心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

「遊魚動緑荷」

2007-08-11 | 漢詩


今日は涼しいことばを。
池の魚が蓮の葉を動かして戯れている、という意味です。

「魚戯新荷動 鳥散余花落」という似たような句もあります。
池の中の魚が楽しそうに泳ぎまわると、咲いたばかりの蓮の花が
左右に揺れ、今迄とまっていた小枝から鳥が飛び立つと、散らずに
残っていた僅かばかりの花が散る、という意味です。

夏になるとこの句を思い出して、つい書きたくなります。
なんだか涼しくてのどかで楽しそうで、その場に自分がいるような
気分になるので、好きなことばです。

でも特に書に興味のない友達に見せると、漢字ばかりが並ぶんでいて、
意味がよくわからないって言われちゃいます。
漢字には意味があるから、拒否反応しないでちょっとだけ考えてみると、
なんとなくでもわかるんですけどね・・。
ほんの少しの想像力と感性を働かせたら~。

今は情報化時代。
わからないことはネットで検索すればすぐ答えがみつかる。
だけどそのことに慣れてしまうと、感性はどんどん失われていくような気がします。

ところで、感性ってなんでしょうね。
辞書には、1.物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
     2.外界からの刺激を受け止める感覚的能力。とあります。

心に深く感じるには、何事も体験したり体感したりが大事かなと思います。
争いを避けて議論しないことも、人と深く関わらないことも、
今の時代の生き方だという人もいます。
でも私は、そんなのもったいないなって思っちゃうタイプです。

人と深く関わると、お互い甘えたり言い過ぎたり、面倒なことも起きてきます。
でも、その方が、生きてる!って実感があって、苦しくも結構楽しいです。

私も日々どこかで、蓮の花もどきの、人の和の中で動いて戯れていたいです。














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さりげない豊かさ

2007-08-10 | 季節もの


日本列島は連日猛暑。もう立秋というのに、まさに炎炎赫々。
改めまして、猛暑、炎暑、酷暑、残暑お見舞い申し上げます。

先日、高知に行かれていた知人からメールを頂きました。
「夜はそばを四万十川が流れ、田んぼ、山があるせいか涼しいので
眠れることが救いです。昨日は静寂の中からホトトギスの声が聞こえ、
こんな世界もあるんだとすっかり浸っています。」と。

読みながらその情景が浮かび、しばし涼を感じました。
ことばからも温度、湿度を感じることができるんですね。

今日の「炎天見舞」は、色といい、ことばといい、暑苦しい~。
暑い時は、本当は涼しいイメージのものがいいですよね。
でも今日はあえて・・

暑い時には涼しそうなものを、寒い時には暖かいイメージのものを。
そこには、相手に対する思いやりがあるように思います。

最近では、暑中見舞いのはがきもメールで済ませる方も多いのでは。。
年に一度の年賀状でも大変なのに・・と。
でも暑い時に涼しさを、そしてお元気にお過ごしですか?の気持ちを
たった50円でお届けできるはがきは、肩の力を抜いた「和」の心、
さりげなさを豊かさとする日本人の心だと思います。

是非今年は、決まりきった「暑中お見舞い申し上げます」と活字で
送るのではなく、はがきにたった一文字、思い切って筆で書いてみませんか?
下手だから・・なんて気にしないで、自由な心で楽しみながら。
その楽しい気持ちは、必ず文字に現れます。

たとえば・・「涼」「風」「雲」「空」「遊」「楽」などなど。
正しい筆の持ち方や、上手く書こうという気持ちは、まずは横ちょに
置いておいて、えいや~ってな感じで。
大事なことは、その文字の意味をイメージすること。

たとえば「雲」。
どんな雲を思い描いたか、その雲を思いながら書いてみてください。
1枚で終わりにしないで、2枚、3枚・・10枚と書く間に、コツがわかってきて
どんどん楽しくなるはずです

自転車に初めて乗れた瞬間のような、快感がありますよ~。






























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引力

2007-08-09 | 前衛・抽象



これは’99の作品。90×180cm。タイトルは「引力」

生きていると色々な引力を感じます。
人との出会い、何となく入ったお店でかかっていた音楽・・。
偶然とは、どこかで必然のような気もします。

不思議と気の合う者同士がそばにいたり、好きな作家のことを調べていると
同じ色や音楽が好きだったり、趣味が似ていたり。
一つの事を突き詰めていくと、全てのことは繋がっているんだと実感します。
そしてその実感は、自分を理解し確認することにもなるんです。

私が最初に書が勉強したいと思ったきっかけは、出版社に勤めていた頃
取材で出かけた先の百貨店で、たまたまやっていた中川一政書画展に
ふらりと入ったことでした。
当時95歳だった中川一政さんの書画は、力強くおおらかで自由で、
見た瞬間、全身鳥肌が立ちました。
こんな書もあるんだ!という衝撃と、私もやってみたいという衝動に駆られ、
会社に戻るなり退職願を出しました。

その後、好きな書、好きな作家を辿っていくと不思議と似たような、あるいは
同じ場所に行き着くのです。

引力とはご縁。
引いたり押したりの力が弱いと、ご縁も薄くなってしまうような気がします。
ひとつのことでいい、吸い込まれるように夢中になりたいものですね。






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只在(ただある)

2007-08-08 | 前衛・抽象



写真は’02の作品(90cm×180cm)タイトルは「只在」

前衛書を書くということ、それは私の場合~
あまり文字を題材にはせず、その時心に響く音楽を聴きながら
イメージするものを表現していくという作業でした。
だから「心象の書」と勝手に呼んでいます。

その作業の結果は、書以上に自分の知らなかった自分を教えてくれます。
私は以前はどうも無意識に、回りを囲う線がないといられなかったんです。
ある日、同門の先輩から「あなたにとってこの囲いは何なのか考えてみたら」と
言われて、心に響くものがあり。

以来、私のテーマは「只在」~ただある~
何の囲いもつっかえ棒もなく、自分でちゃんと立っていたい、
心を開放しておおらかで自由な存在でいたいと思ったのです。

それまでのローラーは捨て、神経質な線よりも太くてたっぷりとした
温かい線を探し、内よりも外へ外へと向うエネルギーに憧れるようになりました。

人はそう簡単には変われないとは思います。
でも知らなかった自分を知ることで、変われる・・というか、
もう一人の自分に出会えることもあるのかもしれません。





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前衛書

2007-08-07 | 前衛・抽象



書は始めてかれこれ19年。
前衛集団といわれる会に、細々と所属しています。

「前衛って?」ですよね。

いわゆる古典的な、行書でつらつらさらさらと漢文とかを書くのではなく、
わかりやすく言うと、文字を題材に分解したりくっつけたりして
抽象的な表現をしたり、墨だけではなく用具用材を駆使し、
線とにじみ、かすれ等を生かした現代美術的な書を追及しています。

初めは何を書いたらいいのか途方にくれていましたが、見よう見まねで
書いた最初の作品は、墨ではなく油絵の具で布に版画のローラーを
使って書いたもの。'90年、某書展で、毎日新聞社賞を頂きました。
サイズは90×180cm。タイトルは「Dream」

通っていた教室で、師には「弱い、メルヘンチックすぎる」と酷評され、
諸先輩のいる中、悔し涙を流した記憶が・・
でもその帰り道、私が今、表現したいのは爆発する強さじゃないって、
逆に自分の中で確認して。。

表現するって、自分を知ることなんだなあって体感しました。
本来の自分と、その対局にいてこうありたいと思う自分、
それを探す旅の始まりでした。

そしてそのことに気付かせてくれた、書の師との出会いは、
私の人生にとって一番の宝物であり、財産となりました。

その師との出会いについては、またの機会にゆっくりと。






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ぼけ茄子なんて言わないで

2007-08-06 | つれづれ


地元で、母と書道教室をしています。
これは教室で、夏の書として書いた参考作品。
母はいわゆる伝統的な王義之、皇甫誕などの行書、楷書、仮名を、
私は古い時代の甲骨、木簡、隷書、造像を中心に創作を担当、
普段はそれぞれの希望にそった古典の臨書学習を、一人一人添削を
しながら行っています。

年に一度、広い会場を借りて展覧会も開催。
ちょっと自慢は、書の展覧会というと、その会の先生の色一色で、
似たような作品が並んでいることが多いのですが、私たちの会は十人十色、
色々な書体、表現方法で、観にいらして下さった方々が、「とにかく観ていて
楽しい。来てよかった」と言って下さることです。

母と私、違う好み、個性があり、生徒さん達とも、名前がなくてもこれは
あの方の作品ね!とわかるようなその人らしい表現を一緒に探しています。

同じ古典を臨書しても、人によって個性が見えておもしろいです。
本当は臨書は、誰の何を臨書したのかわからなくちゃ意味がないんですけど、
どうしてこれがこうなるの?という臨書をされる方もいて、指導力のなさに
ため息をつくこともありますが、どことなく書いた人の人柄が滲み出ていたり
すると、ま、いっか・・と苦笑い。

繊細な人は線がシャープだったり、おおざっぱな人は文字が紙からはみ出たり、
お手本で渡した半紙に、たまたま墨がたれて点のようになった線も、
文字を考えたらそこに点なんてないのに、同じように点をつけてきたり、
その個性が、私はいとおしいです。

大人でもましてや子供の間では、そこに優劣など決めがたく、
その人本来の姿を自由に純粋に褒め称えることで、自分に大きな自信を持つのです。
自分に自信が生まれると、他人のことも褒められる、思いやれる、許せるように
なるんじゃないかと思います。

書を学ぶことは、自分を知ること、自分を褒めることとなり、その喜びと
自信が回りの人への思いやりや優しさに繋がればなあと、思います。

だから、ぼけ茄子なんて言わないでね。





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のし紙~暑中お見舞い

2007-08-05 | 季節もの



お世話になったあの方に~。

かつてはお中元やお歳暮などの贈り物は、暑くても寒くても、
自分でお宅までお届けしたものだそうです。
その頃は紙袋よりも、風呂敷が使われていたのですが、
ちょっとした手土産も和紙で包んだり、小さなぽち袋をさりげなく使ったり、
日本には「包む」という美しい文化もありますよね。

今ではカタログから商品を選んで電話やFAX、ネットで注文、
お届けも宅配業者さんにお願いしてしまうというのが、便利で簡単ではあります。。
私もつい忙しさにかまけて、本当は自分でお届けにあがりたいけど、
先様のご都合もあるし・・と、ネットで注文、配達をお願いしてしまいがちです。

でも時間がある時は、せめてこんなのし紙を作ってお手紙を添えて、手元から
宅配便でお送りしています。
印刷された味気ない「お中元」っていうのと、こんなものでも手描きのものとでは、
もらった物まで感激が違ってきたりしませんか~?  
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一生燃焼

2007-08-04 | つれづれ


高校の同級生のご主人が、極真カラテの館長をされていて、その方のご紹介で、
香川県にある極真カラテ道場の師範に頼まれて書いたものです。

一生燃焼という言葉通りの力強くエネルギッシュで、ど~んと来いという
風貌でいながら、どこか人懐こく熱い心を持った師範をイメージしながら書きました。
ちなみにTシャツとしても、販売しているようです♪

そういえば、家にある相田みつをさんのトイレ用日めくりカレンダー「ひとりしずか」にも、
「一生燃焼 一生感動 一生不悟」のことばを見つけました。
改めて読むと、なかなか説得力のあることば。

燃焼と言っても、人それぞれですよね。
熱く太く燃焼する人(強火)、マイペースにこつこつと燃焼する人(中火)、
静かに淡々と燃焼する人(弱火)といった感じに。。

私はどちらかというと、冬は雪の降るのを眺め、春は花の香りを楽しみ、
夏はひぐらしの声に耳を澄まし、秋は落ち葉を集め、そんな普通の日常を、
大切な人たちに囲まれて過ごす事ができたらしあわせってタイプです。
だから、弱火タイプかな。

弱火でも日常という具材を詰め込んで、コトコトと燃焼し続ければ
深い味わいのあったかいシチューになるわけです。

継続は力なり~ってことですね。
ちょっと意味は違うのかもしれませんが、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」ってことわざ、
私は好きなことばです。
とにかく打っていればいつか当たるんだったら、打ち続けますよ~って思っちゃいます。

座禅も、一回座った位じゃ何もわからない。毎日毎日、座り続けることで何かを感じる、
悟ることもできるかもしれない。その「毎日」が難しいんですけどね。

それぞれの一生燃焼に乾杯!





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暑中見舞いはがき

2007-08-03 | 季節もの


'04の暑中見舞いはがきです。

テーマは魚。夏だから、涼しそう&楽しい感じで。
鉛筆で輪郭を画いて顔彩と膠、青墨で色をつけました。
レゲエを聴きながらタッタカタッタカと同じものは2枚と描かず、
あっという間に100枚。描いている時はすっごく楽しかったです。

小学校の時、図工は下手なりに好きでした。
高校は選択科目で、彫刻・陶芸を取っていました。
でも、成績がよかったわけじゃないです。
彫刻の授業で、ペアになった相手の顔を木彫するというのがあった時に、
最後の講評で先生に「顔というより、グランドキャニオンみたいだね」と
言われるほど、デコボコの出来上がり。

やめとけばいいのに、やはり選択科目で被服を取り、課題の提出日に
家庭科室で先生と一緒にセーターの袖付けを遅くまでかかって仕上げ、
さて試着してみましょうとなったら、手が通らず・・
それでも頑張りを認めてくれて成績は「4」! いい先生でした♪

小さい頃から不器用と言われ、自分でもそうだと思っていました。
まして絵を描くのが楽しいと思えるなんて~。
書を始めたことで興味の世界が広がり、誰かに見て欲しいという思いが
集中力を育て、よい緊張感が少しづつ自信を与えてくれたのかもしれません。

人は褒められると、もっと褒められたいと思うみたいです。
出来上がりの良し悪しも大事ですが、自分が楽しいか楽しくないか、
まずはそれが最初かな・・と思います。











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「鉄樹開花」

2007-08-02 | 禅語・般若心経


どこかの書展で見かけた句でした。
鉄の樹なんて、ないですよね。
その樹が開花するってどういう意味?と興味深く、調べてみました。

鉄でできた花が開くわけがないので、いつまで経っても見込みがない喩え
だそうです。禅語として、真に己を忘じたときのことをいうともありました。

私は、「心閉ざさず 咲いてみて 鉄の花」というイメージで書いてみました。
'06年の作品です。

書の本当の楽しさは、ただきれいな文字を書くことではなく、
書く人の心や思想が「表現」できることだと思います。
書は人なり~とよくいいますが、まさに臨書(古典を真似て書くこと)でも
創作でもどんな書体を書いても、そこにはその人らしさが見えてきます。

名前がなくても、あ、これはあの人の作品だ~とわかるような書が書きたいです。

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