに家を出て13時までに出社のこと!三嶋へ行って、祭り観て、鰻を喰おう」と指令を出した。老分は乗りがいいので了解了解と、暑い最中に会社へと出てきた。

かくして、16時前には三島の祭りで賑わう雑踏の中に立っていた。(車中で呑んだ缶ビールや弁当のこと、暑かった車内のことなどは省略しよう)

                   

小さな地方都市、これほど人が居るのかと思うほどの人出。我が四国の田舎とは違い、この辺りは工場も増える一方であろう、住宅街が広がり、商店も増える、元気になる。さすれば、祭りも賑わうと「風が吹けば桶屋が儲かる」式のことかな~と。

                        

                      シャリキ:山車どうしのお囃子の掛け合い

当然、鰻屋も混む。と、シャープな切れのよいお頭の小生は、考えが至った。”凄い人でだね”感心仕切りの老人の手を引いて、人ごみを掻き分け掻き分けし街道筋一番の鰻屋「桜屋」の前へ。と、開店は五時からと表示され、予約受付用紙が置かれてガードマンのオジサンがいた。既に何組か当日予約の名が記されていた、其処に続けて私の名が・・・。

こうして、用意万端整えて「三嶋大社」へと参拝に向かった。此処は源頼朝が出陣の折に祈願をした神社としも名高い。そんなことを老にレクチャーしながら、伊豆箱根鉄道で「三島広小路~三島田町」駅へと一駅だけ乗車。そこから大社へと向かった。(田舎電車の気分を味わせてやりたいという親心・・・)

                        

流石にお祭の日、大社の門前、内と人の波であった。そう云えば、この日は「頼朝出陣行列」があり、頼朝役に扮した風間トオルさんの姿を遠望した・・・。

そして、漸く「桜屋」にご入店となった。

                  

メニューを手に「何にする?先ずはビール。ヤッパこの二段に鰻が入った柵丼を食わんと・・・。値上がりしたな、4830円だぜ!」とか何とか云いながら、二人とも鰻二段入りの丼を注文した。

待つこと30分弱か。来ましたきました、丼の蓋は一応してあるが鰻ではみ出している。

                  

蒲焼三枚のご飯の下に、もう一枚蒲焼が待っているのだ・・・。

四の五の言いながら、食べました。食べましたよ、完食しました。私は!老は、三口ほどご飯を残しましたね。若さの違いかな・・・。

                                             

満腹、満腹で、さて講評のお時間となった。
量、これは申し分なし。蒲焼は関東風の蒸し・焼で舌触り良し、老人にも食べ易い。タレ、これは、前夜に食した「菊川」の味と似た、飽きのこない味(甘いようで甘くない、濃いようで、濃くない、敢えて云うなら中道派?)。

残念なのは『ご飯』だった。感じたままに言えば、冷や飯を蒸し器で温めたような感じだった。ご飯粒、一粒・一粒が自立しているような飯だったら・・・と残念。とは云いながらも、東京から遥々行って食べてみたい、お店ではあります。

もう暫く鰻はいいや、といいながら、水の街を散策。宵の山車の巡行準備を見ながら、我が青春の三島を後にした。

              

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煮・揚・炒焼

2011-08-16 | Weblog

8/16(火) 昨日は終戦記念日であった、と今朝になって改めて感じた。戦後生まれの私には、遥か遠い日のことではあるが・・・。さりとて、あの大戦で流れた血を、戦の意義を忘れる分けにはいかない・・・。

今朝は、「鶏肉の赤ワイン炒め」「大根と人参・蒟蒻の豚小間煮」「エビフライ」のメニューとなった。エビフライ以外は、違う調理法の予定が、台所で動いているうちに前記の料理となっていた。

鶏肉は、刻みニンニク・生姜に塩胡椒と赤ワインで暫く漬け込む。本来ならば大根・人参と煮る予定であったが、先日も同じ調理だったと思い出して急遽変更となった。

                        

エビフライは、冷凍のブラックタイガ-の殻を剥いて定番のフライ仕様。小麦粉やパン粉・溶き卵の残りでチジミ焼を一枚作る。何時もにまして、今日のフライは上手く揚った様子。

                        

大根と人参・蒟蒻に、少し残っていた豚小間を入れた煮物を作る。豚J小間は、ピーマン・シメジで炒める予定が変更となり、煮物の添え物に落ち着いた。

                     

そんな次第で、四人分の弁当が完成した。今日は梅干の種を取ってご飯に載せてみた。

 

 昨夜は、敬愛する郷里の大先輩Uさんとの懇親。当初、渋谷・宇田川町「奈加野」で、仁淀川の鰻を食そうと云う計画であった。処が、奈加野は月曜日からお盆休みとなった。ヤッチャ場も魚市場も水曜日まで休みなのだ・・・。

そんな次第で、店が急遽変更となり鰻の老舗「菊川・日比谷店」での歓談となった。上手くもいかない商売のことや、諸先輩の動向など・・・。あれこれと話をしていると、いろんな場面で共通している、繋がっていることに改めて気付く。

Uさんが現役の頃は、私からすると殿上人であったが、同郷で若い頃からの付き合い。何時もフランクな付き合いを頂く。二人で飲むと、何時も河岸へと先立たれた中村さんのこととなる・・・。

酒は、ビールから始まり「天狗の舞」「ウイスキー」へと進む。酒は四合入り、ウイスキーはハーフボトルなので結構に酔う。酔うが、実に気分のいい酒である。

この店、Uさんが未だ本社の係長時代に鰻好きの上司のために探しに探して、漸く合格点を貰えた店だとか。それ以来使っているとのことだが、とすれば40年以上となるか・・・。仲居さん達は、人あしらいが上手で粋な感じであった。

仁淀川の天然鰻の予定から、若干方向はずれたが「鰻屋」に落ち着いた。仕上げに、名物の鰻重を頂くこととする。

                          

タレは甘からず、辛からず、もたれなくて程よい感じ。ご飯は大変美味しく炊き上がったやや硬めの、私好み。大変結構なお味でした。(此処の処、鰻づいている・・・)
 話・よし、酒・よし、鰻・よし、のトリプルよしの夜であった。

 

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チャーシューなど

2011-08-15 | Weblog

8/15(月) お盆で街は静か。昨日の日曜朝、久し振りに一時間半ほど歩いた。呑川緑道沿いに駒沢公園をひと回りしてきた。住宅街も人の気配がしない・・・ただ、夏の花だけが咲き誇り、朝陽に輝いて美しい。

お盆のこの季節、電力不足や放射線と東京を離れる理由には事欠かない。が、こちとらは遠出する資金も無く会社に出て夏休み。忙中の閑ならぬ、閑・閑・閑と鐘が鳴る。例年のことながら・・・。

土曜日は完全休養で一日篭っていたようなものだが、昼はソーメンと野菜天ぷらを作る。夕食には、安田川の天然鰻の蒲焼・鮎焼、イカ刺しと準備。鰻は目茶旨、炊き立てのご飯と相俟ってモリモリと喰ってしまった。それにイカ刺しもモッチリと旨味十分、ビールが進んだ。

昨日は、午後になってから会社へ。トイレの掃除と下旬にある「渡邊さんを囲む夕べ」の案内などの雑用を済ませ、お盆前最後の営業だらと誘いを受けていた、渋谷・宇田川町「奈加野」にてビール・焼酎等を・・・。何と云う清々しくも金の掛からぬ休日、庶民の鏡と云うべきか。

そんな休日明けの弁当だが、メインは家人が昨夜煮こんだチャーシューと鶏肉である。脇を固めるには何が善いかと思案するが・・・結局「野菜のオリーブ炒め・小松菜のお浸し・卵焼」となった。野菜は、ズッキーニ・セロリ・ピーマン・パプリカとなった、これにベーコンを少し加えた。

                         

今日は、長女が休みとかで弁当は二人分でいいのだが・・・。お盆で会社の近所のお店も休みが多い(それやそうだ、魚も青物も市場は水曜日まで休みなのだ)。と思い、自分の弁当も持参することとした。

                    

何時ものように三人前の弁当を作った。それにしても、炊き立ての飯の旨そうなこと!ホカホカに一粒一粒がふっくらと薫りなおよし、一膳食したくなる気持ちを抑えるに一苦労であった。(白水鉱泉の微炭酸水が良いようだ、勿論お米も)

夏場の食欲増進にと、自家製「梅干」を一つ載せる。これがまた鮮やかに白飯に映えて、一際食味をそそるのであった・・・。

 

  「古賀武夫氏}

「認定NPO法人地球市民の会」の会報誌、『NETWORK TERRA』が週末に届いた。巻頭に”古賀先生の言葉を辿る”と云うコーナがある。

今号では、1993年に開催した日本・韓国・タイの中学生が参加した「第二回地球子供シンポジウム」で中学生に話しをされた言葉紹介されていた。

「・・・皆さんにお願いしたいことがあります。皆さんはこれから、いろんな仕事についていくことでしょう。どんな仕事をするにしても、その仕事を通じて、人を幸せにするということを忘れないで欲しいのです。人を幸せにしようとする中で、自分も感動し、心が震え、幸せになるのだと思います。世の中で最も偉い仕事は、人を幸せにすることです

古賀さんが終生、青少年に伝えてきた言葉である。

「地球市民の会」創立者・会長であった古賀さんは、三年前の春に逝去された。余にも早すぎる別れとなった。こうして今、古賀さんが語ってきたこと、書かれていたものに触れると、人間「古賀武夫」の偉さ、慧眼に刮目するばかりである。

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煮物など・・・

2011-08-12 | Weblog

8/12(金) 早や週末を迎えた。深夜の地震と熱帯夜の寝苦しさで目を覚まし、眠れぬままに本を開く・・・。

今日のメニュー、豚小間を残っている白菜に挟んだ煮物、中華味付け。小松菜の胡麻油で炒めた卵とじ。それに、昨日市場で買ってきた鮭の焼き物。以上の簡単なお菜となった。

                       

煮物が煮あがってみると、量が少ない。白菜は煮縮んでいる・・・予想外であった。

ご飯がこれまた半端に残っている。弁当用にお釜で二合半ほど炊く。途中ガスの火が消えており大慌て・・・、何とか上手くいった。

                                 

私も連日の弁当持参、だが今日は友人のO社長が会社に来る予定あり。場合によっては、弁当が宙に浮くか・・・。

この弁当BLOGがスタートして、昨日で1000日が経過したようだ。まだそんなものかと思う反面、飽きもしないで同じようなこと繰り返してきたものだと、呆れもするのだが・・・。

 「余波・・・」

東北大震災から原発問題へと未だ落ち着かぬが、思わぬところまで余波が及んでいる。東電から、全国各社の原発稼働に事態が展開。九州では、佐賀県知事のところにまで及んだ。

佐賀の古川知事とは何度かお会いし、阿蘇の寒いところで一夜酒を飲み明かし、地域起こしの活動視察に一緒したこともある。そんな中での知事に対する私の評価は、高い。是々非々で物事を考え、明快な討論・話方をする。

その古川さんが、マスコミで見る限りでは苦しい立場に置かれている様子。先夜のタケシのTV番組で、阿川さんが古川さんのことを「いい人なの、悪い人なの」と出演者に訊いていたが・・・私は声を大にして伝えたい『とってもいい人です』と。

 

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サンドイッチ

2011-08-11 | Weblog

8/11(木) 今日も暑い、目茶あつ~いと云う感じである。この暑さにもメゲズ、弁当の準備をする。メニューは昨夜から決めてあった「サンドイッチ」である。昨夜の帰宅時にパンを購ってあった。

サンドイッチも飽き飽きするが、新メニューでフルーツサンドをワンセット作る。バナナとブルーベリージャム・生クリームを挟んだ代物。どんな味になったかは不明。

食パン七枚(半端だな)とフランクが六本、具はフルーツの他には「ポテトサラダ」「コンビーフとキャベツ&タマネギ炒め」「ソーセージ」、卵焼・胡瓜とタマネギの何時ものメンバーである。

                

以上のような品揃え、こんなに沢山どうするのよ?と、云う感じだった。

                    

 

  「天然鰻」

昨夜、何時もの渋谷・宇田川町「奈加野」へ。店主から、仁淀川(高知県)の天然鰻が届いたので食べに来いと言われていた。偶々、昨夜は、以前に会社にいたスタッフと会うことになっており、折りよく「奈加野」でと云うことにした。

さて鰻だが、以前にも仁淀川の鰻があって食した。しかし、これは小さくて身が痩せており酷評した。今回はどうであろうか・・・。

奈加野では普段鰻を扱ってない。白焼だと云うので、わざわざ三越デパートの鰻店でタレを買って乗り込んだ。

大きさは程々、よく鰻店で見かける程度かそれよりはチョッと大きめであった。ただ、身の厚さが期待値までいってない。この身幅であれば、天然物ならもっともっと厚みがあり、プリッとしているが・・・。

少なくとも、私の故郷の川、安田川の鰻はそうである。先日帰省した折、妹が持たしてくれた鰻は、厚みがポッタリとしていた。(最近は数が捕れないのだが)

仁淀川では、結構に捕れているとのこと。そんな訳で、奈加野の店主の後輩が売り物にならないかとサンプルで送ってきたようだが・・・。炭火のコンロを置いて、白焼・持ち込みのタレ焼と試してみるが・・・残念ながら”これぞ天然の味”最高だね!と云う分けにはいかなかった。

天然鰻特有の脂、身の舌触り・口当たり、噛み応え、ともに物足りない。何時も口喧しい、私の講評に「そう云われれば、身が厚くないな・・・」と、店主は呟いた。

鰻も鮎も『安田川』産に限る!とは、些か身びいきが過ぎるか。

余談ながら、今朝は築地市場へと奈加野の店主に同行した。月一度くらいのペースで同行するが、今週の日曜から水曜まで市場は休みとなるとのこと。弁当用の鮭を仕入れるつもりであった。

何時ものように、場内市場の「原秀」で落ち合い、前の店で鮭を購い、ついつい原秀で白イカ・秋刀魚を買った。秋刀魚は一匹500円もするだけに大きい。(場内で一匹500円なら、飲食店では幾らになる?奈加野の店主は、そんな高いものは買えないと言う)

そして、「藤保」で生ホタテ(15個入り)を一箱。と、ついつい買ってしまう。


仕入れが終り、「愛養」で美味いコーヒーを飲む。と、其処に日本橋室町の鰻の名店の若旦那が仕入れ帰りで座っていた。

当然、天然鰻の仕入れ値に話がいった。「そうだね、ピン・キリだけど7000円~8000円/k、いいのだと一万ぐらいかな・・・市場で」。

先輩の店主曰く、「内の一串800円は、安すぎるな・・・」だって。大して、仕入れ値を払う気もないんだからいいんじゃない。は、私の声なき声。

愛養のカウンターでは、暫し、天然の論議となった・・・。

 

 

 

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揚物など・・・

2011-08-10 | Weblog

8/10(水) 今日も暑くなるとのこと、連日お猛暑。梅雨が明けると外に出ないのは此処数年のことだが、超クールビズと大抵はアロハシャツで出勤。お気楽なオヤジである。

七月決算の数字も出揃ったようだが、案に相違して7月が単月赤となった。思惑が違ったが、結果はどうしようもない。今月から28期の新期がスタートしたが、何時ものように出足が悪い。途中で盛り返せばいいのだが、これも思うに任せないのが実態。アロハでノー天気に過している状況ではないが・・・。

そんなことはさて置き、先ずは今日の弁当である。昨夜は早めに帰り着いたが、末娘にマッサージをしてもらいながら、そのままリビングで寝てしまった。漸く動けたのが午前3時であった。(末っ子はとうとう近所のマッサージ屋で深夜勤務を始めた。夜中に帰宅すると晩酌「朝酌か」にビールを飲むオヤジぶり・・・)

6時過ぎから弁当作りに着手。珍しくメニューは全く考えていなかった。冷蔵庫の中を漁り、食材を捜す・・・。

発見したのは「イカ」と鶏肉「ササミと胸肉の二種」。イカはリング揚げに、ササミはバター焼きで、胸肉は大根・蒟とで煮付けにすることとした。付け合せにピーマンとマイタケを使うこととした。

煮物の汁は、先日作った出し汁を使う。ちぎり蒟蒻にし、大根は拍子切りにして煮始めたが・・・。何と、焦がしてしまったのだ。大ドジを踏んだ。他の事に気を取られて鍋を気遣わなかった罰を受けてしまった。

               

ササミはピーマンとマイタケを供に、オリーブオイルを少々とバター、白ワインの在庫が無いので日本酒を振る。味付けは塩胡椒である。

               

イカは、丸を輪きりにして小麦粉・溶き卵・パン粉を潜らした定番のフライ。お供はピーマンフライとキャベツの千切り。

               

今日も四人分の弁当を用意する。丁度詰め終えた頃、長女がポポポ~ン「弁当あるの?」と立ち寄った。こいつが、昨年暮れに近所に越してきて以来、被害甚大ではあるが、面白い。

            

卵焼きを作ろうかと思ったが、作らなくて正解。三品のお菜で弁当箱は満杯となった。

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暑い時には・・・

2011-08-09 | Weblog

8/9(火) 今日も暑くなるとのこと、弁当にソーメンはややこしい。暑い時には酢物に限ると「土佐風五目飯」となった。

五目寿司、昔は今風に云うと「晴れの日ご飯」であったが、食文化変化なのか豊になったと云うのか、近年は日常に出てくるようになった。子供の頃は、お祭とか運動会、お客さんが見えるとか、そんな時に手軽に作る晴れの日ご飯と云う趣であった。

土佐の田舎ではもうチョッと正式になると、皿鉢料理(巻き寿司や刺身・羊羹・揚物・果物etc)が用意されたものだ。基本的には、今も変わりがないようだが・・・。皿鉢にも色々あり、私の田舎では素麺の皿鉢が出るが、この味がさっぱっりとしていて好きだ。

余談が長くなったが、今日の弁当は酢物中心でサッパリと夏を乗り切ろうと云う次第。五目寿司には当然「てまいら酢」が登板する。私は、これに柚酢も少々加えて、砂糖も少し入れる。柚の風味を少し強くした味付けにするのだ。

五目寿司の具は、基本の胡麻・刻み生姜の他に、干瓢・牛蒡・人参・椎茸をチョッと甘めに煮込んで入れた(用意万端、干瓢と干し椎茸は昨夜から浸けおいた)。仕上げに鮭を焼いてほぐしたものを加えた。今日は、錦糸卵の替りに刻み海苔を散した。

                        

お菜、基本的には無くてもいいのだが、弁当作りが唯一の遊びである私としては何か作りたいのだ・・・。そんな訳で「スパゲッティサラダ風」と「胡瓜とタマネギ・若布の酢の物」となった。スパサラには、茹で人参と胡瓜揉みを加え塩胡椒とマヨちゃんで味付け。

                   

まあ~、今日はこんな処でお仕舞い。何時もの三人分にプラス自分用が完成した。

                   

今朝は、久々に近所を小散歩した。散歩は、いいな・・・。

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炒飯

2011-08-08 | Weblog

8/8(月) 今日の弁当は「炒飯」となった。例によって、昨夜の残りご飯が沢山あった所為。具材は、冷凍小エビとウィンナーが主材。後は、ピーマン・シメジ・人参・タマネギである。炒飯だけでは淋しい・・・。

                                         

お菜に、豚小間肉の紫蘇巻きマイタケ巻きの二種の巻焼。紫蘇巻きには、千切り生姜を入れてみた。味付けは、塩胡椒と赤ワインとオリーブオイル炒めで日本酒を振りかけた二種の味付け。

                   

サラダ系は、人参とポテト&ゆで卵のマヨ和えとオクラ&キュウリのオリーブオイルと酢和え。

                       

以上、二品の菜と炒飯の弁当。炒飯もたっぷりと出来上がり、私も弁当持参となった。

                       

                       かくも美しい、四人前の弁当

 「横浜ハワイアン」

昨日の日曜日、横浜・赤レンガ倉庫街で「ハワイアン」のイベントが催された。昼に一旦会社に出た後、浜へと向かった。

実は、このイベントに知り合いが出るとのことだったので出掛けた次第だが・・・。3時からのステージと聞いていたが、会場に着いた時は既に10分過ぎであった。

赤レンガ街は、屋台やテントハウスの物販で大賑わい。ステージでは、何処かのハワイアンバンドが演奏中。友人の姿を探すが分からない・・・。バンド名は「ポエポエ」と聞いていたが・・・。

四時までは、アマチュアのハワイアンバンドの出演で後はプロの出演のようだ。そう云えば、高木ブーのポスターがあり、小錦の姿も見かけた・・・。小雨が少しパラついたが直ぐに止む。

                        

                          遠くから、ステージを

友人は、2・3年前から祐天寺のウクレレ教室に通い始めていた。もう還暦のはずだが、元気である。先日顔を合わした折に、「発表会であるんじゃない?」と訊くと、日曜日のハワイアンイベントに出るとの応え。何でも、150人もメンバーがいるチームだと聞いていたが・・・。

友人の姿を見つけることもできず、一人でビールを飲みハワイアンの演奏を聞いていた。そのうちにプロの出番となり、フラダンスなどのステージとなった。遠くから見ているので、年齢不詳なところがいい・・・。

暑い一日であった。お祭気分のビールな宵を一人で過したのであった。

 

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熟れ寿司

2011-08-07 | Weblog

8/7(日) 今日は朝から事の他の暑さ、真夏だ。昨日は曇り空で蒸し暑かった。暑い日の食べ物は何と云っても素麺に限る。

昨日の昼と晩、今朝と素麺尽くし。夏場、我が家では蕎麦よりも素麺が主流となる。連日連夜、渋谷「奈加野」に出没。ここの「茄子煮浸し」が美味い。流石に年季の入った日本料理の板前が作るだけのことはある。要は、出汁がしっかりして作りが綺麗なのだ。

店主に、この茄子煮浸しに「素麺」を付けてくれと頼むが『素麺が無い』とか云ってやってくれない。面倒がっているのだろう・・・。挙句に、『自分で作れよ』と来た・・・。

金曜日もそんなやり取りがあった。その夜は、資材局の先輩・同僚・後輩との懇談。仕事をリタイアした先輩が、趣味の範囲を越えて丹精した「ゴーヤ・茄子」をお土産に下さった。

美味しそうな茄子を頂戴したので、土曜日の昼は「茄子煮浸し&素麺」を作ることとした。出汁は、冷蔵庫で眠っていた稚鯛と鰹節で採った。茄子は、奈加野の店主が云う、油で一旦揚げてから皮を剥く。ついでにオクラも素揚げに。

取立ての出汁と皮を剥いた茄子を煮る。素麺のツマに茗荷・大葉・生姜を準備。氷水でよく洗い冷たく冷やした素麺と、煮上がった茄子も冷蔵庫で冷やす。素麺汁も作りたての鯛汁に氷を入れて使う。

千切りキュウリや、刻みオクラを入れたりと、三食も素麺が続いたが一向に飽きない。夏は素麺に限る・・・。

 「熟れ寿司」

素麺ばかりかと云えば、さに有らず、昨夕は地元の友人からの誘いで「熟れ寿司」を食べることとなった。店の名は「かっぱ」と云う。学芸大学で店を始めて50年近くになるそうな。熟れ寿司も色々あるが、此処の店は「紀州熟れ寿司」、江戸前寿司の原型とか・・・。

                        

この店のご夫妻が紀州の出身。それも、亡くなられたご主人の生家は今も海南市で熟れ寿司を商う老舗と云う。そんなことから、紀州の味の店を始めたそうだ。

この店は、情報誌や新聞でも取り上げられたことがる。先日もFMラジオで紹介され、それを友人が聞いて「行こうよ」と誘われた次第。実は、6年ほど前になるか、やはり新聞に載った。それを郷里の大先輩が見て、食べたいと言って学芸大学まで来たことがある。残念ながら、日曜日でお店が休みだったようだ。

その話を聞かされた後、家人に購ってこさせたことがある・・・味などは忘れていた。そんなことは云わず、食べてみたいと言う友人に付き合い、ビールとハイボールを飲み「熟れ寿司」を頂いた。

種類は五種「鯖・鯵・鱒・鯛・海老」である。お値段は、一本が300円~450円と手頃である。笹で巻いた一本を三切れに切って出してくれる。食べ頃は漬け込んで四日目ぐらいからとのこと。丁度四日目の鯵・鯖・鯛の三種を二人で頂いた。

                        

魚の切り身と生姜が酢飯に載り、笹で巻いて重石をしたセイロのような四角い箱で熟成している。食してみて、残念ながら魚の区別は付かなかった。

気さくな大女将とその娘さんでやっている、居酒屋「かっぱ」。紀州の品にこだわりと誇り、生き甲斐を持っている。昨夜は、梅肉入りの卵焼き・鰯の梅肉煮・秋刀魚丸干し焼などを肴にした。

一年ほどで店が取り壊しとなり、自宅の一部でもっと小さな店になると云う。学芸大学方面にお越しの際は、一度寄ってみたら如何か。インターネットで検索すると出て来るようだ。

店はカウンターだけで、10人も入れば満席となる。昨夜は遠くから来た五人組みと地元の方が二人、それに我ら二人。

 

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鶏唐など・・・

2011-08-05 | Weblog

8/5(金) 深夜暑さで目覚める、汗まみれになっていたが・・・。5時半頃に起床し、弁当の準備に入った。

昨夜、今日は唐揚にしようと冷凍庫から取り出して解凍した。その鶏肉のラベルを見ると、何と!「鶏笹身」であった。こりゃいかん、と別の鶏肉を取り出しておおわらわ・・・。電子レンジで解凍、酒・醤油・塩胡椒に刻み生姜・ニンニクの下味に漬け込む・・・。

その間、マカロニ・卵・人参・ジャガイモ・アスパラを茹でる。アスパラを除いた食材で「マカロニサラダ」を作る。アスパラは、豚小間肉で巻いた「アスパラ巻き」を用意するつもりでいた。処が、豚小間が不在。代用に生ハムを使うこととなった。

                   

この夏場に生ハムでは具合が悪い。それに何時も同じような調理でも詰らん。アスパラに紫蘇葉を巻き、その上に生ハムを巻いた。それを、ニンニクとオリーブオイルで軽るめに炒めた。味見なし・・・どんな具合やら?

                        

オクラの素揚げ、鶏の唐揚を始めながら、刻みワケギ入りの卵焼きを並行作業で作る。

                        

今日は、長女が仕事休みとのことで、弁当を取りにこないとのこと。何だ!今日も二人分か?それじゃ面白くないと、久々の「曲げワッパ弁当」の登場となった。これで、連日の弁当持参となった。

                    

 

 「渋谷にて」

昨晩は渋谷、何時もの宇田川町の銘店「奈加野」にて、宏さんとH女史との懇談。宏さんには、是非とも書いて貰いたいテーマがある。そんなことを話、女史とで責める。
今は、別のテーマ「ばっけ」の映像記録に着手しているので無理だろうが・・・。

それは「物語」、様々な場・時を経てきた人、生きてきた時代の証言、インタビューで人々の物語を紡いで欲しい・・・掲載は、会社のwebサイトマガジンを想定しているが・・・。

そんな話をしている内に店主が現れた。女史に「草刈民代さんみたいだね、彼女より若いけど・・・」等と嬉しがらせる。そんなことから「老いと肉体の変化」要は、如何に皺を隠すか、に話題が転じた。

其処でまた、店主が何処かで聞いた話をする・・・。
 知り合いの芸能プロモータが、南の島の慰安会に”こまどり姉妹”を呼ぶ依頼を受けた時のことだけど。「鹿児島空港で待っていると、向うからヨタヨタしたお年よりが歩いてくる。これや失敗したと思った。ところが会場に入り、楽屋でヅラを被って、着物を着て三味線を弾き出すと、ガラリ変わって若くなった」そうだ。

それから、あれやこれやと芸能人の名が出(商売柄、有名・著名な方が見える)、芸人が如何に変身するかに及んだ。が、顔は騙せても首から下の皺は如何ともならんねぇ・・・。我が身を返り、皆同意であった。

そうこうするうちに、以前に在籍したスタッフの名前が出た。Y女史のことだが、彼女はどうしているだ・・・直ぐに、携帯に連絡をした。元気な声で「久し振りです・・・、今・仕事が終わった処です」と返ってきた。

 元気なのか!「ええ、元気です。報告したいことがありました」
 何だよ?「丁度、五年経ちました」「検査の結果、問題はないそうです・・・」

そうか・・、Y女史は五年前に辛い手術をしていたのだ。五年前、術後に現れた女史は、毛糸の帽子を目深に被っていた。それでも「ビールぐらいは飲めます」と、食事したことを思い出していた。会社も辞めていたし、経済的にも苦しかったろうが、金を貸して欲しいとか、辛いとは言わなかった。偉いやつだ。

『それぐらいで、安心するなよ。お祝いに今度、飯ご馳走するよ』と切った。Yとは、宏さんの方が付き合いは長い。心配そうに、電話のやり取りを聞いていた。

昨夜は、そんな夜であった。そうそう、今度『鮎すし』を作る約束をしたのだ。(褒められると、直ぐ木に登る私であった)

 

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