心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

脆くて(もろくて)つよいこころ

2007-08-21 | つれづれ


美しい中で暮らしたいです。

美しい音~日々の生活の中に聞こえる音たち。それぞれの季節の音。
美しい色~白ほど拒絶しない生成り色。
美しい香~早朝の露を浴びた植物の香り。
美しい物~手仕事の素朴な風合いの物たち。
美しい・・・

そして、美しい心~疑わない心。信じる心。

できれば美しいまっすぐな人間関係の中で、「嬉しい」を見つけたいのに。
「生きる」を知りたいのに。

脆いだけの心では、本物の美しさには出会えない。
強いにも、色々ある。
私の願う強さとは、あっけらかんとした屈託の無い、突き抜けた明るさ。

強いだけの心でも、本物の美しさを見落としてしまう。
私が思う脆さとは弱さではなくて、しなやかな心。

どちらか一方では足りないんだなあ。











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愚公移山(ぐこういさん)

2007-08-20 | 漢詩


中国は列子の寓話によるところの、愚公が山を移す(動かす)。
知恵や才能を使わずとも、ただひたすら努力を惜しまず臨めば、如何なることも
(たとえば山を動かすことも)できないことはない、という意味。

いかにも古い日本・・と多少敬遠する方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも私は、おおらかで暢気者で、真っ正直な人間が浮かんできます。

今、家では、2匹の猫と1羽のセキセイインコが同居しています。
なんでその組み合わせ?と友人には非難されますが、これもご縁・・
でも意外とうまく共存しています。

インコのきーちゃんは持病があり、定期的な病院通いと漢方治療の日々ですが、
毎日元気よく無心に粟をついばんでいる姿を見ていられるだけでしあわせ。
餌箱の中をくちばしで蹴散らして、好きな粟を探す姿なんて、イトオシイ。

私もきーちゃんみたいに、淡々と坦々と、悠々と凛々と無心に生きられたら。
小さな命、家族と友達しか知らない命だけど、教えられることたくさんあります。

きーちゃんや、うちの2匹の猫、道で出会う野良猫さんたちを見ていると、
そして今しかないとばかりに、深夜12時を過ぎた今も鳴き続けている蝉を思うと、
生きる意味なんてむずかしく考えないで、ただ一生懸命に生きることで、
答えが見つかるような気がしてきます。
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(本来)無一物

2007-08-19 | 禅語・般若心経


本物の美しさって、なんでしょう。。

色、形、質感、そういった外見からだけではない、もっと根源的な魂の響きが
本物にはあるように思います。

民藝運動の創始者である柳宗悦氏の影響で、無名の陶工の自由でおおらかで
簡素な作品に感銘を受けた陶芸家の河井寛次郎氏は、「美は追うものではない」
として、裸の心でつくり、あとからついてくる美を求めた人だったそうです。

ところで。
私が書を始めたきっかけは、出版社に勤めていた頃、取材で立ち寄った百貨店の
催事場でやっていた「中川一政~裸の字」という書画展に立ち寄ったことでした。

油絵作家の中川氏の書画は、いわゆる書家的な上手な字ではないのですが、
飾り気がなく素朴で力強く、自由な心で溢れていて、まさに裸の字たちが
私の全身にびびびっと響き、「これなの!私が探していたものは!」と心の中で
叫びながら、人目もはばからず涙がポロポロ。
その帰り道、私も書いてみたい!の思いがつのり、結局半年後会社を退職し、
書を始めました。

あの時の衝撃は、本物に出会った感激と興奮だったのでしょう。

心のどこかにもやもやしたものを抱えていたり、悲しかったり悔しかったり、
自分に自信がなくてただ焦ったり・・そんな時は「裸の字」を思い出します。

何ものにも捕らわれず、ただ無心に書かれた作品は、まさに無一物の境地。
元々は何も無いのだということを知り、心を曇らせることなく自分と向き合う。

そんな境地、まだまだ遥か彼方ですが・・・
私にとって本物の美しさとは、人を羨むことも自分を卑下することもない、
素直なまま、ありのままであること・・・かな。

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夏雲多奇峯

2007-08-18 | 漢詩


夏、奇峯に雲多し。
夏の雲は種々変わった峰の形をなして湧いている、という意味です。

今日の関東は、久々の猛暑の一服。
風は早くも秋の感でしたが、すぐまた暑さが戻るようです。

昨日は何年ぶりかで、横浜の元町にある市営プールに行きました。
1958年に作られたという当時のほぼそのままの、流れるプールもなければ、
ウォータースライダーもない、屋外の50mプールがあるだけですが、
イモ洗い状態ではなく、入場料も1時間¥200とお安い! 穴場ですよ~。 

そして何と言っても、プールの周りの観客席は高い石段になっていて、
四方は大きな木々に囲まれたちょっとした森。気持ちいいですよ~。
泳がなくてもお昼寝や、日陰で読書なんて人もいます。
それぞれがのんびりと、思い思いの過ごし方を楽しんでいる感じです。

キラキラ光が反射するプールにプカプカ浮いて、青空を仰ぐと、
トンビが気持ち良さそうに両羽を広げてこちらを見下ろし、
とんぼが水面を飛び、子供の笑い声が響き、心地よいひと時でした。
すぐ裏はお洒落な街、元町なのに、こんな場所があるなんて・・極楽極楽。

今日のお題は、昨日の開放感ある清々しい空間を思い出していたら、
ふとこのことばが浮かび、書いてみました。

都会では見られない真青な空と、山が見えるようなところに広がる
自由自在な雲たちを想像して、しばし開放感を感じて頂けたら幸いです。








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一字書の魅力

2007-08-17 | 書の話


書のジャンルに、一字書というのがあります。
書壇では独立書人団という会が、淡墨を使った一字書を多く発表しています。

漢字はもともと中国から伝わったものですが、一人の人間が発明したものではなく
長い年月をかけて、多くの人々がさまざまな工夫を重ねて作り出されたものです。

そして漢字の素晴らしいところは、それぞれに意味を持っているということです。
たとえば、「なつのくも」という平仮名の一字一字は発音を示すものですが、
「夏の雲」と漢字で示すと、「夏」「雲」という漢字は一字でもことばとして
意味を表すことができます。

世界広しといえども、一字だけで意味を表すことができるのは、漢字だけです!
それゆえ、一字書には特別の魅力があるのです。

たとえば今日の「雲」は、画仙紙に淡墨で書いたものですが、
夏のにわか雨のあとの、うって変わって青空に虹がかかり、その横を
微笑みながら流れていく雲を想像して書いてみました。

つまり、「雲」といっても、入道雲、雷雲、いわし雲、流れの速い雲、
ぷかぷかと浮かんでいる雲・・・と、無限の「雲」があるということです。

書く人の感性によって、たった一字が、個性を持った世界にたったひとつの
一字になるのです。
そこには、上手とか下手とかはたいした意味を持たないと思います。
上手いから素晴らしいというものでもありません。
私は逆に上手くなればなるほど、その人らしさが消えていくように思います。

よく、私は字が下手だから・・という人がいますが、私は下手な字なんて
ないと思っています。ただ、心無い雑な字はある。
どんな字でも、心を込めて丁寧にかけば、その人らしさが現れる。

本物の書とは、今ここにいる自分が、自分らしくただ在るということを
表現できた時、純粋に人の心を打つのだと思います。

上手く書こうと思えば思うほど、かえって美しいものが逃げていく、
そんな気がします。











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行雲流水

2007-08-16 | 禅語・般若心経



こううんりゅうすい・
雲が空をゆくように、水が流れるように、物事に執着することなく
流れのままに・・という意味です。

そんな風に生きられたら・・ そんな境地になれたらなあ。

普段あまりマンガを読まないのですが、自宅の机の上と職場の棚にそれぞれ
常備している まんが があります。
竹書房から出ている、いがらしみきおさんの「ぼのぼの」
今はいったい何巻まででてるんでしょうね?

4コマまんがです。主人公はらっこのぼのぼの。
登場人物は、ぼのぼののお父さん、いじめる?が口癖のシマリスくん、
いじめっ子のアライグマくん、ヒグマさん親子、プレリードックちゃん、
そしてさりげなく人生を説くスナドリネコさん。

その第1巻の最初の4コマが、私は大好きです。
お題は「ボクのお遊び」
1.ぼのぼのがお腹に貝殻を乗せて、頭を先頭にしてぷかぷか川を流れていく。
2・途中くいがあり、頭がコンとぶつかる。
3.そのはずみで、からだが移動して
4.何もなかったかのように、今度は足を先頭に流れていく。
ってな感じです。

お~まさに、行雲流水?
ぼのぼのは、人生をさりげなく楽しくかわいく生きるヒントを教えてくれます。

なるべく肩の力を抜いて、できれば「北風と太陽の話」の太陽のように、
おおらかな気持ちでいたいものです。

どうせ同じ時間を過ごすなら心安らかな方がいいから、
何事も答えはひとつと思い込まずに、相手を変えようと苦心するより、
自分が変わる努力をした方が楽かもしれない・・と、やっと最近学習しました。

こだわらない心、それは自分のためでもあるわけです。







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恩慈恵和

2007-08-15 | 漢詩


今週はお盆。そして今日は終戦記念日。 (K様所蔵)

生まれる時代や国によって人生は、無常にも違った運命を与えるものです。
子供の頃、広島に住んでいて、何度か原爆記念館にも足を運びました。
まだ幼稚園生だったので、怖い写真や展示物がたくさんあるところという
印象しかなかったように記憶しています。

大人になって初めて、父や親戚から当時の広島の話を聞く機会がありました。
その時の自分より幼い父が体験したひとつひとつは、今を生きる私には、
想像を遥かに越える体験だったのだと思います。

戦後62年。まさに激動、激変の時代。
世の中のさまざまな不条理や、苦しさや耐え難い悲しみを乗り越えてきた
方々を思うと、ちっぽけな自分にため息をつくこともあります。
そして何もできない自分がもどかしく、絶望的になったりすることもあります。

恩慈恵和(おんじけいわ)とは、この世にある草木、生き物、森羅万象を
大切に思う気持ちと同じように、人を愛し慈しみはぐくむこと。

自分には何もできないから・・なんて思って何もしないのではなく、
恩慈恵和な心で、とりあえず目の前にある出来事や自分や友達を大事にすると
何かが変わり、何かが始まるかもしれません。

楽しい、うれしい、ご機嫌!という気持ちは伝染して、まわりを幸せにします。
まずは自分を楽しんで、喜んで、褒めてあげましょっ。



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あせらずゆっくり

2007-08-14 | つれづれ



牛歩(ぎゅうほ)~牛の歩みのようにゆっくりと。

4年前、所沢にあるポンデザールのアーティストたちというカフェギャラリーで、
焼き物と藍染をされる作家さんと二人展をした時の作品(T様所蔵)です。

なんとなく心に響いて書いたことばでしたが、作品を見たT氏が最愛の奥様を
亡くされ、その奥様が丑年だったということ、あせらずゆっくりという
メッセージが、これからのご自身への励ましのようでもあり、
見るたびに家内を思い出せそうです、とお話下さいました。

作品という形を借りて、そんなやさしい愛情が漂う場所へ連れて行って
もらえるなんて、ご縁に感謝しつつ、うれしい限りです。

私もこれから先、このことばを書くたびにT氏のお話を思い出し、
心がほわんとあったかくなることでしょう。

この作品を通して出会えたご縁は、私にとって大切な財産となりました。







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無遮(むしゃ)~遮らない心

2007-08-13 | 禅語・般若心経


生きていく中で、ストレスの原因のひとつに人間関係がありますよね。

心外なことを言われた、価値観が違う等々を理由に、
相手を敬遠したり警戒したり。心にバリケードを作ってしまったり。
そしてその波動は相手にも伝わってしまい、更に関係も悪化・・なんてことも。

人は動物と思いがけず気持ちが通じると、無性にうれしいものです。
無意識のうちに、目の前の動物と通じ合いたいと念じているから、
動物もその気持ちに応えて、反応してくれるんだと思います。

人と自然、人と人も同じかなって思います。
こちらが心を開いて相手と対峙していれば、きっと気持ちは通じるものだと
私は信じています。

いいところも悪いところもお互いさま。
相手の(自分の)この部分は納得がいかない、好きじゃないけど、
それは全てを否定するものじゃないという心のゆとりと、遮らない心があれば、
ストレスも少しは減るんじゃないかな・・と思ったり。。

かく言う私も人間関係で、時には自分勝手な思い込みにとりつかれ、
ストレスの渦巻きのど真ん中~ってこともあります。
そんな時は、思いっきりネガティブな話を誰かに聞いてもらうと、
それも癒しになるからねと、言ってくれた友人がいます。

そのことばを聞いて、あ~恥ずかしや~と深く反省。
そしてただ今、このことばを一人連呼しています。

無遮むしゃ無遮むしゃ無遮むしゃ・・・





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風洗蒸

2007-08-12 | 漢詩

風、蒸すを洗う。
風が蒸し暑さを洗い消すという意味です。
しか~し。今日も風サンはさぼっている様で、蒸し暑さは倍増

でも夏の暑さをしのぐ知恵や方法は、色々ありますよね。

日本の夏といえば・・
風鈴、団扇、すだれ、かき氷、金魚、蚊取り線香、朝顔、風船かずら、
メダカ、スイカ、枝豆、谷中生姜、とうもろこし、冷奴、そうめん、
水羊羹、向日葵、芍薬、浴衣、虫かご、お祭り、花火、打ち水・・・

そしてなんと言っても、目を閉じて五感で感じたいのがヒグラシの声。
癒されます。ほんとに癒されます。
一年中聞いていたい気もするけれど、夏の暑い盛りの夕暮れ時に聞くからこそ、
五感に響くのかもしれませんね。

ガラスや白い器、鉄瓶や籠にグリーンを活けて、植物で涼を演出し、
窓には簾をかけて涼やかな光と風を作り、麻や藍の布をあしらい色で涼を感じ、
風鈴、竹鈴の音から涼を楽しみ・・
そして、こんなことばをちょこっと飾ってみるわけです。

風洗蒸。

この夏からさりげなく~「書のある暮らし」始めませんか~?









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