新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ついに「大唐西域壁画」を拝見(後編)

2011-02-01 06:14:07 | 美術館・博物館・アート

ついに『大唐西域壁画』を拝見(前編)」のつづきです。


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予想どおり、文化財保護法制定60周年記念 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」が開催中の東博・平成館は全然混んでいなくて、エントランスはこんな具合でした。


会場内も、ほどよい人出で、細かな出品が少ないこともあって展示ケースに観客が密集するようなこともなく、快適に観覧できました いつもこんなだとありがたいのですが、次の特別展「写楽」は凄いことになりそうです。


と、寄り道ついでに、もうちょいと寄り道します。


薬師寺から歩いて行けるところに唐招提寺があります。


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唐招提寺の境内に開祖・鑑真和上坐像が収められている御影堂(みえいどう)があり、その内部は東山魁夷画伯の筆になる障壁画で埋め尽くされています。というか、埋め尽くされていると聞きます。なにせ、私、唐招提寺・御影堂は、薬師寺・玄奘三蔵院伽藍と同様に柵の外からしか見たことがないのですよ。(旅行記はこちら


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ですが、鑑真和上坐像と障壁画は、ジャスト6年前、2005年2月1日東博・平成館での「金堂平成大修理記念 唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」で拝見しています。

何度も何度も渡海に失敗し、ようやく日本に着いた時には視力を失っていたという(異説もあるようですが鑑真和上の悟りきった穏やかなお姿といい、和上が渡ってきた海の波濤や故郷の揚州の風景が描かれた障壁画といい、なんとも心洗われる展覧会でしたっけ(ただ、激しく混んでいた


どうして「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」のことを書くにあたって唐招提寺の話を持ち出したかといいますと、私は、薬師寺に玄奘三蔵院伽藍を建立し、そこに玄奘三蔵法師の旅を壁画を設置することは、薬師寺の高田好胤管主が(私、高田管主は「薬師寺中興の祖」と呼ばれるにふさわしい方だと思っています)唐招提寺を念頭に発意して、さりげなく東山画伯の作品を例に出しながら、平山画伯に話を持ちかけたのではないかと推察しているからです。

これはあくまでも私の下卑た邪推(くどい?)ですけれど、なぁ~んとなく、ありそうな話ではありませんか?


   


といったことを考えつつ、「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」の第2部「文化財保護活動の結実――『大唐西域壁画』」の感想をば…。


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第2部は、薬師寺・玄奘三蔵院伽藍大唐西域壁画殿に収められている壁画7点(描かれた場所は上の地図をご参照方)と、平山郁夫シルクロード美術館に収蔵されているその下絵で構成されていました。


いやぁ~、でかい絵ってイイ


これまた、なんとも下卑た表現ですが、高さ2.2m、全長50mにもなろうかという障壁画を目の当たりにすると、こんな表現しか出てきませんでした。これぞ、生(Live)の醍醐味です。


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110201_1_4_2 例えば上に示した「西方浄土須弥山」、これが高さ2.2m 幅9m以上のサイズで目の前に存在していることを想像してみてください。
もう、うぉ~、くらいしか言葉はでません。

こればかりは、いくら写真で観ても、想像しても、実物に接しない限りは味わえない感覚でしょう。

願わくば、2005年の「唐招提寺展」でやったように、大唐西域壁画殿での実際の配置どおりに壁画を並べ、加えて、天井には星空を再現して欲しかったと思います。


もっとも、「その楽しみは、実際に薬師寺に出かけて、大唐西域壁画殿で拝観するときまでとっておいた方が良い」ということなのかもしれませんナ。


薬師寺・大唐西域壁画唐招提寺・御影堂の障壁画とを比較するのは妥当か否かは別として、私には東山画伯の障壁画の方がより響いてきます。


唐招提寺・御影堂の障壁画からは、鑑真和上の艱難辛苦と意思の強さを現代の人々に伝えると同時に、鑑真和上の心眼に故郷の姿を届けたいという東山画伯の思いが伝わってくる一方で、平山画伯が薬師寺・大唐西域壁画で表現したかったものが何だったのか、今ひとつぼやけている気がしてなりません。1400年前に玄奘三蔵が目にしたであろう光景と、大唐西域壁画に描かれた荒涼とした廃墟とがつながらないのです。


作品を目にしてから数日が過ぎ、興奮が収まってくると思いがけない反応が出てくるものだと、改めて不思議に思います。


【お知らせ】この記事を目指してコメントスパム200件以上も襲来しました。記事ごとにコメントの取り扱いを変更できることを思い出し、この記事だけ、コメントの投稿受け入れを中止しました。 (2011/02/21 07:34)

コメント (2)
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