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ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

酔っ払いの酒臭さ

2017-09-19 06:45:17 | 病状
 先日のAAのミーティングでのことです。テーマとされた “今日一日” について話していたとき、成りゆき上、日課にしている道のゴミ拾いについても触れることになりました。

「最近こそ少なくなったんですが、初めの頃はよく酒の飲み残しに出くわしたものです。ビンや缶がベンチや塀の上などにちょこんと置かれ、中身はほとんど飲まれてないままでした。もったいない(!)と一瞬思ったものの、心を鬼にして中身を道にぶち撒けました。
 酒ってクサイんですヨ! ドボドボッと一気に道に撒くと、辺りに何とも嫌な臭いが・・・クサイっていったらありゃしません。よくもこんなクサイのを有り難がって飲んでいたものだ(!)と思ったものです。
 迂闊な話ですが、そのとき初めて気づいたんです。これって酔っ払いの酒臭さと同じだ(!)・・・とね。」
こんな話に会場は大爆笑。素面(しらふ)でいる今、皆さんにも心当たりがあるようでした。

 道に撒いたばかりのアルコールの臭さは文字通り目から鱗でした。純度の高いアルコールにはツンとした刺激臭があり、私は今でも嫌いではありません。普通のアルコール飲料も、容器の狭い注ぎ口やグラスなどから漂う匂いは馨しいものです。酒好きな私ですから、アルコールはそんな馨しいものだとずっと思い込んでいたのです。

 ヒトは元々身近な臭いに気付かないよう出来ているそうです。アルコールは嗅覚も麻痺させるそうですから、酔っ払うと一層自分の酒臭さに気付けなくなるのです。思い込みのせいとは言え、酒を道に捨てたお陰で酒臭さに気づけたとは我ながら迂闊でした。

 ミーティングで聞く体験談では、朝寝起きに酒を飲んでから出勤したなどという信じられない武勇伝が出て来ます。酒臭さは飲んでいない周りの人には誤魔化しようのないものですが、酒を飲んだ張本人には自分の臭さがわからないのです。

 酔っ払い同士なら、お互い酒臭さが気にならないのも同じ理由からです。ヒドイ二日酔いも同じこと、知らぬは自分ばかりなりで「ワッ、クサー」と言われるのがオチです。まさしく “臭いもの身知らず” なのです。
         *    *   *   *   *
 ところで、大便臭やオナラの原因物質とされるインドールやスカトールも、微量(低濃度)では花のような馨しさだそうです。香水に使われる天然ジャスミン油の一成分もインドールと聞いています。そんな知識があっても、さすがに現物を前にしたらそんな想像力は湧いてきません。最近、赤の他人にやられっぱなしの究極の嫌がらせに対抗した真実の奉仕のことです。当然ですよネ!?



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これぞうまく噛み合った会話(社会参加について)

2017-09-01 06:02:47 | 病状
 先週は循環器内科を受診したときの T 先生との会話を記事にしました。同じ日にアルコール専門クリニックも受診したのですが、今回はその専門クリニックで交した S 先生との会話です。一日を有効活用しようと循環器内科の予約診療の日にはアルコール専門クリニックもハシゴすることにしています。こちらも2ヵ月ぶりの受診でした。

 医療・介護に依存せずに自立して日常生活を送れるのが健康寿命であって、医療や介護にお金を掛けずに済む生活のはずと私は思っていました。健康寿命が延びればそれだけ医療・介護費用の伸びが抑えられるはずなのです。そんな私に健康寿命の延びが健康保険制度の破綻を来たすと問題提起した T 先生です。その話にどうにも納得いきませんでした。それで経過報告を兼ねて S 先生にそのことを話してみました。
 
「循環器といえば花形ですからねぇ、競争の激しい専門領域では変わった発想の医者もいるんですよ」とうまく煙に巻かれ、
「それより道のゴミ拾いはまだ続いていますか?」と逆に S 先生は話題を変えて来ました。
「もちろん続けています。毎日2時間以上・・・やり始めてかれこれ2年半ぐらいになります。もうクセですね。その意味では酒を飲んでいた頃とちっとも変わっていないんですが・・・。」
「そうねぇ、そう考えますか。で、糖尿病の方はどうですか?」
「ヘモグロビンA1cが6.2%前後で安定しています。」
「それは結構! 規則正しい生活リズムを守り、家に籠もらず毎日外出して動くのが一番なんですよ。」そこで私の方もこんなふうに話を振ってみました。

「外出して行動と言えば、ブロガーの中には同じアル症で釣り三昧の人がいます。この間読んだ記事では、釣りばっかりやっていてこのままでいいのだろうか(?)と心の迷いが書かれていました。」
「それは遊んでばかりいる後ろめたさ・・・つまり、社会参加したい気持ちが満たされていないということでしょうね。あなたの場合は、ゴミ拾いで社会奉仕ができているという気持ちがあるでしょう? それが社会参加です。釣り三昧の人にはそれがなくて、心に満たされないものを感じているのだと思いますよ。」
「社会参加? 別の見方をすれば承認欲求が満たされていない、そんな感じなんですか?」

「そうそう、そんなところです。断酒後しばらくは仕事再開に焦りがちですが、急いてもうまくいきません。情動が不安定のままなんです。
 そんなときに一人で出来る趣味に夢中になるのもいいですが、一つのことに没頭するばかりでなく複数のものとうまくバランスを取ること、特に社会参加という点も加味しておかないといけません。
 そういう意味からすれば、自助会のミーティングに出向くのも社会参加になります。自助会が社会参加の最初のステップという見方にも納得いくでしょう?
 自助会で発言すれば承認欲求も満たされます。社会復帰のリハビリとしても最高なんです。徐々に社会参加を進めていくのがうまく回復が進む鍵なんですよ。」

 社会参加という言葉に目を見開かされた思いでした。自助会が社会参加の場などとは考えてもいなかったのです。

 自助会が自分の居場所と考えているアル症の人は多くいます。私は常日頃、居場所とは気兼ねせず寛げる隠れ家のような場ぐらいにしか考えていませんでした。自助会のミーティングではそれなりの緊張感が要りますから、居場所と言うにはチョット違うのでは(?)と違和感を持っていました。

 またAAには、開催されているミーティング会場を探して連日ミーティング参加を続けている人がいます。なかには一日に何カ所もハシゴする人も・・・。“空白の時間” を埋めるためとは言え何もそこまでしなくてもと、私は少々冷ややかな目で見ていました。

 そこに今回の話です。自助会を自分自身が一員として一体化できる社会参加の場とみれば、なるほど社会参加による満足感というのも理解できます。もちろんその前に、社会参加に向けたリハビリの場という見方にも納得がいきました。社会復帰のリハビリと見れば、連日のミーティング通いもアリなのかもしれません。

 言うまでもなく、ある共通の目的を持った人々の集まりがコミュニティー(共同体)です。自助会は飲まない生き方を共通の目的にしています。なかでもAAは束縛の少ない緩いルールで運営されている共同体で、“言語化” の実践道場、聞き上手になるための訓練の場、さらに社会復帰のリハビリの場と良いことずくめです。我を通して自分の思い通りにしようとしない限り、AAは居心地の良い理想的な居場所ともなり得る、私はこう考えるに至りました。



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回復には時間がかかる

2017-07-28 06:51:51 | 病状
 アルコール依存症(アル症)の回復とは、単に酒を飲まないでいる生活のことではありません。

 自助会AAでは、回復のイメージを「心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る・・・」としています。その境地に至るため、「自分に変えられないものは(ありのままに)受け入れ・・・変えられるものは変えてゆく・・・」をお祈りの言葉としています。お祈りの言葉とすることで、このような賢さを身に付けることを具体的達成目標としているわけです。

 これらの言葉から、いつでも “平常心” を失わないことが回復のイメージと私は理解しました。そして、自分ではどうにもならないことと、自分にもできることとを理性的に見分け、徒に感情に左右されない生き方を達成目標としました。これらのことは折に触れてこのブログで述べてきています。

 回復の達成目標を立ててはみたものの、到達度合いは誰が判定するのでしょう。患者本人の自己申告(?)では危なっかし過ぎます。

 断酒10ヵ月で経験した “憑きもの体験” から、回復途上では勘違いが多いと痛感させられました。“憑きもの” が落ちた意味が単にアルコールが抜けきっただけだったのに、医者をも巻き込んで早くも回復したと大騒ぎしてしまったのです。

 そのときの医者の言葉が印象的でした。精神科では血液検査のような客観的診断指標はないものの、患者の言動や顔つき、目ヂカラなどから回復を診断できると明言したのです。そのときは半信半疑だったのですが、人の精神状態は傍から診た方が一番確実なのだろうと今では納得しています。道を尋ねるとき、見るからに胡散臭い人物などに尋ねたりする人はいません。

 アル症の全道筋を否応なしに見てきたのが身近にいた家族です。これはアル症の誰にでも当てはまることです。

 私の妻や息子たちは、機会飲酒時代や、精神依存から身体依存の時代、さらに断酒後の生活に至るまですべて見てきました。特に妻は、私自身が自覚してないところもすべてお見通しのはずなのです。一旦は離婚したというややこしい事情も絡んでいます。判定者としてこれ以上に適格な人物はいません。

 そんな判定者ですから、よほど回復したという確信がない限り、私に信頼を戻すことはないでしょう。 “回復には時間がかかる” この言葉にはどんなに難しい意味合いがあるかおわかりいただけたでしょうか?



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自分は万能と思い込むワナ

2017-07-21 06:18:32 | 病状
 新聞のコラムでこんな言葉を見つけました。

「・・・万能は正義を要求する。本人は正しいことをしていると思い込んでいても、本当は万能ではないのだから、次々とウソをつくようになる。ウソ行為や非常識が無意識化する。」
(筑波大学大学院教授 古田博司 「近代『エリート神話』は崩壊した AI登場で教育は『意味』を教えればよい」産経新聞『正論』2017.6.29)

 さらに、古田氏は別の雑誌でも同じことを書いていました。
「勉強エリートは自分を万能と思い込む環境にな(慣)らされている。正義は万能を要求するから、やがて自分が正義だと思い込むようになる。でも本当は万能ではなく、自己愛が強いだけだから、正義漢であろうとするほどどんどんウソつきになり、やがてはウソがばれて落っこちてくるのではなかろうか。」
(雑誌『正論』8月号)
 
 私も勉強エリート目指していただけに核心を突いた言葉に感心しました。 と同時に、アルコール依存症(アル症)者と根拠のない万能感というふうに古田氏の言葉を読み替えたら、アル症者にピッタリなので痛いところを突かれた思いでした。

 大概のアル症者も、自分は絶対と無意識に思い込んでいる節があります。言い換えれば、自分に出来ないハズはないという何の根拠もない万能感が殊の外強いのです。これが自己中心的な考え方や、ものごとを白か黒かに決着つけなければ済まない “認知のゆがみ” に繋がっているようです。長年の飲酒習慣が理性的に抑制してくれるブレーキを壊してしまったのだと思います。

 私も「大きくなったら何でもできるようになろうね」と幼少期に繰り返し言われたせいでしょうか、何かことがあった場合、何の根拠もないのに「これぐらいならできるハズ」と思わず考えてしまうところがあります。無意識下に自分は万能・・・と思い上がっている証でしょう。何かにつけ無意識に「・・・しなければならない」という考えに囚われてしまうのも、万能という意識の裏返しと考えれば納得できます。

 万能と正義が切っても切れない関係というのもうなずけます。アル症の場合は、悪いのは周りとする他罰的態度という点で少し異なりますが、自己愛の強さが根っこにあるのは共通しています。

 自分は万能という萌芽は誰でも幼少期から持っていると思います。それがあるから夢を持ち、夢を追って冒険心を掻立て、冒険心が進歩を促してきたのだと思います。そんな状態を定着させたのが広い意味での教育という洗脳であり、その副産物として “認知のゆがみ” という鬼っ子もあり得るのです。
 
 長年掛かって刷り込まれた洗脳は効果絶大で、洒落にも成らない皮肉なカリカチュア(戯画)も生みだします。それが勉強エリートであり、アル症ではないでしょうか。

 どうにもならないことだらけの世の中なのに、どうにもならないという客観的事実を受け容れられない。これがアル症者特有の “認知のゆがみ” です。自分にどうにもならないことが我慢できず、気に入らないからと酒で紛らわしてしまうのです。これは明らかに現実主義的な考え方が欠落しているせいです。“ありのままの事実を ありのままに受け止め容れる” はこの意味で大切な心懸けです。

 古田氏の記事は人工知能(AI)時代を迎えた勉強エリートの没落と行く末を論じていますが、論理と確率と統計しか言葉がないAIに対抗するための教育とは「意味」を体得することと述べています。私はこれを、複眼的にものごとを見、角度を変えた考え方を身につけることと理解しました。“ありのままの事実を ありのままに受け止め容れる” はAI時代でも十分意味があると意を強くしました。



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挑発する言葉

2017-07-14 07:57:06 | 病状
 「(自分は)他人を挑発する天性のアル中みたいだ」と言われたことがあると告白した人がいました。このような言い方で、自分の性格上の欠点を指摘されたそうなのです。まだ酒を飲んでいなかった若い頃の話だと聞きました。薄々察しがついたので以前読んだ次の言葉を思い出しました。ちょっと場違いのような言葉なのですが・・・。

― 知的でない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす。
― 知的でない人はわからないことがあることを恥だと思う。
  その結果、それを隠し学ばない。

 これらの言葉にドキリとしない人がいるでしょうか? 私は痛いところを突かれた思いでした。上の言葉はFBからの孫引きなのですが、人を挑発しようとする際に使う言葉の本質をズバリ突いたものと思います。

 「知的でありたい。人から知的でないとは見られたくない」というのは誰にも共通する思いです。自分と異なる意見を敵対していると見做すことも、自分が知らないことを恥だと思うことも、程度に差はあれ誰もが懐いている思いです。これらの言葉を書いた人も、自分自身にもある性格と認めていたから書けたのだと思います。

 人は誰でも “自分は絶対” と無意識のうちに考えているものです。自己愛(自我?)の為せる業なのですが、他者との関わりの中で懐く優越感や劣等感、さらには慢心や嫉妬心に至るまで、疚しい心の源です。そのどれもが胸の奥底に秘めているもので、人前には晒したくないものです。

 挑発する言葉はこの秘めた部分をやんわり刺激して来るのです。天性のアル中と言われた人は、恐らく自分の気に入らないことの腹いせに、相手の秘めた部分をストレートに言葉で口にしたのでしょう。そんな言葉を受け取った側はどうすればいいのでしょうか?

 それには人の言葉に容易く動揺しないよう心を鍛錬するしかありません。そんな鍛錬には、黙って人の話を聞けるようになるまで場数を踏むことが一番と考えています。その点、アル症の自助会ミーティングは恰好の場となり得ます。

 自助会ミーティングでは、自分を正直に語ろうとしていますから、核心を突く言葉がよく出て来ます。そんな場では、聞き手からすれば話し手が鏡となり、聞き手自身をも相対化した客体とみることができます。

 冷静に聞ける耳を養った後は、発憤材料とするか挑発に乗るかは聞く側に立った者の自由です。選択肢が増える分だけお得です。



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大酒飲みにありがちなビタミンB1不足

2017-07-07 06:58:35 | 病状
 行きつけのスーパーは二階にあり、店の前はペディストリアン・デッキ(歩行者専用広場)になっています。その歩行者専用広場から、一人の老人が階段を降りているところでした。手すりに掴まってはいましたが、足下がふらつきいかにも危なっかしい足取りでした。私よりかなり年輩に見えました。

 どうにか階段を降り切れそうだと見計らい、私が階段を上り始めたときです。ドサッという音がしたので振り返って見ると、階段脇の小さな段差でその老人が倒れていました。その小さな段差には手すりがなかったのです。老人は一人では起き上がれないようだったので、サッと周りから人々が集まりました。それを見届け、私はそのままスーパーに向かいました。

 「(単なる老化のせいではなさそう。ひょっとしてアル中のビタミンB1 不足?)」と思ってしまいました。かつて酒浸りだった私の姿が老人に被って見えたのです。1年半続いた連続飲酒の末期に、私は次のような経験をしています。

 先ず毎日の起床が大変でした。私は畳に布団派ですが、朝目覚めて上半身だけ起き上がれても、寝床からすんなり立ち上がれなかったのです。胡座状態から片膝を立て、片手を膝に、もう一方の手を敷き布団に着いて、上体を前後に揺すって勢いを付けなければなりませんでした。やっと立ち上がれても、勢い余って目の前の襖に頭から突っ込みそうでした。制止しようにも足に踏ん張りが効かなかったのです。これじゃベッドに変えるしかないと真剣に考えたものでした。

 階段を下りるのにも苦労しました。下ろした足に踏ん張りが効かないので、そのまま勢い余って転げ落ちそうだったのです。手すりなしでは怖くて階段を降りられませんでした。緩い傾斜の坂道でも下りはオッカナビックリのヒヤヒヤものでした。これにうつ状態が加勢して益々引き籠もりがちになりました。

 ボタン嵌めにも苦労しました。普通ならできるはずの喉元のボタンやその直ぐ下のボタン嵌めがどうしてもできなかったのです。鏡に映して見ながらどうにか嵌めるという塩梅でした。ここまで来るとアルコール性小脳失調(ウェルニッケ脳症?)のレベルだそうです。

 起床にせよボタン嵌めにせよ、毎日こんな状態だったのでもう介護なしでは生きていけないかも、とぼんやり考えていました。

 アルコール専門クリニックに掛かるようになって、これらの症状がビタミンB1 不足によるものと教わりました。しかも一部はアルコール性小脳失調のレベルだったようです。“カッケ” でよく知られたあのビタミンB1欠乏症です。

 アルコールの解毒に大量のビタミンB1 が消費されるという事実はあまり知られていないと思います。大酒飲みのせいで20年前からアル症と診断されていた私ですから、相当以前からビタミンB1 不足が響いていたようです。掌や指先、足裏にあった微かなシビレ感は、当初、糖尿病性抹消神経炎とばかり思っていました。更に、歩幅が狭くなって歩くのが遅くなったことも、歩き始めると脹ら脛から疲れるというのも、・・・思い当たる節が色々あるのです。

 中でも意欲の萎えは実に巧妙でした。面倒くさいとか、どうでもよいとか、知らず知らずに考えてしまうことです。これも大酒飲みなら誰にでもありがちなことで、アルコール専門クリニックでビタミンB1 点滴補充を受けて初めて欠乏症のせいとわかりました。そのお陰で意欲が回復し、飲酒時代に苦痛だった読書も普通にできるようになれました。
 
 上に述べた症状は、今ではどれも見事に回復しています。これらはビタミンB1 だけではなく、どうやらビタミンB6、B12 も含めたビタミンB群の欠乏によるもののようです。老化のせいと諦めていることでも、ひょっとしたらビタミンB群の欠乏が原因かも知れません。

 豚肉を食べるなど食事でビタミンB1 を摂ればいいと考えるのが普通でしょうが、酒で胃腸が弱った状態では消化・吸収できません。サプリメントでも無理と聞きます。そんな場合に頼るべきは、やはり処方薬のビタミンB1、B6、B12 の配合剤。主治医によるとこれしかないそうです。私は今でもビタミンB群配合剤の服用を欠かしていません。



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“自己憐憫” か?

2017-06-30 06:11:49 | 病状
 “行動に移す” がテーマのミーティングで、あらましこんなことを語ってくれた仲間(仮にAさんとします)がいました。

「アルコール専門病院を退院して、現在、7ヵ月目になります。会社は休職扱いになっていますが、そのうちきっと自主退職を求めてくると思っています。そうなったら応じざるを得ないと考えています。
 二人の子供は高校、中学に通っていて、失業したらこの先学校はどうなるか、・・・生活自体がどうなるか、・・・そんなことばかり考えています。
 行動に移さなきゃ・・・というのはわかるのですが、どうしたものか(途方に暮れ)、なかなか考えられないでいます。」

 自分にも覚えがあるだけに、淡々と語ったAさんの辛さは身につまされるものでした。もし助言を求められたら何をどう話すべきか? と考えてはみたものの、言葉が見つからないままどこか引っかかるモノだけが残りました。

 私が違和感を覚えたのは、自主退社をすんなり受け容れるというAさんの淡泊な考え方でした。

 大事なモノを手放さざるを得ないという、これと似た状況にかつて私も途方に暮れたものです。アルコール問題で妻に家を追い出されてやむなく別居となったとき、私も暗澹たる気持ちに落ち込みました。それでも崩壊した家庭の再建には意外に楽観的でいられました。

 先ず私が考えたのは、息子たちを何としても守らなきゃならないということでした。そのためには金が必要であり、仕事を辞めるなど考えもしなかったのです。何かにつけだらしなくなっていた自分に一定の非があったことは認めていましたが、それでもそれは酒のせいで、アル中などとは考えもしませんでした。妻に未練もありましたし、こんなことでは終われないというプライドもありました。これらが私を後押ししてくれたのです。ただ、まだアル中ではないと否認していたことが後に尾を引いたのだと思います。

 ミーティングから大分後になって気づいたのですが、あのときのAさんの話は “自己憐憫” だったのでは(?)でした。「なぜ自分がこんな目に・・・」と、言外に臭っていたのです。

 断酒歴9~10ヵ月ということは、ドライドランク(PAWS)の好発時期に当たります。恐らくAさんは、ドライドランク(PAWS)の真っ最中にあったのではないでしょうか。その一方で、自分に非があったとハッキリ認め、ジタバタしてもしょうがないとも考え始めていたのでしょう。そんな微妙なところにあってなお “自己憐憫” の気持ちの方が勝ってしまい、「どうしたものか分からない」という言葉になったものと思われます。ドライドランク(PAWS)の最中ならこれもあり得る話です。

 渦中にあると、ドライドランク(PAWS)とはなかなか自覚できないものです。そんな状態では助言など聞いてくれませんし、むしろ反感を持たれるのがオチです。そんなときは黙って聞いてやるのが一番です。

 そんな状態でも声に出して話したことで、Aさん自身も “自己憐憫” に気付けたのではないかと思います。黙って聞いてもらえるミーティングは、ガス抜きと “気づき” の一挙両得にもってこいなのです。

 アルコール専門病院に入院していたのなら、病気についての教育は受けていたはずです。再飲酒に誘う否認やドライドランク(PAWS)の危うさも学んでいたことでしょう。断酒中にやってはいけないこと、是非やってみるべきことも知っていたはずです。

 それらの知識を土台にミーティングに参加し、自分の頭を整理して悩みをありのままに語ったのですから実に理に適った行動でした。Aさんの採った行動は立派の一言に尽きます。

 断酒継続には、“最初の一杯” を何としても避ける強い意志を持ち、規則正しい生活リズムを刻むだけで十分です。そのためなら心を鬼にして非情に徹することも必要です。断酒を続けさえすれば状況は変わり、状況によって考え方も変わります。あれもこれもと浮気していては、どれも手にすることはできません。

 将来への不安は色々あっても、今やるべきことはただ一つ、アルコールが抜け切るまで断酒一つに絞ること。酒を一切飲まないでいれば必ずアルコールは抜け切ります。万が一、助言を求められることがあったなら、このように私は言うつもりです。



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今日も一日、またいい日!(Today is another good day!)

2017-06-27 06:49:04 | 病状
 ついこの間、私の贔屓にしているブロガーが次のような言葉を書いていました。
  「今が一番いいのかも。
    今が一番頂点なのかも。
     そう思って毎日生きている。」
将来への不安などもうたくさんとする諦観の境地が言葉に込められています。この言葉にいたく感じ入りました。

 ここ5年余りの間、完全退職、連続飲酒状態、死の瀬戸際、断酒、諸々の離脱症状、“憑きもの体験”、・・・が続きました。それらを経て、“しらふ” の日々を過ごせるようになった今の私がいます。

 断酒歴丸2年のとき、「人生で初めてと思えるぐらい幸せだと思う」という一文を残していました。この先一体どうなるかにばかり囚われて、将来への不安や恐れで一杯だったことに気付き始めた頃のメモです。私の半生は “何としても生き残らねばならない” という首枷で雁字搦めにされていた、このことへの気づきです。これまで一番の “気づき” でもありました。

 ここに至った転機は、断酒10ヵ月にあった “憑きもの体験” で間違いありません。これを期に様々な “気づき” がありました。今ではどうにか自然体で構えていられ、何かが満たされなくても余り気にしなくなっていますし、感情に振り回されることもほとんどなくなっています。

 気分が落ち着かないときの助け船にと、ゴミ拾いという妙手が見つかったこともプラスでした。今だにゴミを目にする度にカリカリしていますが、拾っているうちに落ち着いてくるのが不思議です。これが怒りの減感作療法となり、今では随分救われています。

 強いて困り事を挙げれば、何かまとまったものを考えて書こうとした途端、ちりぢりに言葉が飛び交って収拾がつかなくなることでしょうか。それも、収拾がつくまで別のことで気を逸らして待っているしかありません。これは、アルコールの遺した迷惑遺産・思考プロセス障害のせいと考えています。

 ものごとは成るように成る、どうにもならないものはどうにもならないのです。ジタバタしても仕方ありません。

 今日も一日、またいい日!(Today is another good day!)

文法的にはメチャクチャですが、これが近頃の心境です。

 どうやら私は人生の断捨離を済ましたようなのです。そう思えてなりません。こんなエラソウなことを書いて大丈夫でしょうか? 思い上がりの隙を突かれてバチが当たらないよう祈るだけですが・・・。



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転んでパンダ顔になる?(血管迷走神経失神)

2017-06-23 06:23:49 | 病状
 道を歩いていると、前方から50歳前後の女性が歩いて来るのが見えました。長い髪を垂らし、踝に届くぐらいの長いスカートを履き、サングラスにマスクを付けていました。見覚えのある恰好に、つい目を凝らしてしまいました。

 髪とサングラスでよく見えなかったのですが、目に隈がチラッと見えました。サングラスとマスクは、どうやらそれを隠すためのようでした。
「(あっ、O 女史だ!)」思わずそう思ってしまいました。サリーマン時代のかつての同僚のことです。

 私が55歳ぐらいの時だったでしょうか、ある一時期、彼女がパンダ顔をサングラスで隠して出勤して来たことが再三ありました。訳を聞くと、転んだからという答がいつも返ってきました。私はてっきりウソとばっかり思っていました。

 その当時、彼女は一人息子のことで金銭トラブルを抱えていたらしく、席を離れては物陰で長電話に掛かり切りのことがよくありました。ただならぬ様子から、かなり追い詰められていたようでした。そんな姿から、恐らく暴力沙汰に巻き込まれたものと勝手に思い込んでいたのです。殴られて目に隈は知っていましたが、手も突かずに顔から転ぶ(顔面転倒)など、私の想像力を超えていました。

 定年退職後の1年半の間に、私も目に隈のパンダ顔を6回も経験しています。失神による顔面転倒でした。視野が、その都度不意に白黒(モノクロ)状態から真っ暗闇になりました。覚えているのはこれだけで、気が付いたら額や眉の生え際から血を流して倒れていました。意識が戻ったのは直ぐのようでした。大抵が、発泡酒を手にゆったり座って寛いでいたときでした。

 顔面転倒を招いた失神は脳の血流減少が直接の原因です。血管迷走神経失神が正式な医学用語で、失神の約20%を占めると言われています。血清Mg濃度の低下が関係するらしいとも言われていますが、私の場合は、大量の発泡酒を飲んでいたことから血清Naの過剰排泄で低Na血症となったせいかもしれません。酒を断ってからは一度も失神はありません。

 血管迷走神経失神のキッカケは、アルコールや睡眠薬の使用、強い痛み、排便、ストレスが知られており、他にも咳や飲み込みの場合もあるそうです。アルコールの場合はアルコール癲癇もあり、癲癇ならば意識が戻った際、痙攣による筋肉痛が残るので鑑別診断できるそうです。(癲癇なら命にもかかわります。ご注意!)

 私の場合、倒れて打った部位にコブや出血はありましたが、顔全体が腫れ上がったりはしませんでした。そう言えば確か、当時の O 女史の顔にも腫れはなかったように思います。彼女は正直に話してくれていたのです。道ですれ違った女性の顔が、果たして腫れ上がっていたのか分かりませんでした。

 人は、他人の日頃の言動から勝手にウソつき、・・・とか決めつけがちです。これこそ色眼鏡を通した “認知のゆがみ” のなせる業、思い込みです。正確な知識と経験の積み重ねがあれば避けられる誤解でしょうが、如何せん限りのある人生、これも仕方ないことかもしれません。精々心懸けるべきは、“ありのままの事実をありのままに受け止め”、その一つひとつを経験知として大切に記憶に留めて置くことでしょうか?
 


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思い込みと旧式蛍光灯

2017-06-13 06:49:15 | 病状
 ご存じと思いますが、マイナンバー・カードさえあれば、住民票や印鑑証明などの行政公文書がコンビニのコピー機でも発行してもらえます。市役所より手数料が100円安く済むというので試してみることにしました。

 コンビニでいざ試してみると、コピー機の表示に暗証番号入力の指示が出て来ました。暗証番号?心当たりがなかったので、しかたなく翌日、市役所に行くハメとなりました。

 翌朝の市役所でのことです。さっそく受付で相談してみると、暗証番号はリセットできるとのことで、担当窓口を教えくれました。併せてその際、写真付き身分証明が必要とも言われました。これにはすかさずマイナンバー・カードそのものが身分証明のはず、と珍しく切り返してみました。やはりその通りと確認できたので、もう出番なしと脳がお休み遊そばしたのかもしれません。
 
 担当窓口の担当者は私のマイナンバー・カードを手に取ると、案の定、カード申請時の申し込み用紙を取り出して来て、記憶がないか聞いてきました。なるほど申し込み用紙には、4桁の暗証番号記入欄がありました。かすかに見覚えがあったのですが、何の数字を書いたのかすっかり忘れていました。
「言われてみればあったような、・・・思い出せませんね。」
「では、リセットになりますね。免許証とかパスポートが身分証明に必要なのですが・・・」とサラリと告げられました。臆するところがなく、さも当然のような口調でした。そんな口調にこちらもすっかり魅入られ
「パスポートなら家にあります。それじゃ改めて、ですね?」と素直に応じてしまいました。

 ことの顛末を報告しておこうと再び受付に向かったのですが、何かに後ろ髪を引かれる思いでした。
「受付で交わした事前のやり取りは、一体何のためだったのだろう?」
歩きながらやっとそう気づいたときです。先ほどの担当者が追いかけて来ました。
「失礼しました。マイナンバー・カードお持ちだったんですね! すぐに手続きできます。どうぞ!」
これでどうにか一件落着となりました。

 双方ともに、二重の意味で思い込みがあったのです。その窓口は新規申し込み受付が担当ですから、通常なら身分証明が必須アイテムです。写真付きのマイナンバー・カードが目の前にありながら、担当者は通常業務通りに身分証明と機械的に口にしたのでしょう。私も私で、あまりにも自然な彼の口調に何の疑問も湧かず、ごく当然と受け容れてしまったのです。どちらの思い込みもいい勝負、何ともシマラナイ話です。

 私としたことが、自信タップリの口調にかくも簡単に落ちるとは・・・。こんなことではオレオレ詐欺の恰好の餌食になりかねません。素直と言えば素直なのですが、あんまりです。肝腎なときになるといつも旧式の蛍光灯状態、つまり気付くのが遅いのです。ここでも遺憾なく発揮されました。
“ありのままを ありのままに受け容れる”、時と場合によりけりです。



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