ある方のブログに『結果よりプロセス重視で!』という記事がありました。表題を目にした途端、思わず苦笑いをしてしまいました。実はこの言葉から、つい思い出してしまったのがかつて毎年あった人事考課のことだったのです。
現役時代、手渡された新しい基本給の支給額を見る度に、「上司(考課者)がもっとプロセス重視でやってくれたら」と、いつも恨めしい思いをしたものです。大した成果を上げてもいないのに、自分を棚に上げての恨み節。いかにも他人任せの他人頼みで、依存気質そのものであったのかよくわかります。まだ独り立ちできてない頃のことでした。
後に考課者となって初めてわかったのですが、考課者である上司としては目に見える披考課者の成果でしか評価できないということです。いくらプロセスも評価して欲しいと言われても、目に見えないものは評価のしようがありません。
プロセスとして傍から目に見えるものと言ったら、前向きな勤務態度を初め、仕事をサボっていないとか、取引先とトラブルを起こしてないとか、マイナス評価となる要素がないことぐらいのものなのです。精々、評価に値する時間短縮があったとき、初めてそのプロセスを評価の対象としたものでした。やはり評価はすべて結果が対象なのです。
著者の主張は、プロセス重視は唯々経験を「必ず次に生かす」ためであって、決して評価するよう他人に求めることではないということです。この主張に今の私は全面的に賛同します。
私なりに一つ付け加えるならば、記録に残していなければプロセスには何の意味もないということです。「ひょんな失敗が新発見に繋がった」、自然科学系のノーベル賞受賞者がよく言う言葉です。裏返せば、如何に彼らが記録を詳細に残してきたかを物語っていると思います。詳細な記録がなければ失敗を再現できず、その原因分析がなければ新発見にも至らなかったと思うのです。
私たちの生き様も同様だと思います。記録がなければ曖昧な記憶頼りの印象でしかなく、手前味噌の感傷に浸るだけともなりかねません。まぁ、体の良い “思い込み” です。その都度その都度記録に残し、折に触れて記録を振り返って分析してみる。それが初めて経験を「必ず次に生かす」ことに繋がるのではないでしょうか。
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プロセスとして傍から目に見えるものと言ったら、前向きな勤務態度を初め、仕事をサボっていないとか、取引先とトラブルを起こしてないとか、マイナス評価となる要素がないことぐらいのものなのです。精々、評価に値する時間短縮があったとき、初めてそのプロセスを評価の対象としたものでした。やはり評価はすべて結果が対象なのです。
著者の主張は、プロセス重視は唯々経験を「必ず次に生かす」ためであって、決して評価するよう他人に求めることではないということです。この主張に今の私は全面的に賛同します。
私なりに一つ付け加えるならば、記録に残していなければプロセスには何の意味もないということです。「ひょんな失敗が新発見に繋がった」、自然科学系のノーベル賞受賞者がよく言う言葉です。裏返せば、如何に彼らが記録を詳細に残してきたかを物語っていると思います。詳細な記録がなければ失敗を再現できず、その原因分析がなければ新発見にも至らなかったと思うのです。
私たちの生き様も同様だと思います。記録がなければ曖昧な記憶頼りの印象でしかなく、手前味噌の感傷に浸るだけともなりかねません。まぁ、体の良い “思い込み” です。その都度その都度記録に残し、折に触れて記録を振り返って分析してみる。それが初めて経験を「必ず次に生かす」ことに繋がるのではないでしょうか。
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