樹木希林の最後の映画『日日是好日』を見てきました。黒木華、多部未華子らとの共演で、昨年10月の初公開から既に9ヵ月経っています。市と市の教育委員会の主催なので、私のようなものにはほぼ評価の固まった映画を楽しめるいい機会となっています。
「8歳の時、イタリア映画『道』を家族で一緒に見た。
ちっともおもしろくなかった。」
冒頭場面のこのナレーションから、人生の奥行きの深さを茶道という芸の “道” に絡めてみようとする制作意図が見て取れました。
物語は、典子(黒木華)、美智子(多部未華子)二人の新弟子と師匠の武田先生(樹木希林)との3人だけの稽古場風景を軸に、典子の日常生活や四季折々の自然描写を織り交ぜて進みます。ここぞという場面には、含蓄のある言葉がサラッと仕込まれていて、まるで人生の道標のようでした。
ここでは、それらの言葉から二つだけ取り上げてみます。
「お茶は形から入っていくものなのよ。頭で考えていてはダメ、身体で覚えるのよ。」
典子と美智子が二人で初めてお稽古に行った日のこと。新弟子二人が初めて知る所作の意味にこだわりを見せていたとき、武田先生の言った言葉です。
「先ず行動に移してやってみて、それを “自動行動” になるまでやれ」私にはそう聞こえました。“自動行動” とは、完全に無意識下でやる習慣化した動作のことで、私が勝手にそう名付けたものです。
いちいち頭で意味など考えずに自動的にやる動作のことですから、雑念が入り込む余地などありません。完全に習慣化していれば無心にもなれます。
これは、道でゴミ拾いをやっているときに私がよく経験する心境です。「茶道をゴミ拾いと同列にするとは、何て例えが悪いこと・・・」とお叱りを受けるでしょうが。
二番目は、映画の最終場面でつぶやいた典子の言葉です。
「世の中(人生)には、すぐにわかるものもあれば、ゆっくりとしかわからないものもある。」
幼い頃に見た映画『道』を再び見た後で気づかされたのでしょう。12年以上もの長い間お茶のお稽古を続け、その間、従姉妹の美智子に就職も結婚も先行され、婚約相手には裏切られ、父の突然の死も経験した、そんな末に辿り着いた彼女のつぶやきでした。
お稽古で培った無心の心境、その積み重ねが感覚を研ぎ澄まし、ありのままを受け入れる居心地のよさを悟ったのだと思います。
ところで、お稽古場の扁額や掛け軸にあった言葉。
“日日是好日” は、「その日一日をただありのままに生きる」という意。
“一期一会” は、「今日出会ったこの機会は二度と巡って来ないたった一度きりのもの」という意。
どちらも今この時は有り難いことなのだと説く言葉です。
ありがたいと思う心は、居心地がよくなければあり得ません。今この時の居心地のよさは感覚です。無心になって感覚的に今この時を楽しめばよい、という意味にも取れます。まさに、“ありのまま 受け入れる” です。
まぁ、ゴチャゴチャと勝手に屁理屈を並べてみましたが、私の記憶力がどんなものかこの記事で確かめて貰いたくて書いてみました。
それはそうと、やはり女性の着物姿はいいものですね。茶会に集った着物姿の女性たち、清潔感に溢れ凜としていました。これには私も “無心” になって目を楽しませてもらいました。
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「8歳の時、イタリア映画『道』を家族で一緒に見た。
ちっともおもしろくなかった。」
冒頭場面のこのナレーションから、人生の奥行きの深さを茶道という芸の “道” に絡めてみようとする制作意図が見て取れました。
物語は、典子(黒木華)、美智子(多部未華子)二人の新弟子と師匠の武田先生(樹木希林)との3人だけの稽古場風景を軸に、典子の日常生活や四季折々の自然描写を織り交ぜて進みます。ここぞという場面には、含蓄のある言葉がサラッと仕込まれていて、まるで人生の道標のようでした。
ここでは、それらの言葉から二つだけ取り上げてみます。
「お茶は形から入っていくものなのよ。頭で考えていてはダメ、身体で覚えるのよ。」
典子と美智子が二人で初めてお稽古に行った日のこと。新弟子二人が初めて知る所作の意味にこだわりを見せていたとき、武田先生の言った言葉です。
「先ず行動に移してやってみて、それを “自動行動” になるまでやれ」私にはそう聞こえました。“自動行動” とは、完全に無意識下でやる習慣化した動作のことで、私が勝手にそう名付けたものです。
いちいち頭で意味など考えずに自動的にやる動作のことですから、雑念が入り込む余地などありません。完全に習慣化していれば無心にもなれます。
これは、道でゴミ拾いをやっているときに私がよく経験する心境です。「茶道をゴミ拾いと同列にするとは、何て例えが悪いこと・・・」とお叱りを受けるでしょうが。
二番目は、映画の最終場面でつぶやいた典子の言葉です。
「世の中(人生)には、すぐにわかるものもあれば、ゆっくりとしかわからないものもある。」
幼い頃に見た映画『道』を再び見た後で気づかされたのでしょう。12年以上もの長い間お茶のお稽古を続け、その間、従姉妹の美智子に就職も結婚も先行され、婚約相手には裏切られ、父の突然の死も経験した、そんな末に辿り着いた彼女のつぶやきでした。
お稽古で培った無心の心境、その積み重ねが感覚を研ぎ澄まし、ありのままを受け入れる居心地のよさを悟ったのだと思います。
ところで、お稽古場の扁額や掛け軸にあった言葉。
“日日是好日” は、「その日一日をただありのままに生きる」という意。
“一期一会” は、「今日出会ったこの機会は二度と巡って来ないたった一度きりのもの」という意。
どちらも今この時は有り難いことなのだと説く言葉です。
ありがたいと思う心は、居心地がよくなければあり得ません。今この時の居心地のよさは感覚です。無心になって感覚的に今この時を楽しめばよい、という意味にも取れます。まさに、“ありのまま 受け入れる” です。
まぁ、ゴチャゴチャと勝手に屁理屈を並べてみましたが、私の記憶力がどんなものかこの記事で確かめて貰いたくて書いてみました。
それはそうと、やはり女性の着物姿はいいものですね。茶会に集った着物姿の女性たち、清潔感に溢れ凜としていました。これには私も “無心” になって目を楽しませてもらいました。
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