どのようなスパンで評価すべきか

2010-03-19 16:58:12 | 雑感
ここ5,6年,「今置かれた状況」の捉え方に変化が生じていて(もちろん意識的に変えるようにしてきたのだが),これがいい結果につながることが多いような気がしている。

どういうことかというと,人生山あり谷ありは当然で,下手すれば谷の時間が妙に長くなってしまうことも珍しくない。問題は,このとき「谷だ」と思うだけでは人生は好転しないということに気がつかなければならないという点である。

大体,何故「谷だ」「ついていない」と「評価」してしまうのかというと,実は理由は簡単で,短いスパンで物事を評価してしまうからである。これを,もっと長い目で評価してみたらどうだろう。「ついていない」はずの出来事が,「実はあの時がターニングポイントだった」「もしあの時ああなっていなかったら大変なことになっていたかも」となることも多いのである。

答案練習会で考えてみよう。ある回のテストでボコボコになったとしよう。当然気分悪いし凹むしイライラするに決まっている。その際,「今回の試験の出来具合」という短いスパンで評価しようとすると単に嫌な思いをしただけ,ということになる。

しかし,自分に重大な問題があることに気が付き,それに対応することによって本試験で「助かった!」となればどうだろうか。本試験までのスパンで考えれば,「ああ,良かった」となるはずだ。

物事大体こんなこんな感じなのだ。長生きしてくると分かる(笑)。個人的には,「4年で一回り」と考えるようにしている。要は個々の出来事の評価は,4年くらいしないと何ともいえんだろう,という考えである。「底」だと思ったら,一気に上昇に転化する起爆剤だった,なんていくらでもある。そして大事なのは,その「底」当時ネガティブに過ぎると,起爆剤にすることができないで終わってしまうということである。「将来に向けて何かしら意味があるだろう」くらいに捉えていないと,「嗚呼,俺は不幸だ,ついてない」となって,本来「底」だったはずが,二番底・三番底が続きかねないのである。

大事なのは「ついてねーな。」と感じたら,「ま,なんか意味があるに違いない」と「同時に」考えるということである。「ついてない」という感情を否定する必要は無い。短絡的にはついていないのは(少なくとも主観的には)間違いないのだから,これを一生懸命否定しても仕方がないし無駄である。でもそれは一過性の判断であって結論付けてはいけないということである。「なんか調子悪いや」と思うと同時に,「でも何か意味があるに違いない」と思うことが大切だと思う。そうすると不思議に「まぁ,頑張ろうかな」,という気になるものである。

お試し下さいませ。
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