オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯

2012-06-13 | Weblog

6/13(水) 今朝はチャーハンを作ることとなった。例のごとく、昨夜の残り飯の所為である。どうせなら菜も中華系でいこうと思ったが、制限時間となり中途半端な結果となった。

チャーハンは、エビ炒飯とした。エビを使うと、豪勢な気分になるのは貧乏オヤジだけか?エビと玉葱・シメジ・ニンジン・ピーマンが入る。

                            

菜の方は、鶏の唐揚とインゲン・ニンジン・ピーマンの酢揚げ。実はこの組合せで、甘酢餡かけにするつもりであったが・・・残念。そして、ホーレンソウのお浸し、胡麻入り。

                             

最後の一品は、イカゲソ&アスパラのバター炒めであった。以上であるが、味見をしたのは炒飯とホーレンソウだけ。後は、量が少なくて、お味見に至らなかった。

                             

今朝も三人分の弁当である。毎朝弁当袋をぶら下げて会社に出るわけだが、入っているのはKの弁当だけ。今朝、弁当袋提げて歩いている己の姿を想像し、虚しかった。

                      

 

 「飛び入り二人」

昨夕、元スタッフのY女史と二人で某店で肴を摘まみながら 一杯やっていた。「どうせろくな物喰ってないだろう、好きなものを食べ、飲めよ」などと、大様なことを云った。 そしたら、『白ワインなんかいいっすね』と、いいやがった。

Yは癌の手術をしてから五年、今月下旬に五年経過の検診を受けるそうな。『次の検診で、太鼓判を押されてスッキリしたいですよ』なんていいながら、ぐいぐい飲み喰っている。

と、かつての同僚Ajiから電話が入った。「東京駅にいるんだけど、空いてますか?」と云う。彼の勤務場所は、今は立川市である。それに、住まいはその奥の“あきる野市”という辺鄙なところ。最近では滅多に会う機会がない。

Yと一緒だが、気のおけるメンバーだ。おいでよと誘い、一緒になった。Ajiが来ると、仕上げはカラオケだ。何時ものSeijuに繰り出した。すると、今度はAjiに前の職場のスタッから電話が入り、合流となった。どうやらAjiは、この元部下と会う予定だったらしいことが判明。

Ajiは、面倒見がいい男なので、職場が離れても交流は続いているようだ。店に来たのは、うら若き女性、NANAMIさん・23歳とのことであった。Seijuは、珍しくカウンターは満席。大阪から出張だという、オジサン軍団が懐メロの競演中。

                           

                              師弟?対談か

我等も負けずに参入だが、もっぱらAjiとY女史に任せた。東西マイク合戦は暫く続いた。Yの唄う、西田佐知子のヒット曲「コーヒールンバ」は味があった。この様子では、ガンなんてヘッチャラだろう・・・。

                           

                           髪も、すっかり元どおりに

何時のまにや、Ajiが静になった。テーブルのグラスを、今にもオデコで割りそうなほどに舟を漕いでいる。見慣れた、何時もの光景が出現していた。そろそろ、お開きの時間だ。

帰宅は、前夜と同じく零時過ぎとなっていた。今夜は、リビングの椅子で眠るようなことはしないぞ!

 

 

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人は何故酒を飲む?

2012-06-12 | Weblog

6/12(火) 今日の弁当は、ピーマンの肉詰めと豚小間と野菜の炒め物など・・・。だが、朝から不調、弁当作るのもようようであった。帰宅したのは零時ちょいすぎ、そんなに酔っていないつもりでいたが酔っていたのだろう。食卓にもたれたままで眠り、気が付けば3時となっていた。

唯一の遊び、日課の弁当作りだけは飛ばせないとグズグズと台所に立ったが、動き鈍し。梅雨時に葉っぱの上をノロノロと這うカタツムリに如し。出社後の珈琲タイムで顔を出すドトールの店長、Tago嬢に「何だか、やつれたみたい」とまで言われる始末。こじゃんと、いかんぜよ(土佐弁)。

そうは云いながらも、挽肉と玉葱・シメジ・ニンジン入りのピーマン肉詰めを作る。豚小間とキャベツ・シメジ・アスパラ・ニンジンの炒め物。冷凍シューマイ、三井さんから届いた長州揚げを砂糖・醤油で甘辛に炒め煮したものを作った。

             

何しろ愚図なもので、最後に取り掛かったピーマン肉詰めは、長女の弁当には間に合わなかった。なんとも、だらしのないOyajiであった。

                   

 

 「大人は黙って酒を飲む・・・」

昨夜遅くなったのは、先ずはミャンマーの学校建設の打合せで、お茶の水大学の二年生・鈴木さんが来社してくれた。打ち合わせ後、隣のソバ屋「高松」で宏さん、Binのオヤジ軍団を交えた食事会(身元調べ?)。そして、社に戻り三井耕二さんから届いた焼酎&長州揚げでの山賊酒盛り会。次いで宏さんと二人で話をしようと次の店へ移動した。

何だか知らぬが酔っていた。話もできないまま宏さんが先に帰った。その後も一人、飲み続けていた・・・・。大人は、話もしないで酒を飲むのだ・・・。

今夜は、既に元スタッフのY嬢が来社。私のデスクの前でスタンバイしている・・・。

 

 

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日曜の夜は猪・軍鶏~弁当

2012-06-11 | Weblog

6/11(月) 今朝の弁当は、肉ジャガと鰤の照り焼きなど・・・であるが、昨夜に炊いた軍鶏&根菜と猪肉のビーフローストなども加わった(我が田舎では、煮ることを炊くとも言う)。多彩な陣容ではあるが、器の関係で何れも少量しか入らない。

昨夜、会社から帰宅したのは6時半頃であった。が、冷凍庫で遊んでいる猪肉と軍鶏肉を料理した。家人は、ソフトボールチームの懇親会とかで不在、一人台所に立った。冷凍肉は、朝から解凍中。猪肉は、酒・醤油・塩と生姜・ネギで漬け込んでおいた。

軍鶏肉は根菜と一緒に炊くぐらいのことだが、旺盛なる生命力の所為か、灰汁が沢山出る。タップリの水で沸騰させて煮る、灰汁を限りなく取りつづけた。透明な汁となった段階で、後々の出汁用に半分ほどを取り置いた。それから、根菜を入れ、酒を加えて煮込む。

                       

一方、猪肉だが、これはブロックだったのでチャーシュウーにするか、ビーフローストにするか迷った。迷った挙句、ビーフローストに仕上げることとなった。タップリと脂身が付いた肉であった。赤ワインの在庫があればソースを作りたかったが残念である。変りに、生命農法研究会特性の加工岩塩を刷り込んだ、少しは独特の肉の匂いが和らいだか?

                        

胡瓜の酢物と取り置いた軍鶏の汁でスープ、冷凍の魚(マグロ・イカ・平貝)で刺身を作り、すっかり晩飯の用意が出来たのは8時となっていた。帰宅した家人と二人だけの遅い夕飯となった。

                         

明けた今朝、昨夜の残り物に手を加え、猪肉はバター味のソテイに、鰤の照り焼き、豚肉の肉ジャガ、卵焼きなどの弁当となった。

              

三人分の弁当を用意するが、中の菜は少しづつ異なる。オールキャストでは入場制限なのだ。致し方なし、各人の好みなどを勘案しながら収めた。

                    

 

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雨の菖蒲園

2012-06-10 | Weblog

6/10(日) 昨日、夕間暮れ堀切菖蒲園に居た。朝からの雨が上がる様相もなく、おまけに肌寒いのに、こっちはアロハシャツスタイルときている。夏物のズボンは折り目も取れてぺらぺらになるし、靴には水が染み込んで気持ちが悪い・・・と、散々な花菖蒲見物であった。

京成電車の堀切菖蒲園駅から、菖蒲園まではブラブラ歩きで10分程。案内役は、以前ここに住んでいたという、U老である。これに、同行したのが隣の蕎麦店「高松」の女将さんであった。

菖蒲園は閉園間際であったが、カメラを据えて撮影の老人や年配の夫妻とそこそこの人出、流石に若い人の姿はまばらである。

                           

園の敷地は思ったより狭い、狭いながらも何十種・いや数百種か?列ごとに名前の異なる菖蒲が咲き見事なものだ。栽培種で花弁がフリル状のもから、何種かの色違いの花弁と見飽きる事はない。が、横振りの雨と気温が低いので寒い。

                       

小さな園内をひと回りしただけで、次の目的地、と云うか主目的の焼肉店「牡丹峰」へと向かった。駅前まで戻り、もう一人遅れて付くTagoさんを暫し待ち、店へ。古くから通っているという、U老ご推奨の焼肉屋である。

                             

席に着くなり、店の女将に頼んだのは6時からのTVのチャンネル。「テレ朝で10チャンネルに廻して」と云うと、5チャンネルね、と言われた。そうか、チャンネル変わっているんだと、言われて気付く惚けぶり・・・。

「生ビール四杯、カルビとハラミを三人前に上ミノ二人前、ホルモン二人前トン足に海苔」といっきに注文。なに、キムチはどうしたかって?当然注文したのだが、サービスで付いてますとのことであった。

ま~それから飲み物・食べ物の追加注文、6時からの「人生の楽園」に出ている三井さん夫妻を見てと忙しかった。

三井さん夫妻と、二人の子どもの姿が如何にも幸せに映っていた。人気の焼肉屋とかで満卓。周りの声で、TVの音声が聴き取れないのは致し方なしであった。TVも終り、仕上げはチゲスープと石焼きビビンバであった。チョイと、喰いすぎか?

あ~、でも寒い一日だった。三井さんから届いた焼酎と長州揚げは、明日の月曜日、宏さんのお出ましを願って頂戴する予定。明日の夕は、ミャンマーの学校建設の打ち合わせで女学生が来るが、オヤジ達の山賊の酒盛り姿を目の当りにすると、引けるだろうな・・・。

 

 

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“人生の楽園”

2012-06-09 | Weblog

6/9(土) 今日は朝から雨となった。夕方に近い時刻となるが「堀切菖蒲園」に行く。雨の菖蒲園も乙なものかしれない、と思って向かうことにしよう。

元もとの目的地は、この菖蒲園がある駅近くの焼肉店であった。U老からの誘いであったが、焼肉に魅力を感じた訳でなく、この菖蒲園を見たことがなかった。いい機会だと、菖蒲園と焼肉が結び付いた。が、一つ困ったことがある。TV朝日系で放映されている「人生の楽園」が、東京では土曜日の午後6時からのオンエアーなのだ。焼肉店のTVで見せてもらうか・・・。

西田トシオがナレーションを入れているこの番組、家に居る時は見ている。シニアのセカンドライフをハッピーな物語に纏めてあり、楽しい。この番組に知り合いが登場する。それが今夕なのだ。

先週の水曜日、相棒の宏さんから電話があった。「三井さんから連絡がり、今週の“人生の楽園”に出演すると云って来た。それから、そのうちに酒や天ぷらを送るから、当てにしないで待ってて」と、言ってたのこと。

三井耕二さん、山口県に在住。当時、下関支店に勤務していた三井さんを訪問したのは、平成7年のことではなかったろうか。支店の会議室でお目にかかった三井さんは、終始硬い表情であった。それを、宏さんが解きほぐして書いたのが『家族冒険者たち』というタイトルの文章になった。17年ほど前のことになるか。その後、細々ではあるが交流があった。

8年程前にNTTを退職した三井さんは、自宅で木工の工房や、最近、食事ができる小さなお店を始めたと年賀状にあったのが、2年前であった。夫妻の、お店やライフスタイルが評判となりTV出演となったのか?

私たちが下関に取材に出かけたのは、三井さん夫妻が里親として、姉弟の子供を養育していたからであった。仮の親子の難しさ、これから育て上げるまでの道のりを思うと、簡単に取材など受けたくない、綺麗ごとで済ませられない、そんな思いが頑なな姿となったのであろう。

その子どもたちとも早や二十年以上となり、里親から養子縁組、結婚をさせ、本当の親子以上の絆で結ばれていることは、賀状に綴られた丁寧な言葉で承知していた。

「家族冒険者たち」に綴られた文章を改めて読み返した。仮初めの親子としての、三井さんの葛藤、悩み奮闘ぶりが痛々しいほどである。TV出演の話を聴いた翌日の夕刊、朝日新聞に”人生の楽園 夢への道”という記事があるのを見つけた。手作り空間で家庭の味 レストラン という見出しで、番組のことが紹介されていた。

レストランに立ち、お客さんと談笑するご夫妻の穏かな姿が印象的だった。三井さんからの、お酒と天ぷら(長州揚)が、早くも金曜日に届いた。何本か入っていた焼酎の中に、お店の名前「らくらく庵」を冠した一本があった。

                          

 

さて、金曜日の弁当を忘れてはいけない。簡単に紹介しよう。

お菜は「牛煮」と「コロッケ」「卵焼き」である、フライをした残りのパン粉などでチジミを一つ。牛煮は、牛蒡・ニンジン・玉葱を一緒に煮る。

                           

コロッケの方は、後輩が送ってくれたジャガイモを使いたかった。そこで、た挽肉と牛肉・玉葱を刻んだ小ぶりのメンチ風コロッケを作った。早朝から目覚めた成果と云える。

                     

この日、朝からT物産へ直出となり、昼はOB会の総会がH・グランドパレスであり参加。そんな次第で、弁当袋の持ち運びを止めた。気の毒にもk君の弁当はなしとなった・・・。嗚呼無情!この日、二人分のお弁当であった。

                           

夜は、赤坂にて郷里の或る会の総会とかで土佐料理の「祢保希」へ。元関取の土佐の海さんも参加、余計なことをひと言「八百長って本当にないの?」。真剣に否定された・・・。

 

 

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揚物&煮物

2012-06-07 | Weblog

6/7(木) 今朝は鶏の唐揚とアスパラの豚巻、椎茸・オクラとゆで卵の煮、定番の卵焼きとなった。

昨夜帰宅してから、リビングの食卓の椅子で眠りこけてしまった。深夜に目覚め、シマッタとなった。もう無理が利かぬ体となったのか・・・。

そんなことで、目覚めは悪いは、動きは鈍いはで散々の朝であった。それでもオヤジは、台所だけは死守した。が、メニューを決めるまでが一苦労であった。作り始めても愚図愚図として一向に進まない。漸く出来上がったのが下の絵である。

              

             ピーマン豚肉巻         鶏唐揚げ          卵・椎茸・オクラの煮物

やれやれの弁当作りが終わった。今朝は自分の弁当は持たない、三人分のお弁当である。今朝から、ご飯の上にごちゃごちゃと載せるのは辞めた。白飯をゆっくりと味わいながら、菜を摘まむ。そんな食事タイムが美しいのでは・・・。と、思った次第。

                     

 

 「ミャンマー学校建設」

大学生がはじめた、ミャンマー「カンカウン準中学校建設」プロジェクトの支援活動に本格的に取組むこととした。東京で、たった一人で立ち上げようとしている学生の熱意に応えよう。

先ず浮んだのが、友人のAkimoto氏とOkazaki氏であった。Akimotoさんに電話で事情を話すと、早速、昨夜会ってくれることとなった。

簡単ながら、大急ぎで提案書を作り持参した。会ったのは渋谷「奈加野」である。実は、この店にミャンマーと縁の人が居る。資金稼ぎイベントで、ミャンマー料理をやろうとすると強力な助っ人となってくれるはず。

久々に会うAさんは、ここ暫く体調が優れないとのことである。母君が手術や骨折と寝たきりの状態となり介護疲れもある様子。それでも、ミャンマープ・ロジェクトの件は快く引き受けてくれた。

帰り、mr.kansoに顔を出し、同じくミャンマー支援の話と強力のお願いをした。私の周りにいる人や出入りする店では、こんな話に耳を貸すこととなろう。気の毒ではあるが、有為な志しの友、多かろうと思っている。

翻って、当社のオヤジ達は「一回飲み出る毎に、500円」を募金箱に入れることとなった。また.秋の大イベント、ベッタラ市の出店で販売する酒や食物の代金から一部を寄付する案も寄せられた。

来年の3月までが募金の期間。それまでに総額230万円を集める予定とか。九州の取り組みは既に始まっているとのこと。東京でどれだけのことができるか、楽しみである。因みに、この募金先は、認定NPO法人「地球市民の会(佐賀市)」となるので税法上の控除対象となる。

 明日は、T物産にお邪魔して、今年50周年を迎えるT社のCSR活動として取組むよう提案する。社長のO氏には既に話をしてあるが、社内の手続きや事情もあろう。副社長に会って話をする。

 

この件も大事だが、本業の方はどうなんだ、と天の声が聞こえそうだ。

 

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牛炒め&オムスビ

2012-06-06 | Weblog

6/6(水) 今朝は、牛肉の炒め物が登場した。玉葱とアスパラで炒めるだけのことで、簡単であるが、これが今日のメインの菜である。

後の菜を何にするか?冷蔵庫の食材も乏しくなっている。高知の後輩が送ってくれたジャガイモがタップリとある。これを使った料理を考えたが「肉じゃが」では肉炒めと材料が重なる。そこで、これもまた簡単ではあるが「じゃがバター」となった。二品目は、ハム(ベーコンの代理)とジャガ・オクラ(珍しい組合せ)のバター炒めである。

                         

これだけでは物足りないと、根菜(大根・ニンジン)の煮物が急遽追加された。そして、定番の卵焼きが登場。

                         

                         根菜煮とジャガバターが同居

昨夜も、次女が遅くになって泊りにきた。彼女用にオムスビ(鮭・タラコ・梅干)を三個握った。オムスビの余った具は、弁当を飾ることとなる。

三人分の弁当に詰めても菜が余る、今日も自分用の弁当が登板となった。

             

 

明日の弁当は、何になるのかな~。気が早いか・・・。

 

 

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イージーなカツ丼弁当

2012-06-05 | Weblog

6/5(火) 今日の弁当は丼となった。それも昨夜、店仕舞い前の半額セールのエビフライとロースカツフライである。駅から自宅までの間に在る惣菜屋が、21時ごろになると半額だと呼び込みセールをはじめる。味よりも安さに惹かれて買ってしまった。

イージーではあるが、翌朝はカツ丼弁当にして手早く仕舞いをつけようと思った次第。チャーシューもあわせて買ったが、お値段は〆て600円位であった。そんな訳で、出来合いのエビフライ&トンカツの丼弁当が登場した。

エビとトンを別々にするのは面倒なので、大きいフライパンで一編に作る。汁を作り、タマネギと青ネギを敷いて煮る。頃合いをみてエビとトンを載せて蓋をして強火でひと煮立てし、卵三個の溶き卵を掛け廻してお仕舞い。

                          

そんな弁当だから、菜は付けたし程度と、チャーシューとキャベツ・ピーマン・ニンジンの野菜炒め、焼き鮭となった。が、途中からポテトサラダを追加した。

                          

ポテトサラダには、茹でジャガイモ二個・卵と、塩揉みしたマネギ・胡瓜・ニンジンのスライスが入った。味付けには、塩胡椒・酢・マヨネーズを使った。

                          

以上を、何時もの三人の弁当に詰め込んだが、余った。余った菜を見て、思い余って自分の弁当も持参することとなった。何れの弁当も、テンコ盛であった。

                     

 

 「句集・地球のワルツ」

日曜日、角川書店からの書籍小包が届いていた。なにか本を注文したか?と、訝りながら指出人を確認すると「YAMANAKA 」と在った。

包を開けると「地球のワルツ」との表題があり、帯に”第三句集”とある書籍。YAMANAKAさんの、「空想茶房」「キリンの眼」に続く、最新の句集であった。

                         

2002年1月~2011年末までの十年渡る句作から、360句を選んで収録したとある。早速、拝読した。

生憎、小生には俳句を解するような高尚さを持ち合わせない。が、洒脱で機知に富みながら、透徹した眼を持つYAMANAKAさんの人柄が垣間見える。氏は、二十数年前に私の上司であった。最近では、LA誌3号で、俳句をテーマにした対談に出演して頂いた。そんなご縁からご恵贈下さったのであろうが、まさか、句の結社に入れとの暗示はなかろう・・・。

YMANAKAさんの、文学を通じて森羅万象に迫る人生に敬服する。大人の生き方の手本と云える。

余談だが、前に帰省の折のこと、芭蕉の「奥の細道」を買ってくるよう、母(駄作をよむ)から頼まれた。一番売れていると云う角川版の文庫を買い、帰省の道中で読了したが、面白かった。何度も読み返せる、読み返すたび、新たな発見や興味が湧く、そんな印象を持った。

 

この句集「地球のワルツ」の詠まれた期間は、奇しくも私がサラリーマンを辞めて今の仕事に就いた期間と一致する。因縁とは、そう云うことであろう。

 

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煮・揚げ・炒め

2012-06-04 | Weblog

6/4(月) 今朝は、弁当とオムスビの用意をする。金曜日から次女が泊り込んでおり、オムスビは彼女用である。家人が、土曜日から日曜の遅くまで出掛けたので、次女は惚け犬Mixの世話をするために泊っている。

私は、世話をしきれんだろうと犬を飼うのには反対だったが、次女の強い希望で飼い始めた。そのことがあるので、何時天に召されてもおかしくない状況のMixの世話となった次第。

次女のオムスビは、オカカと梅干、焼きタラコの三種。タラコとオカカは、餡子にしただけでなく、ご飯にもまぶした。オカカまみれ、タラコまみれのオムスビにしてみた。

                   

家人と長女、K君の弁当は「鶏肉と根菜・蒟蒻の煮物」をメインに、豚バラ肉とタマネギ&ピーマンの塩胡椒炒め。揚物は人参・タマネギ・インゲンの掻揚げ風と新ジャガの素揚げ。以上となった。

              

何時もながら、炊き上がりのホカホカの飯は美味い!オカカとタラコを片手で軽く握った熱々のご飯に入れて喰う・・・いや~これほど旨いものはない。これ以上喰うのは、我慢・我慢・・・。

                    

 

週末も、よく喰い・飲んだ・・・。胃の方は休まる暇がない、これだけ酷使されればストライキでも起こしそうなものだが。所謂、ハンガーストライキ!か。今のところその気配はないようで、すこぶる元気である。

 「青年の志し」

土曜日の午後、ひとりの学生と会った。初めてお会いしたが、用件は「ミャンマーの学校建設」資金集めへの協力であった。佐賀の「地球市民の会」からの紹介である。

「地球市民の会」が主催する、スタディツアーに参加してミャンマーを訪問したのがきっかけとなり、彼の国のインレー湖畔の村に小学校を建設するプロジェクトを紹介されたとのこと。

訊くと、九州の大学から参加したメンバー7人と一緒に、このプログラムに自分達のプロジェクトとして取り組むこととしたそうだ。東京は、お茶大二年生の彼女一人なので、資金の集め方について、協力や知恵を出して欲しいとのことであった。

そんな知恵があれば苦労はないが、こっちも「地球市民の会東京」を標榜している。何か、考えなくては、「義を見て為ざるは、勇なきなり」であるし、”オヤジが廃る”と、云うところだが・・・。

多様な感性と志しを持った若者に接すると気持ちが好い。その志や、行動に共感できるのであれば、何を・なにが協力できるか、行動・実践と結果を問われる・・・。

 

 

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築地・・・

2012-06-03 | Weblog

6/3(日) 昨日の土曜日は、築地へと出かけた。次女が、築地の市場に行ったことがないので連れて行けと頼まれていたのを実行した次第。場内市場が店仕舞いをはじめる10時ごろから、市場内をうろついた。

この時間帯なら商売人の邪魔にはならぬだろうし、日曜日は市場が休みなのでチットはサービスがあるかも・・・。結局購う店は何時もの店だが。マグロは米岩、鮭とタラコは北田、原秀ではイサキとシロイカ・平貝となった。

野菜や果物の店を廻った後、飯を喰おうと、何時もは一般人が少ない店を覗くが、市場の食堂は何処も満席。波除神社の方に向かった、はずれにある洋食やでオムライスとビールとなった。

昼過ぎに帰宅し、魚の始末となった。家人が不在なので、大きな魚を買うのは避けたが、イカやイサキを下ろす。生憎、夜は知人が郷里から上京するのでその相手をしなくてはならない。私が食すのは翌日だが、長女一家や次女等が、海鮮丼だと楽しみにしている。刺身にして、皿に盛り付けてから外出した。

                         

と云うことで、私は今朝から魚を喰うこととした。先ずは飯を炊き、イサキを三枚に下ろして粗はアラダキに、身はオリーブオイルで香草焼きにした。マグロの刺身と、解禁取れたてで届いた鮎の焼き物、ニロギ(柊魚)は素揚げして南蛮漬けに。と、結構な忙しさであった。

               

準備が整うと、それではとビールを取り出した。よく冷えたビールで喉を潤しながら、佐渡沖の本マグロの刺身を一切れ・・・美味いね~。そして新鮎の焼いたやつをガブリ!新鮎らしい身の柔らかさと清流安田川の川苔の香りが微かに発って申し分なし。

                         

                            鮎と目刺の競演

今年の新鮎は大きい。安田川の鮎は味は最高だが、魚体が小さい。小さな川の宿命であるが、それが今年届いた鮎は上型であった。魚影が見えぬと騒いでいたが、その分一匹当りが苔を食む量が増えたか?

                    

イサキのムニエルも上々の味、このイサキには長崎・五島産とタグが付いていた。上物のイサキであった。

飯を食す段になって、昨夜食べ損ねた海鮮丼にしようと思いたった。急遽、酢飯を作り胡麻を振った寿し飯の登場となった。何しろ、伝家の宝刀「てまいら酢」があるので、手早くできるのだ。

そんなことで朝から大菜・大飯となった。ライフスタイルの変更を言い出し、舌の根も乾かぬのにこの有り様である。鉄の意思も、美味いものには敵わぬと云うことか?

 

 

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