ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“心の落ち着き(serenity)”が分かる? (言語化入門)

2015-03-06 22:01:45 | 言語化
 己を知るとは自分の過去と対話することです。断酒の誓いを破って再飲酒などしないよう、今の自分に出来ることは自分の酒害体験と向き合うことしかありません。自分の過去と対話することでのみ、移ろいやすい心の反応パターンを知ることができると思うのです。

 手がかりはマイナス感情にあります。怒り、羨(うらや)む、悔しい、(自分が劣っていて)口惜(くちお)しい、蔑(さげす)む、憎む(い)、呪う、恨む、嫉妬(妬み、嫉み)などがマイナス感情と言われるものです。マイナス感情の標的が誰で、その原因やキッカケ(契機)が何だったのかを知ることが鍵になります。

 マイナス感情の原因は大抵記憶の中に埋もれたままなので、なかなか思い出せないものです。どうも無意識に隠しているようなのです。それを掘り当てると不思議に心の落ち着きを取り戻すことができます。

 備忘録としての酒害体験や、それを発展させた自分史を叙述するようになって、私は取り憑かれていた妄想から解放されました。私が実践した方法をご紹介します。

 以下が私の採った方法です。書き初めには、酒にまつわる出来事のうち、比較的強く印象(記憶)に残っている思い出から始めるのがよいと思います。

 先ず、思い出した出来事そのものを書いてみてください。5W1H、特にWhy(なぜ?)を意識して、場面を描写し物語風に叙述してください。物語風の叙述の方が心の動きを的確に表現するのに好都合だからです。

 ひとつの出来事について書き出すと、あんな事もあった、こんな事もあったと、それにまつわる事柄が次から次へと溢れるように思い出されてきます。消えて居なくなればいいのにとか、ぶっ殺してやりたかったとか、酒にまつわる思い出には物騒な話題が多いと思います。恐らく、何処かにこの思いをぶつけたいという、遣り場のない気分が絡んでいたことでしょう。それも書き綴ってください。

 満足いく言葉や表現が直ぐに浮かび出て来ることはむしろ稀です。どこかが違う、何かがシックリしない、その違和感を大切にしてください。記述したものがその当時に抱いた(と思う)気分と合致しない場合は、意図とは違った言葉や表現を用いた可能性が高いと思います。違和感がなくなるまで言葉と表現に拘ってみてください。

 私の場合、ひとつの言葉を絞り出すのに2時間以上かかったり、1週間ぐらい経ってから歩いている時などにポッと浮かんで来たりしたことが何回もありました。私たちの脳は、歩くなど動いている時の方が活発に働くようなのです。修飾語の言葉が不適切だったり、修飾語の順番が逆だったりしたことが違和感の原因のこともありました。

 言葉と表現が当時の気分とシックリ合致すると、「うんコレだ、アタッタ」と分かるものです。突然謎が解けたときに経験する、頭の中がピカッと光る感覚と、何とも言われぬ至福感とが味わえます。

 この時、心の奥底にあったモヤモヤ(ザワザワ)した重いものが少し消えてスッキリしたことに気付くはずです。そのモヤモヤ(ザワザワ)した重いものこそが、あなたが無意識のうちに悩んできたものかもしれません。言葉となって眼に見えた瞬間がアタッタ感覚なのです。

 このアタッタ感覚はとても大切です。この辺でいいやと中途半端に妥協したり、そこそこに繕ったり、外聞良く装ったり、触れたくないから書かなかったり、果ては全く触れないでいたりすると、このアタッタ感覚は得られません

 中途半端に妥協せずに、満足いくまで徹底的に吟味し、目指す言葉を的確に捕まえることです。自分の本心を誤魔化し、正直になれないままでは、心の奥底にあるモヤモヤ(ザワザワ)の正体を暴くことはできません。自分の思いを形にできるのが言葉です。自分の悩みや妄想の正体を暴けるのも言葉です。

 言葉と表現に満足できたら、当時の表現にモヤモヤ(ザワザワ)していたものがマイナス感情に因るものだったと気付くはずです。特に、感情のベクトルが他人だけに向かう嫉妬(妬み、嫉み)には注意してください。人間は皆平等という偽善の裏表の感情で、“おもしろくない” ときの典型的なマイナス感情です。心の奥底に隠したままでいたい澱のように重い感情です。

 酒にまつわる出来事を正直に叙述することは自分の体験を客観化する作業です。当時の心の動きも客観的に把握することになります。数多くの酒害体験を叙述すればするほど、それだけ自分の心の反応パターンが明らかになります。

 心の反応パターンがわかって来ると感情のコントロールも可能となってきます。現在の心の動きを知る道標は、過去に体験した心の動き方を知るしかありません。どのような状況で、苛立ちや不安、遣り場のなさ、気持ちの空回りなどに襲われたのかがわかれば、それに備えることも出来るのです。

 これらの感情に襲われたときに、つい酒に手が伸びたことは経験済でしょう。飲酒へと誘うのは “おもしろくない” 心です。そこから湧き出すのがマイナス感情で、性格の現れでもあります。

 その正体が目に見えたとき、心が晴れ晴れし、 “心の落ち着き”  がわかります。これが体験を叙述するという客観化の効用です。この時の心境は、断酒3ヵ月以降の一時期に経験する見せかけの回復期と似てはいますが、その頃の明鏡止水のような心境とはちょっと違います。大概のストレスや変化に対応できるしなやかで平穏な心、即ち平常心(serenity)のようなのです。

 酒にまつわる思い出一つひとつの客観化を進めると、相互の出来事の間に関連性が見え始めてきます。そうしているうちに、アルコール依存症に陥ったことをモチーフに自分史を書いてみようと思い立ちました。後になってわかったことは、これこそが “言語化” で、認知行動療法の一つだということです。自分史を書くということは “言語化” の実践そのものです。
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 頭の中でぐるぐる考えるだけでは片っ端から忘れてしまい、むしろ心に重い澱が溜まっていくだけです。酒を飲んで一人で不平・不満をグダグダ愚痴っても、その不平・不満が解消できた思い出が一つとしてありません。

 患者自助会で体験談を語ることも、まさに客観化の効用が期待できることだと考えています。仲間に体験談を語ることも、逆に仲間の体験談を黙って聞くことも、共に自分の奥に埋もれた過去を探っていることになるのです。

 話しっ放し、聞きっ放し、その場限りの他言無用のルールのお陰で、正直に話しているうちに予期しない事柄(意識に上っていなかったそもそもの起因など?)までも思わず口をついて出ることがあります。

 仲間の体験談に反感や妙な引っ掛かりを覚えることもあります。体験談が眠っていた記憶をチクチク刺激して来るのです。まさにアタッタ感覚と同じで、自身の奥に隠された悩みや妄想の尻尾(しっぽ)を捕まえるチャンスとなります。

 話し手と聞き手が共に同じ依存症者であることも長所だと思います。同じ病の患者同士ですから、それぞれの体験が肝腎のところで共通する部分が多いのです。“仲間は生きている鏡” と表現した人がいました。言い得て妙と思います。

 繰り返しになりますが、声に出して聞き手に話をすることや、文字を書いて叙述するには筋道を立てる論理的思考力を要します。言葉によって、悩みや妄想を論理の世界に引っ張り出して客観化することで、心に “落ち着き=秩序” を取り戻すことが出来ます。秩序ある心は安定します。私はそのお蔭で、今では他人と話すときに冗談や軽口をたたけるようになり、笑いを誘って会話が弾むようになりました。

 食欲、睡眠欲、性欲と並ぶ人間の根源的欲求に承認欲求があります。承認欲求は自分のことを理解されたい、周囲に受け入れてもらいたいという欲求のことです。アルコール依存症者は承認欲求がとても強いと言われています。誰も相手にしてくれないので自分は疎外されていると、いつも孤独感に苛まれています。

 承認欲求の解消には自分に相応しい自己表現の手段を持つことが鍵だと言います。絵を描くことや、作詞や作曲をすることもいいでしょう。回復期にあるアルコール依存症者として、私は自分史を叙述することを選びました。体験記をブログに投稿することで自己表現の場が得られ、私のブログを読んでくださる方もぼつぼつ現れるようになりました。ありがたいことです。


“空白の時間(とき)”と折り合う』、『回復へ―アル中の前頭葉を醒まさせる』も併せてご参照ください。

「アルコール依存症へ辿った道筋」シリーズは私の体験を綴った自分史です。こちらも引き続きご贔屓に!


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コメント (1)
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