ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

年頭のご挨拶

2018-01-02 06:22:32 | 病状
 喪中にもかかわらず、西宮神社へ初詣に行ってきました。元朝7時の参道は人も疎らで例年になく寒く、ピンと張りつめた空気が文字通り身の引き締まる思いにさせてくれました。

 年末年始のこの時期は、私たちアルコール依存症者にとって危険この上ない時節です。かつての私は、仕事関係の忘年会やら新年会で、かつまた家庭でのクリスマスやらお正月をダシに、何かと飲んだくれてばかりいました。

 世間全般、今もかくの如しで、ソワソワ浮き浮きした気分が伝染でもしたら生活リズムを崩しかねません。たとえ飲酒欲求が全くなくなったと言っていた人でも、無意識の内にSLIP(再飲酒)してしまったという話もよく聞きます。そうなった誘因は、恐らく生活リズムの狂いにあったのでは(?)と私は睨んでいます。

 アルコール依存症者にとっては規則正しい生活リズムを保つことが何よりも大事です。とは言っても、それがマンネリとなって、駄れてしまったら元も子もありません。することが何もないというのも危険です。

 やはりメリハリを効かすというのが肝腎で、初詣など節目毎の習わしはさすがに気分を一新させてくれるのです。お陰様で、酒なしで迎えた元旦は今年で5回目となりました。ありがたいことです。

 相変わらず堅苦しい内容でおもしろ味のない記事となりそうですが、闘病記録ということに免じてどうかご容赦ください。今年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。



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継続できれば楽になれる?

2017-12-29 08:39:54 | 病状
 断酒中のアルコール依存症(アル症)者は、人付き合いが下手と自認している人が多いのですが、それだからか、それでいてなのか、やることは両極端に分かれるようです。

 一方で、人前で話すのが殊の外苦手とする人がいるかと思えば、それとは逆に何かと人を支配したがる人もいます。そんなことからでしょうか、大体断酒2年ぐらいまでの断酒歴の浅い人が自助グループ内で結構イザコザを起こすようなのです。

 恐らくこれは、想起障害・思考プロセス障害や自信過剰・自我の肥大など、背後にあるPAWSというアルコールの後遺症(?)のせいかもしれません。話そうとした途端、なかなか考えがまとまらないのが想起障害・思考プロセス障害の特徴ですし、何かと人にお節介したがるというのが自我の肥大に当たります。このため些細な言葉の行き違いが起き、いとも簡単に仲違いすることもザラなのです。言葉がストレスとなって、変に偏った解釈に陥りやすいのもPAWSの特徴です。

 この3年9ヵ月の間、AAのミーティング会場2カ所で私が見てきた範囲内のことですが、毎回欠かさずミーティングに出席するメンバーで仲間と連れだって来る人はいません。逆に言えば、仲間と連れだって来る人で長続きした人はいないのです。ほぼ毎回出席している面々は、いずれのミーティング会場でも大体5~7人程であり、各々1人でやって来ては顔見知りの仲間と談笑するというのがミーティング前の定番となっています。これを深読みすれば、長続きしてきた人は仲違いのハードルを目出度く乗り越えてきた人とも言えそうです。

 そんなミーティング前の談笑の場でのことです。専門クリニックの近くにありながら、なぜクリニックの患者仲間がこの会場では少ないのかという話題が発端でした。

「ヒゲジイさんがここに連れて来た人って、今では誰も来なくなりましたよね? 今まで連れて来た人数と言ったら、4~5人は下らないのでは?」

「言われてみればそうだよねぇ。私の不用意な言葉に腹を立てた人もいたし、世話人のチェアーと諍いがあった人もいたねぇ。大方がソーシャルワーカーに口うるさく言われて渋々っていう人だったからねぇ。
 まぁ、(ミーティングに)馴染むのには相当時間が掛かるものなのに、馴染むまで恐らく待てなかったんだろうねぇ。
 そうそう、SLIP(再飲酒)してしまった後ろめたさから来れなくなった人とか、休み休みしているうちに来づらくなった人とか、色々のようだねぇ。」 

「ぼくも2年前、ソーシャルワーカーに口うるさく言われて参加した口です。一時、中間作業所にも通い始めたんですが、気分の動揺が酷くてSLIPを繰り返していました。それでソーシャルワーカーからミーティングの方も止められました。
 それでもやはり続けてみようと、自分1人の意志でミーティングを再開したんです。」

「ほぉ、そうだったの。それなら、なぜまた続けようと思ったの?」

「断酒歴の長い仲間を見ていると、今でも飲酒欲求があるなどと気楽に話していますよね。
 そんな姿を見て、見倣うべきところは見倣えばよい、できることだけやってみようと考えるようになったんです。
 今では何が何でも断酒しなければというのではなく、無理せずに節酒でもいいやぐらいに思うようにしています。
 そうしたらSLIPしても連続飲酒にはならなくなり、少し気が楽になり出しました。そんなことで、これからも気楽に続けていこうと思っています。」

「その通りでいいですよ。実はネ、このミーティング会場に来られている断酒歴の長い人にはクリニックの同窓の人が結構いるんです。
 皆さんホーム・グループは別々なんですが・・・、どなたも自分の意志で、たった1人でここにやって来られていますよ。」

 恐らく初めの頃は、誰しもミーティングがどんなものかも分からずにオッカナビックリやって来たというのが本音でしょう。それでも何とか酒を止めたいという気持ちだけで、勇気を振り絞ってたった1人で出席してきたのだと思います。かく言う私も “たとえ1人でも” の気概で継続してきました。

 とかく無理してでも自分の居場所をミーティングで確保しようと思いがちですが、それではうまくいきません。居場所の確保などとは思わず、馴染むまでじっくり待つことです。

 “たとえ1人でも” の気概さえあれば、継続する力となってくれます。そして継続できさえすれば、そのうち楽になれること請合いなのです。エラソウに言えるほどの経験はないのですが、継続こそが力なり、こう思えるようになりました。


皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。


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回復も感覚が導く?

2017-12-15 06:17:25 | 病状
 偏ったものの見方・考え方のことを “認知のゆがみ” と言い、これをいつまでも引き摺っていることがアル症者の回復を妨げる最大の障碍と言われています。そもそも、認知とは外界の見方・考え方のことで、その見方・考え方が外向けに現われるのが性格だと考えています。また、“認知のゆがみ” による考え方の典型が、何かにつけ “~ねばならない” となる考え方だと言われています。
 
 アル症者がよく口にする言葉に「自分の性格を変えなくてはならないと思っている」があります。無理をしてでも性格を “変えねばならない” と頑張る人が多いのですが、それではうまくいかないと私は考えています。そういう考え方自体が “認知のゆがみ” そのものから出た発想だと思うからです。

 私は「考え方はそのうち自然に変わるのだから、自然に変わるのを待てばよい」と考えています。なぜそういうふうに考えるようになったのか、今回はその経緯を述べてみます。

 このブログを始めた頃の記事『断酒しぃ~てよかったぁ~(その1)』にこんな記述があります。
「日曜・祝日を除き毎日通院が始まり・・・朝8時15分には家を出ることにしました。定年退職前の通勤が戻ってきたようで、すぐに快い生活リズムが蘇ってきました。」

 これは断酒を始めて間もなくの心境を記述した部分です。このように、規則正しい生活リズムを刻み始めて最初に気づいたことは全般的な体調の回復でした。そしてそれは、食欲やお腹の調子、視力、歩き方などに現われてきました。言い換えれば、身体の復調を最初に教えてくれたのが感覚であり、最初に復調したのも感覚だったのです。

 感覚の回復をハッキリ自覚できたのは、“憑きモノ” が落ちた体験後のことでした。そしてその時を境に “ものの見え方” が変わったようなのです。(“憑きモノ” が落ちたという感覚は、単に脳からアルコールが完全に抜け切った感覚だったのだろうと今では理解していますし、こうなれたのは “言語化” をやっていたお陰と考えています。)

 飲酒時代には、道を歩いていて気にも留めなかった、吸い殻のポイ捨てゴミですが、“憑きモノ” が落ちてからは、それがどうにも目障りになり出しました。当たり前のことですが、さらにこれがキッカケで道が他のポイ捨てゴミでも散らかり放題と気づかされました。今振り返ってみれば近親憎悪みたいなものでしょうか、吸い殻ゴミの捨てられている場所に一定のパターンがあり、捨てた人のクセに依存症と共通した行動パターンを読み取ったのだと思います。

 この感覚の変化で、歩いているときにやること(行動の標的)が変わりました。ゴミで散らかった道の酷さに我慢ならなくなり、思い余って最初は素手で、その後はトングを使っての本格的なゴミ拾いが始まったという次第なのです。たとえ道がキレイになったとしてもほんの当座のことなのですが、それが快感となって病みつきになり、ほぼ3年経った今では道のゴミ拾いが日課(趣味?)にまでなっています。

 このように、クセになりやすい行動パターンは飲酒時代とあまり変わっていないのですが、実際にやっていることを見れば、行動の標的が飲酒時代とはほぼ真逆になっています。

 以上の例は、ものの見方が変わったというよりも、“ものの見え方” が変わったとする方が正確な表現だろうと思います。脳からアルコールが抜け切ったことが視覚を回復させ、周りのことがありのまま自然に見えてきたのでしょう。それが行動の標的をも変えたのだと思います。つまり、感覚の回復が行動の標的も変えたのです。恐らくは、視覚ばかりか臭覚など他の知覚の回復も加勢していたのだと思います。

 同様に、素面(しらふ)となった感覚の導きに素直に従っていれば、行動パターンの方も自然に変わり、ひいては考え方も変わってくれるものと思えてなりません。これが「考え方はそのうち自然に変わるのだから、自然に変わるのを待てばよい」と私が考えるに至った経緯です。ひょっとしたら、このことは私個人に限った事象なのかもしれません。もしご自身に当てはまらないようでしたらご容赦ください。



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思うところは皆同じ? “自分が第一”!

2017-12-08 06:41:13 | 病状
 今まで数々のことを教わってきたAAのミーティングですが、中でも印象深かったのは誰もが内心では “自分が第一” と考えていることでした。

 アルコール依存症(アル症)者に共通していることは偏った認知の持ち主ということです。体験談を聞いていると、ほぼ全員が自己中心・自分本位の性格だったと反省の言葉を口にします。これを言い換えれば、自分が可愛くて仕方なく、“自分が第一” だったと言っているのと同じことです。この “自分が第一” も偏った認知の現われなのでしょうか?

 そんな言葉を数多く聞いていると、「これはアル症者に特異的ということではないのでは・・・? “自分が第一” は当たり前と世の中の誰もが弁えていることで、皆がこのことを暗黙の内に了解し合っているだけなのでは・・・?」と次第に考えるようになりました。

 皆が皆 “自分が第一” と我先にワガママを押し通そうとしたら争いになるのは避けられません。そこを巧く折り合っているのが世間一般の道理なのでしょう。その折り合が巧くできず、“自分が第一” の考え方が少しずつ自己中心・自分本位に偏って行ったのがアル症者ではないでしょうか。

 自分の思いを叶えようとするのなら、相手の都合も考慮し、遠回りするのもアリかと自制するのが普通です。ところが、手短な欲望を直ぐにでも叶えたい、何が何でも自分のことを構ってもらいたいと、どうにも我慢できなくなっているのがアル症者です。ものごとには遠回りもあり得るとわかっていながら、こうなのです。

 私をはじめアル症者は皆、そんな不満を酒で紛らわしていましたし、その酒が逆に不満やイライラを増長させてもいたようです。アルコールには、コルチゾール、アドレナリンなど、危機に際して分泌されるホルモンの分泌亢進作用が知られており、アルコールの常用はそうしたホルモンによる興奮状態を持続させ、不満やイライラも増長させるのです。

 “自分を大切にする”  ⇔ “自分が第一” ⇔ “自分を甘やかす”

 上に示したように、“自分が第一” は “自分を大切にする” ということにも、“自分を甘やかす” ということにもなり得ます。この二つは似て非なるもので、まったく異なった意味を持っています。

 一方の “自分を甘やかす” は、近視眼的な欲に目が眩んで無理筋を通そうとするワガママにもなりかねません。そうなれば周囲と無益で無謀な争いが起き、結果的に自分自身が傷つくことにもなります。

 これに対して “自分を大切にする” のなら、決して無理はしません。“損して得取れ” 昔の人はよく言ったもので、結果的に自分が得をすればよいのですから、状況によっては遠回りすることもアリなのです。その際に心懸けるべきはただ一つ、単に “周りの事実をありのままに受け止める” ことだけで良いのですが・・・。

 こうは言っても現役の働き世代の方々にはなかなか難しいことかもしれません。こんなエラそうなことを言えるのも年金のお陰であって、少しずつ貯金を取り崩しながらも働かずになんとか暮らしていける身分だからです。そのことは重々自覚しています。

 それでも私は「人生の帳尻は必ず合うのが自然の摂理」を固く信じ、それゆえに日々ゴミ拾いにも励んで精々自分を大切にしているつもりなのですが・・・。断酒歴4年となった今の私はこんなふうに考えられるまでになりました。



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変調は感覚が最初に教えてくれる

2017-12-05 05:50:13 | 病状
 先週の水曜日のことです。私にしては珍しく、午前中どこにも出かけませんでした。目が覚めたのは朝の5時半頃で、いつもとあまり変わりません。いつもと違っていたことと言えば、気が漲るような感覚がなく、妙にモヤモヤして気分が乗らないことでした。

 モヤモヤした気分の内に8時半が過ぎ、いつもなら日課にしているゴミ拾い兼市役所詣での頃合も逃してしまいました。それならばブログの原稿作成でもと考えたのですが、どうにも気が乗りません。思い浮かぶエピソードはどれもモチーフとするには物足りなく、ましてテーマにすべきは何かが一向にまとまりませんでした。思うところがどうにもチグハグで、モヤモヤした気分に不穏な感覚も加わってきました。

 どうやら私は、所謂 “空白の時間” モードに入ったようなのです。このままグズグズしていては、それこそ生活リズムの乱れに繋がりかねません。すぐに気分転換を計らなければと、まず洗濯をすることにし、その間に入浴もしてしまおうと決めました。

 その成果は上々でした。どうにかこうにかお昼近くになったので、これ幸いと食事をしに近くのスーパーに出かけることしました。スーパーにはイートイン・コーナーがあります。昼食を摂った後は、そのまま図書館に行ってみました。いつも通りに新聞を読み始めたら案の定、いつも通りに睡魔が襲ってきました。食後にお決まりのうたた寝です。行動パターンはこんなときにも健在でした。やはり “空白の時間” には行動するのが一番と実感しました。

 半年ほど前、大腸内視鏡検査の前日にも “空白の時間” を経験しています。そのときは食事制限が主の行動制限が原因でしたが、今回はそんな行動制限などありません。強いて挙げれば、今にも雨が降りそうな曇り空と、北朝鮮のミサイル・火星15型の発射をラジオでしきりに報道していたことでしょうか。この程度のことで浮き足立つ私だとは考えにくいのですが・・・。

 田舎であった姉の葬儀と、そのための長距離移動が今頃になって多少響いてきたのでしょうか? 田舎まで片道1000 km超の陸路を新幹線で6時間以上かけて往復してから10日間ほど経っていました。少し無理をして身体を動かしでもしたら、二~三日後に決まって筋肉痛に襲われる老体の身です。久々の非日常的行動が日を置いてモヤモヤした感覚を引き起こしたとも考えられます。

 このところ急に寒くなった気候も多少影響しているのでしょうか、トイレが近くなって夜中に起きることが多くなりました。睡眠時間は6~7時間と変わらないのですが、微妙に寝不足状態なのをモヤモヤした感覚が教えてくれたのかもしれません。

 内臓の状態にしろ、心の状態にしろ、身体に変調があったら最初に教えてくれるのが感覚です。“病は気から” という言葉がありますが、身体の変調を最初に教えてくれるのは感覚、という全く逆の意味なのかもしれません。この日のモヤモヤした感覚は、上に述べた諸々の要因による身体の変調を教えてくれたのでしょう。今更ながらこんな当たり前のことに気づかされた日でした。
          *     *     *     *
 病気からの回復も病態生理からみたら変調の一つでしょうから、「(病気が)治った / 楽になった」という感覚があるのは当然でしょう。ただし、心の病の場合は感覚通りに受け取るのは危険です。特にアルコール依存症(アル症)の場合は、「もう飲んでも大丈夫!」回復したと勘違いしがちな “ドライドランク” がこの上なく危険な兆候なのです。アル症の皆さん、このことをお忘れなく!



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「私はアル中なんで・・・」(否認の克服)

2017-12-01 07:15:07 | 病状
 経験が少いこともあって冠婚葬祭にはとんと疎い私ですが、告別式の後に初七日の法事も同時に済ますことが普通のようです。先日の姉の葬儀もまさにその通りで、告別式の後、親類一同で初七日の法事が執り行われました。

 法事には食事とお酒が付きものです。断酒を始めて丸4年、この間酒宴からは悉く距離を置いて来て、たとえ酒の席となっても飲まないでいる自信が付いて来ました。それでも親類一同が集う法事です。断酒歴4年の自信と言ってみても、さすがにこの種の酒宴は何とも気が重く、できれば避けたかったのです。

 私の両親が鬼籍に入ったのは、それぞれ父が8年前、母が7年前の2年連続でした。その頃の私はまだ定年前で現役サラリーマンをしていました。とは言っても仕事は教育担当という閑職で、仕事上でストレスを感じることもなく、厄介なアルコール依存症も小康状態にありました。

 それでも2年連続となった両親の葬儀のときには、どうやらアルコール依存症の本領を遺憾なく発揮していたようなのです。つまり飲み出したら止まらない酒だったようなのですが、どうも記憶が定かではありません。少なくとも親類の方々はウワバミだった私の姿をしっかり覚えているはずで、生半可な逃げ口上では酒の勧めを断れそうもありませんでした。気が重いとはこのことでした。

 さて法要の儀式の後、いよいよ酒宴が始まりました。私の席は導師を務めた菩提寺の住職の隣でした。宴が進むにつれ、誰彼となく引っ切りなしに住職にお酌をしに集まって来ました。ついでに隣の私にも酒を勧めるのは道理で、案の定そうなりました。

「実は、私はアル中なんで・・・。酒を断って4年になりますが、一滴でも酒を飲んだら元の木阿弥、また気違い酒になるんです。」私は腹を括って、こう正直に言いました。
「えっ、アル中? そんなふうには見えないけど・・・、まぁ、それじゃ仕方ないね。じゃ何にする、ウーロン茶?」誰もがそう言ってあっさり酌を控えてくれました。

 隣で私の話を聞いていた住職が、こんなことを言ってくれました。この住職は4歳で酒を知り、中学の時には遊びに来た友達と本堂で酒盛りをやったという強者です。
「本音を言うと、私も酒はほどほどにしなきゃいけないと思っているんですよ。早い時間に切り上げたいのは山々だが、一定の時間付き合わないと檀家の方々から(飲み足らないと)不平が出るんです。だから、頃合いを見て引き上げることにしているんですよ。」
正直な言葉には正直な言葉で応じてくれるものと知りました。
             *     *     * 
 私は、46歳にあと半月というときに初めてアルコール依存症(アル症)と診断されました。アル症の知識は中途半端なものでしたが、だらしないとか意志が弱いとかと見られる世間体ばかりでなく、何よりも恐れたのは社会的に抹殺されることでした。

 バリバリの現役サラリーマンでしたから会社に知られでもしたらマズイと、診断事実はおろか、手の震えもひたすら隠しおおそうとしたものです。聞けば、大方のアル症者も同じような恐怖に囚われて、口外せずに秘密のままにしていたと言います。これが、酒に飲まれて無様になった自分を受け容れられず、何とかしてキレイごとのままにしておこうとする否認の素顔かもしれません。

 ― 私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認め
   なくてはならないことを知った。

                    (『アルコホーリク・アノニマス』第3章より)

 思うに、他人の前で自分がアル中と声に出して言えるか否かが肝要なのです。再就職の就活の場で、問われもしないのに告白するバカ正直はいないと思いますが、ここぞという時にはアル中と告白できる正直さが問われているのだと思います。



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「あなたは “底着き” をしていない」と言われて

2017-11-16 06:19:18 | 病状
 恐らく依存症に共通することかと思いますが、アルコール依存症(アル症)は “底着き体験” がなければ回復しにくいと言われています。

 最初の内はこのことを知らなくとも、専門病院に通っていると自然に耳に入ってくるのが “底着き(体験)” という言葉です。しかも回復に関わることなので、自分に “底着き(体験)” があったのか否かはアル症者にとって結構切実な問題となります。

 つい先日のミーティングで “底着き体験” をテーマに選んだ司会者がいました。断酒歴1年ほどの人ですが、「あなたは “底着き” をしていない」と医者から言われ、そのことが今でも尾を引いているようなのです。それで仲間がどんな “底着き” を経験したのか是非聞いてみたいということでした。

 このようにハッキリ負い目を口にした人は二人目です。“底着き” がないなどと告げられたら患者は戸惑うばかり、と医者にはわかっているはずです。それなのになぜ医者は敢えてこれを告げたのか、私にはいまだに解けない謎でした。

 テーマに沿って語る仲間の話に耳を傾けている内に、ひょっとして医者の言葉そのものが “底着き” になり得るのでは(?)という思いが募って来ました。各人の体験が過酷だったことは間違いないのですが、そのとき付け足すように彼らが軽く触れていた医師のコメントの方が決め手だったと思えて来たのです。

 “底着き” とは自分にはどうにもならない状態のことです。言い換えれば、誰からも見放され、縋るものが何もない状態とも言えるでしょう。

 身体が言うことを聞かなくなった末期のアル症者なら、まさしくどうにもならない状態にあります。こんな場合は、アル症専門医に縋る以外急性離脱期から救われる道は他にありません。そんな非常事態について、改めて医者がとやかく言うこともないでしょう。

 場面を変え、もし目の前に身体が回復したからと復職を焦る断酒中のアル症者がいたとします。どう見ても、再飲酒のリスクが依然として高い状態なのでしばらく加療を続けさせようする場合、アル症専門医としてどんな秘策を講じるのでしょうか?

 「あなたは “底着き” してない」というのはその秘策 / 奇策で、再飲酒を一層用心するよう促す脅しの意図だったと考えることもできるのです。アル症者がそのことを気にし始めたらシメタもの。アル症専門医は、ベテランであればあるほど患者自身に考えるよう仕向けるものだからです。私の主治医の院長ならやりかねません。

 専門クリニックに掛かる直前のことですが、私自身にも同様に思い当る節がありました。もしもあのとき一般病院から強制退院させられていなかったなら、さらにこれに追い打ちを掛けるように、もしも妻にも見放されていなかったなら、多分今の自分はない・・・ということです。これらを仕掛けたのはいずれも一般病院の救急救命(ER)の主治医で、彼女が講じた秘策だったのです。

 初期の段階では自覚症状に乏しい糖尿病や高血圧などの生活習慣病の場合、禁煙とか節酒しなければ病気が悪化すると医者に脅されても聞かない人が多いと思います。禁煙や節酒程度で済むぐらい病気が軽いのかと甘く見くびってしまうか、医者の言いつけを破っても見捨てられはしないとタカをくくるか、そのどちらかででしょう。

 もしも医者に「もう来るな!」と言われて匙を投げられたらどうでしょう? 専門医が少ない領域なのにひょっとして医者に見放されるかも(?)と背筋に薄ら寒いものを感じたら、さすがに飲み続ける人はいないはずです。

 私の姪も飲める口ですが、しばらく前に会った時にこんなことを言っていました。手に震え(振戦)があって間違いなくアル中だったようですが、酒を飲み続けたら婦人科領域の持病のホルモン療法を続けられないと医者から言われ、それからキッパリ酒を断ったと。これも医者から見放されたらもうお終いと思ったことが決め手だったのかもしれません。

 その時は、そんなことぐらいで酒が止められるのか(?)と半信半疑だったものですが、諸々の事情を考えると今では十分あり得ることと考え直しました。

 アル症は、まず否認を認めさせ、底の深い病気だと患者自身に自覚させることが肝要です。アルコールが脳から抜け切りさえすれば、例外なしに自分の異常さも自覚できるようになれます。人によってはそうなるまでの仕掛として、専門医による奇策の一言が必要なのかもしれません。こんなふうに考えるのは少し穿ち過ぎでしょうか。



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患者説明文書はよく読んで!

2017-11-14 06:24:24 | 病状
 先週の金曜日、大腸内視鏡下でポリープ摘除術を受けました。今回は2度目でもあり、準備万端で臨んだつもりでした。「つもり」と言うだけあって、実は大きな “手抜かり” があったのです。

 術前に心すべきことはいくつかありました。大きな課題を順に挙げてみますと、まず、6日前からの血液をサラサラにする薬の休薬、前日の検査食主体の食事、入院時の身の回りの品々の準備、それから当日朝の下剤服用となります。その中で今回は少し工夫したことがありました。

 先ず前日の検査食ですが、朝の6時半には検査食以外の「たまごとみるくのケーキ」(4コで320 Cal)を別途摂りました。検査食(1日分計730 Cal)だけでは到底一日持たないので、前回検査時の経験を生かしてみたのです。昼食以降は所定の検査食を2回に分けて戴きました。前回は無くて悔やまれた新聞2紙とラジオも、入院中の無聊を慰めるためしっかり持参することにしました。

 これで術前の準備は完璧と考えていました。それでもなお、大きな見落としがあったのです。患者説明文書にある術前・術後についての部分をよく読んでいなかったことです。一昼夜点滴を続ける旨、その部分には書かれていたのですが、一度経験したのをいいことに迂闊にも読み飛ばしていたのです。先に述べた “手抜かり” とはこのことでした。

 大腸内視鏡下のポリープ摘除術は、午後2時から始まり終了まで1時間強かかりました。5 mm大のポリープ1つの外、大きさがそれ未満の3つもすべて摘除することになったからです。これに加え今回幸運だったのは、施術終了間際に腸内ガスも抜いてもらえたことでした。

 大腸内視鏡が辛いのは、何と言ってもエイリアンが腹の中で暴れ回っている感覚の圧迫痛が続くことです。腸内に注入されたガスで大腸が膨張したためなのですが、ガス抜きがないとこれが翌日の朝食後まで続きかねないのです。ガス抜きのお陰で術後のお腹は頗るスッキリ快調でした。

 術後3時間は絶対安静を守るよう指示され、点滴が再開されました。点滴は体のよい拘束で、患者に安静を保たせるには絶好の処置なのです。実は、入院手続きを済ませて病室に入った午前10時から既に点滴が始まっていました。術前処置として当然なので何の疑問も持ちませんでしたし、いつまで続くのかも聞かないでいました。

 点滴が再開された後も、しばらく安静にさえしていたら、遅くとも翌朝早くには点滴が外されるものと思い込んでいました。病院の敷地内は院内規則で禁煙なのですが、うまくいけば院外に出て喫煙も可能だろうという甘い下心もありました。この思い込みが曲者で、下心は依存症者特有の執着心の化身なのです。

 いつの間にやら寝入っていたようです。夜中の12時過ぎ、人の気配で目が覚めました。担当の看護士が体温、血圧、血糖値の測定に来ていたのです。測定結果を聞くと血糖値は122 mg/dLでした。やや高血糖なのは点滴のせいと看護士が説明してくれました。さすがに術中・術後のストレスから気が立っていたようで、私はついこれに噛みついてしまいました。

「丸1日以上の絶食状態なんですよ。それなのにそんな高い数値ですか!? 糖尿病の身なんですからもう点滴を抜いてくださいよ。でなければ自分で勝手に抜きますよ。」
「まぁまぁ、落ち着いて。朝になって出血がないことを確認してから(点滴を)止めることになっていますから・・・。」
「それなら今トイレで確認しましょう! 出血してるなら、もう出ているはず・・・」。

 トイレでは小水とガスしか出ませんでした。出血なしと確認できたにもかかわらず看護士は点滴を抜いてはくれませんでした。いくら頼んでも処方権のない看護士には土台無理な話なのです。
「早く終えるため、点滴スピードを速めましょうか?」という看護士の提案がありましたが、これ以上高血糖になるのが怖かったので断りました。

 翌朝は6時半に目が覚めました。間もなく別の看護士が見回りに来ました。担当が代わったことをこれ幸いと、早速、点滴中止を申し入れてみました。ちゃんと引き継ぎされていたらしく、しばらくして医者の了解が取れたと点滴を外してくれました。プラスティック・ボトルには輸液が半分ほど残っていました。

 さて、点滴が外れたらやることは決まっています。早速着替えると、こっそり院外に出ました。21時間ぶりに吸うタバコの何と効くこと、最初の一服で危うく気を失いそうになりました。なるほどこんな危険を避ける意味でも外出禁止となっているのかと、院内規則に納得させられました。

 今回すべての非は、予め患者説明文書をよく読んでいなかった私にありました。あのとき看護士が説明文書に書いてあると念押しさえしてくれれば素直に引き下がったでしょうが、それも詮無きこと。自己管理がうまくできなかったため、看護士には何とも大人気ないことをして気の毒なことでした。もし予め患者説明文書をよく読んでいたなら、下心も起こさず無難に済んだことと残念でなりません。

 まぁ、ポリープすべてを始末できたことですし、自分にはまだ依存症気質が健在だと再確認もできたのです。これは大きな収穫です。今回はそんなふうでヨシとしましょう。それにしても、いついかなる時も “平常心” はまだまだ先のことのようです。



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表彰を受ける楽しみは小分けして・・・

2017-11-10 06:56:28 | 病状
 専門クリニックでは断酒を継続した期間に応じて月一回、第二土曜日に表彰式があります。対象者は継続断酒3ヵ月、6ヵ月、その後は1年毎の人になります。通院歴が長いからと言って表彰が受けられるわけではありません。

 私の場合は、明日11日の第二土曜日が4年表彰の予定でした。一年前からこの日の来るのが楽しみでした。今月は他にも喜ばしい知らせを受けていました。11月15日に日赤の10年表彰式にも招待されていたのです。滅多にない二重の楽しみでワクワクしていました。

 今年の5月に2年に一回の大腸内視鏡検査を受けました。この検査は定期通院している糖尿病外来からの依頼という形式を取ります。前回と同様、今回も直腸付近に5 mmのポリープが見つかりました。そんなものかな(?)というのが私の正直な気持ちでした。

 このとき同時に虫垂付近にも不審な所見が見つかったので、その後の糖尿病外来日にCT検査も受けました。その結果を受け、さらに3ヵ月後の糖尿病外来予約日に合わせ、やっと10月下旬に消化器内科の予約受診となれたのです。この時までに私はポリープ摘出術を受けることを決めていました。

「ポリープ摘出術だと術後の当日1日だけ入院して貰います。大腸内視鏡は火曜日と金曜日なんですが・・・?」と先生。火曜日と木曜日はAAのミーティングの日ですから、火曜日のミーティングを欠席するわけにいきません。
「火曜日は先約があり、金曜日の方が都合付きます。」と私。
「そうすると次回の金曜は3日の祝日なので、早くても次の10日になりますが・・・?」
「それでお願いします!」勢いでこう言い放った途端、何か引っかかるものがありました。それが何かはわかりませんでした。

 病院で施術当日に提出する書類やら、施術前日の検査食や当日服用する腸内洗浄用下剤やらを受け取り、家まで歩いて帰って来たのですが、やっと一服できた時になってハッとしたのです。施術で入院すると、退院日は11月の第二土曜日になります。引っかかりが何だったのかやっと気付けました。

 そう気付くや、さあ大変です。久々にどうしたらよいか狼狽えてしまいました。アルコール漬けで二者択一に囚われた頭なら、何が何でも先約優先とそれ以外は思いつかなかったことでしょう。飲酒時代はそれほど思い込みが激しかったのです。

 ところが今回は違いました。しばらくすると、どんな選択肢があるのか冷静に考え始めていました。

 先ず、まだ予約変更には時間があると気を落ち着かせることができ、予約変更するにしてもポリープ摘出術と断酒表彰式とではどちらが変更しやすいかシミュレーションしてみることもできました。当然、変更するなら断酒表彰式の1ヵ月先延ばしの方が簡単です。さらに、月を超えて表彰式を2回楽しめるとも気付けました。喜ばしいことは小分けした方がその分長く楽しめるのです。

 飲酒時代の以前なら、こんな当たり前のことでもなかなか落ち着いて考えられなかっただろうと思います。そんなふうに考えると、断酒して早4年が経ったことに何とも感慨深いものがありました。


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ヒゲジイのブログが開設して丸3年経ちました(下)

2017-09-22 06:30:54 | 病状
 この3年をざっと振り返ってみると、何のことはないその時々の “気づき” を肉付けして記事にしてきただけの話です。

 最近はハッとするような “気づき” の機会が少なくなりました。
「(これは以前も記事にしたことがあるのでは?)」という事例が多くなっています。ピリッとした頭の冴えも少なくなって、どうやら老人ボケで感性が鈍くなったようなのです。

 加えてこんな悩みもあります。現役時代は簡単にできたことなのに、今では記事原稿を一気に書き上げることなどできなくなりました。いざ書こうとした瞬間、さまざまな文案が飛び交って収拾がつかなくなるのです。

 これは思考プロセス障害のせいと思い、先日専門クリニックの S 先生に尋ねてみました。
「それは老化のせい」と S 先生はニベもありません。続けて
「思いついたら箇条書きにして行けばいいんです」とアドバイスをくれました。
「(やはり S 先生も同じなんだ!)」私は二重の意味で納得してしまいました。

 長い文章を要約する際、段落ごとの要旨を箇条書きにしますが、書くときはこの方法の真逆をやればよい、というのが S 先生のアドバイスです。思いついたキー・ワードを箇条書きにして行き、それらを元に論旨展開を考えて肉付けして行く方法です。実は私もこの方法でやっているので同年代の S 先生の意図がよくわかりました。

「一文を書いてみなければ何も始まらない」これがすべてです。
後は一旦考えを寝かせ、具体的文章イメージがふつふつと湧き上がって来るのを待つだけです。何事もやってみなければ何も始まりません。

 ご覧のように私のブログには写真も動画もなく、文章だけの地味な記事です。それにもかかわらず多くの方々に読んでいただいています。こんな有り難く幸せなことはありません。

 言葉は使わなければ忘れるだけです。これからもボケの進行抑止のため日々原稿執筆に励んでいきたいと思っています。
(この項おしまい)



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