ちょっと遅蒔きのきらいがありますが、医薬品の臨床開発全体の流れを説明しておきます。医薬品の臨床開発にはいくつかの段階があります。大きく分けて4段階から成ります。
4段階という数は成書と同じですが、私の実体験を振り返って各々の意義を整理した上で分類してみたもので、各段階の中味が少し異なります。また、業務遂行に当って要求される能力も、出張と内勤が入り乱れた体力戦か、集中力と緊張感が必要な神経戦かのいずれの色彩が濃いかによって決まり、両者が混在している巴戦なのが実際です。
それぞれの開発段階で体力戦か神経戦か、どちらの色彩が濃いかについても説明しておきましょう。
最初の段階(臨床開発計画の企画立案~第Ⅰ相):
まず着手すべきは、最終段階の比較検証試験で何を対照薬(既に患者に広く使われている市販の医薬品のこと)にするかです。対照薬との比較を常に想定して、治験薬の使用方法(用法・用量と言います)を絞り込む手順を決めることが即ち臨床開発計画となります。
第Ⅰ相は初めてヒトに使用してみる段階です。健康な成人男性ボランティアを募りキメ細かい管理体制の下で、小グループごとに低い用量から次第に高い用量へと増量していきます。特に初回には極めて低い用量から始めますし、何が起こるか大体の見当が付いているのですが、それでもさすがに緊張します。
血中薬物濃度を頻繁に測定し、血中の薬物動態を調べることが、症状の観察と並ぶ重要な柱となります。
どの程度の薬の用量まで耐えられるのか、内服薬の場合は食後の服用が良いのか、それとも食前などの方が良いのか、さらに1日に何回の服用が必要なのかを決めます。
その他に重要なことは、使用量に正比例して体内に吸収され排泄されるのか、長期間にわたって使用を続けても体内に蓄積する恐れがないのかも調べます。
他の段階も各々それなりに重要ですが、取分け開発品の成否を左右するという意味で、第Ⅰ相は戦略的に最重要と位置付けられるべき段階です。素人目には軽く見られがちですが、臨床開発計画がシッカリしていないと、先に進んでから第Ⅰ相のデータ不足で泣きを見ることもあるのです。どちらかと言えば神経戦の色彩が濃く、体力的には余裕の段階です。
中盤の段階(前期第Ⅱ相と後期第Ⅱ相):
ここからは、予定している適応症の疾患に罹っている患者が対象の段階です。
前期第Ⅱ相では、動物を対象とした基礎研究で明らかにされていた作用が、患者でも再現されるのかを確認します。
患者で作用が確認できたら、次の後期第Ⅱ相は用量の探索です。比較検証試験で比較相手となる対照薬よりも、効果で優ることが期待できる用量を決めるのです。この時の用法・用量は第Ⅰ相の健康成人で経験した範囲内とします。
対照薬にはない作用についても確認し、セールスポイントとして際立たせるべく比較検証試験に備えておきます。また、長期の安全性を確認するため、1年間の服用期間を目途とした長期試験も開始します。
後期第Ⅱ相では患者数、病院数とも大幅に増やしますから、まさしく体力勝負の色彩が濃い段階です。
最終の段階(第Ⅲ相~承認申請):
第Ⅲ相は比較検証試験の実施から承認申請までの段階です。
比較検証試験では、患者に治験薬か対照薬のいずれかを使用してもらい、病気に対してどちらの薬剤の方がより有効かを比較します。開発品と担当PMの運命を決定する判決が下される段階です。
比較検証試験と同時並行で、併用薬として汎用される薬剤を使用中の患者だけに絞って対象とする治験や、高齢者の患者ばかりを対象とする治験など、同じ病気でも特別な背景を持つ患者に絞った治験も実施し、それらのデータを揃えておきます。これは、多様な患者を対象とする医療現場のニーズに応えるためのものです。[(その4)と内容が一部重複しました。]
すべての治験が終了したら、承認申請資料概要を作成します。
資料概要は、すべての治験成績を横串にして簡潔に要点をまとめた概要と個々の治験成績の概要、さらに市販に際して添える添付文書(いわゆる能書です)案の3つから構成され、個々の治験成績(当時は公表論文)のすべてを添えて(臨床領域の)承認申請資料として国に提出します。ちなみに添付文書の重要部分は治験成績を根拠としたものです。
この段階では、体力戦と神経戦の両者の色彩を濃く持っており、全能力の総動員体制となります。資料概要作成は、まだ攻める気分で臨めるので辛くても楽しい作業です。
忍耐と辛抱の段階(承認申請後):
承認申請資料提出後、当局の承認審査が始まります。
承認申請した会社側の主張は、すべて申請資料中に盛り込んでありますから、承認審査が始まると、会社側の主張に対して当局側から照会事項と称する疑問・質問が矢継ぎ早に文書で出されて来ます。会社側の主張が妥当なものかについて、その合理的根拠を質して来るのです。申請資料の範囲内のデータから文書で回答しなければならず、会社側=PMは一方的に受け身の立場にならざるを得ません。
申請データの範囲内で回答出来ない場合は、追加で治験の実施が必要となってしまいます。そうなると一旦申請を取り下げ、追加データで補強した上で再度承認申請することになります。
照会事項の文章解釈に苦労する場合もあります。解釈を間違い、回答が不適切なものであれば、さらに新たな照会事項を呼ぶことになり、下手をすれば泥沼に嵌るような悲惨な結末にもなりかねません。
何が模範回答かが分からない、退路を断たれた心境に追い込まれる段階です。これ以上最悪な神経戦を知りません。
************************************************************************************
以上が臨床開発の大きな流れです。現在では承認申請資料はすべて公開されています。
公開された資料を見て、医薬品として承認されたのは尤もだと誰もが納得できることが重要です。誰が見ても理解できる資料を作成すること、これが新薬開発に携わる者として最も心しておかなければならないことです。
モノが優れているか、逆に劣っているかは比べてみて初めて分かることです。従来品と違うものか、あるいはほとんど同じものかも、比較してみれば一目瞭然です。従来から、当局がしきりに比較試験を要求してくるのはこの理由からです。当局は国民に新薬として承認した説明責任を負っていますから、当然といえば当然です。比較検証試験ばかりでなく、根幹となる重要な主張には比較した成績をその根拠とすることが肝要です。
私がPMとして担当していた新Ca拮抗薬Pは臨床開発の最終段階に入っていました。
当局との遣り取りを通じて固まった承認申請資料最終版は公開されています。伏せ字はありますが、承認された新医療用医薬品の詳しい情報が見られますよ。
(独)医薬品医療機器総合機構の医薬品関連情報
アルコール依存症へ辿った道筋(その11)につづく
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4段階という数は成書と同じですが、私の実体験を振り返って各々の意義を整理した上で分類してみたもので、各段階の中味が少し異なります。また、業務遂行に当って要求される能力も、出張と内勤が入り乱れた体力戦か、集中力と緊張感が必要な神経戦かのいずれの色彩が濃いかによって決まり、両者が混在している巴戦なのが実際です。
それぞれの開発段階で体力戦か神経戦か、どちらの色彩が濃いかについても説明しておきましょう。
最初の段階(臨床開発計画の企画立案~第Ⅰ相):
まず着手すべきは、最終段階の比較検証試験で何を対照薬(既に患者に広く使われている市販の医薬品のこと)にするかです。対照薬との比較を常に想定して、治験薬の使用方法(用法・用量と言います)を絞り込む手順を決めることが即ち臨床開発計画となります。
第Ⅰ相は初めてヒトに使用してみる段階です。健康な成人男性ボランティアを募りキメ細かい管理体制の下で、小グループごとに低い用量から次第に高い用量へと増量していきます。特に初回には極めて低い用量から始めますし、何が起こるか大体の見当が付いているのですが、それでもさすがに緊張します。
血中薬物濃度を頻繁に測定し、血中の薬物動態を調べることが、症状の観察と並ぶ重要な柱となります。
どの程度の薬の用量まで耐えられるのか、内服薬の場合は食後の服用が良いのか、それとも食前などの方が良いのか、さらに1日に何回の服用が必要なのかを決めます。
その他に重要なことは、使用量に正比例して体内に吸収され排泄されるのか、長期間にわたって使用を続けても体内に蓄積する恐れがないのかも調べます。
他の段階も各々それなりに重要ですが、取分け開発品の成否を左右するという意味で、第Ⅰ相は戦略的に最重要と位置付けられるべき段階です。素人目には軽く見られがちですが、臨床開発計画がシッカリしていないと、先に進んでから第Ⅰ相のデータ不足で泣きを見ることもあるのです。どちらかと言えば神経戦の色彩が濃く、体力的には余裕の段階です。
中盤の段階(前期第Ⅱ相と後期第Ⅱ相):
ここからは、予定している適応症の疾患に罹っている患者が対象の段階です。
前期第Ⅱ相では、動物を対象とした基礎研究で明らかにされていた作用が、患者でも再現されるのかを確認します。
患者で作用が確認できたら、次の後期第Ⅱ相は用量の探索です。比較検証試験で比較相手となる対照薬よりも、効果で優ることが期待できる用量を決めるのです。この時の用法・用量は第Ⅰ相の健康成人で経験した範囲内とします。
対照薬にはない作用についても確認し、セールスポイントとして際立たせるべく比較検証試験に備えておきます。また、長期の安全性を確認するため、1年間の服用期間を目途とした長期試験も開始します。
後期第Ⅱ相では患者数、病院数とも大幅に増やしますから、まさしく体力勝負の色彩が濃い段階です。
最終の段階(第Ⅲ相~承認申請):
第Ⅲ相は比較検証試験の実施から承認申請までの段階です。
比較検証試験では、患者に治験薬か対照薬のいずれかを使用してもらい、病気に対してどちらの薬剤の方がより有効かを比較します。開発品と担当PMの運命を決定する判決が下される段階です。
比較検証試験と同時並行で、併用薬として汎用される薬剤を使用中の患者だけに絞って対象とする治験や、高齢者の患者ばかりを対象とする治験など、同じ病気でも特別な背景を持つ患者に絞った治験も実施し、それらのデータを揃えておきます。これは、多様な患者を対象とする医療現場のニーズに応えるためのものです。[(その4)と内容が一部重複しました。]
すべての治験が終了したら、承認申請資料概要を作成します。
資料概要は、すべての治験成績を横串にして簡潔に要点をまとめた概要と個々の治験成績の概要、さらに市販に際して添える添付文書(いわゆる能書です)案の3つから構成され、個々の治験成績(当時は公表論文)のすべてを添えて(臨床領域の)承認申請資料として国に提出します。ちなみに添付文書の重要部分は治験成績を根拠としたものです。
この段階では、体力戦と神経戦の両者の色彩を濃く持っており、全能力の総動員体制となります。資料概要作成は、まだ攻める気分で臨めるので辛くても楽しい作業です。
忍耐と辛抱の段階(承認申請後):
承認申請資料提出後、当局の承認審査が始まります。
承認申請した会社側の主張は、すべて申請資料中に盛り込んでありますから、承認審査が始まると、会社側の主張に対して当局側から照会事項と称する疑問・質問が矢継ぎ早に文書で出されて来ます。会社側の主張が妥当なものかについて、その合理的根拠を質して来るのです。申請資料の範囲内のデータから文書で回答しなければならず、会社側=PMは一方的に受け身の立場にならざるを得ません。
申請データの範囲内で回答出来ない場合は、追加で治験の実施が必要となってしまいます。そうなると一旦申請を取り下げ、追加データで補強した上で再度承認申請することになります。
照会事項の文章解釈に苦労する場合もあります。解釈を間違い、回答が不適切なものであれば、さらに新たな照会事項を呼ぶことになり、下手をすれば泥沼に嵌るような悲惨な結末にもなりかねません。
何が模範回答かが分からない、退路を断たれた心境に追い込まれる段階です。これ以上最悪な神経戦を知りません。
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以上が臨床開発の大きな流れです。現在では承認申請資料はすべて公開されています。
公開された資料を見て、医薬品として承認されたのは尤もだと誰もが納得できることが重要です。誰が見ても理解できる資料を作成すること、これが新薬開発に携わる者として最も心しておかなければならないことです。
モノが優れているか、逆に劣っているかは比べてみて初めて分かることです。従来品と違うものか、あるいはほとんど同じものかも、比較してみれば一目瞭然です。従来から、当局がしきりに比較試験を要求してくるのはこの理由からです。当局は国民に新薬として承認した説明責任を負っていますから、当然といえば当然です。比較検証試験ばかりでなく、根幹となる重要な主張には比較した成績をその根拠とすることが肝要です。
私がPMとして担当していた新Ca拮抗薬Pは臨床開発の最終段階に入っていました。
当局との遣り取りを通じて固まった承認申請資料最終版は公開されています。伏せ字はありますが、承認された新医療用医薬品の詳しい情報が見られますよ。
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