新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ことしは街にアフロがあふれるかも

2011-02-14 20:48:26 | MISIA

今日の帰り、JR東京駅のホームでこんな広告を見かけました。


110214_2_1


ビタミンCトルズをフィーチャーしたC.C.Lemon の広告です。


今年はアフロ・ヘアで決まり?


110214_2_2


OCN Presents THE TOUR OF MISIA JAPAN SOUL QUEST」の開幕まで一週間を切りました


110214_2_3 【追記】そういえば、こんなのもありました(画像をクリックするとCM映像を見られるサイトにジャンプします)
(2011/02/15 08:03)

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「二引」が二連発(その1)

2011-02-14 08:06:42 | 旅行記

この記事のカテゴリーが「旅行記」で良いのか(あまりに自宅から近い)、さらに、書きかけのネタがいくつか溜まりつつあるのに別のシリーズを始めて良いのか、いささか疑問があるところですが、勢いで書きます。

   

三連休最終日の昨日、あまりの天気の良さに、クルマを走らせました。
最初の目的地はこちら。

110214_1_1 川越です。

別に、この幟にあるように「徳川と『江』ゆかりの地」だからというわけではありません。
常々、川越の街並みを見てみたい&歩いてみたいと思っていたのに、なかなかきっかけをつかめずに昨日まで来ていたところ、ふと、川越から遠くないところへ無性に行きたくなり、「そのついでに川越にも行ってみようか」という軽いノリです。

問題は、川越まで電車で行くか、クルマで行くかということ。
噂によれば、週末・祝日の川越はかなりクルマ街中が渋滞するというし、私の家から川越までは電車乗り換えなしで行けます。
でも、今回の場合、クルマでなければ行くのがかなり困難な場所が最終目的地ですから、事前に駐車場を探し、8:40頃という早い時間にクルマで出発しました。

昨日の朝は冷え込みが厳しく、9時前はまだまだ霜と氷の世界

110214_1_2

自宅の駐車場で地上に曝されいたクルマ(手前)は、フロントウインドが霜でびっしりと覆われていました。が、地下に沈んでいた私のクルマ(奥)は平然としたものです。
立体駐車場の地下部分って、出し入れに時間がかかりますけれど、冬はこんなだし、夏も涼しいしで、結構よござんすよ

   

昨日、私が使った駐車場は、川越市役所の駐車場でした。

役所が、閉庁する土日祝日に駐車場を開放するっつうのは、良い流れです(これで味をしめた)

で、9:30にもならない時刻だったこともあって、ガランガランの駐車場に難なくクルマを停めることができました。そして、駐車料金は3時間利用して600円 市街地のコインパーキング15分100円が相場でしたからかなりお安い

早い時間に川越に出かけるメリットは駐車場のことの他にもありましたが、それは後回しにして、最初にご紹介するのは、こちら

110214_1_3喜多院でおみくじを引いたところ、またもや大吉
今年、2回おみくじを引いて、2回とも大吉(初もうでのおみくじの写真はこちら
どうしたことでありましょうや

さて、川越大師・喜多院は、もしかすると奈良時代にまで源流をたどれるかも知れないという古寺ですが、現在のように「観光客をも呼べる寺」になった(?)のは、第27世住職の天海(慈眼大師)と江戸幕府(特に家康&家光)との縁から。

1638年の川越大火で喜多院の堂宇のほとんどが焼失した際、3代将軍・家光が老中で川越藩主だった堀田正盛に再興を命じると共に、江戸城・紅葉山の御殿の一部を移築したのだそうな。
その移築された建物が、客殿(家光誕生の間・厠・湯殿)書院(春日局化粧の間)、そして庫裏です。

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家光誕生の間」ということは、言い方を変えれば、今年のNHK大河ドラマ「江-姫たちの戦国」のヒロイン、が出産した部屋です。
ところが、の名前はパネル展示に一カ所出てくるだけで、さしずめ家光の乳母・春日局の独壇場です。

そういえば、「江-姫たちの戦国」の昨夜の放送で、明智光秀の重臣・斎藤利三の対面シーンがありました。斎藤利三春日局実父です。今年は別としても、世の中一般での知名度では、春日局が江を圧倒的に上回っています。また、春日局の姻族にあたる堀田正盛が異例の出世を遂げ、江戸幕府を通じて老中・大老を輩出する家系の祖になったというのは、明智光秀&斎藤利三の執念か、とは考えすぎでしょうか。

ちなみに、堀田正盛の嗣子・正信が改易になった時(その後、正信の子・正休がお家復興を許された)、堀田正信は佐倉藩主だったそうな。佐倉藩といえば、その居城・佐倉城の跡地に建っているのが、先週出かけてきた国立歴史民俗博物館です。

   

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110214_1_6 喜多院の境内・堂内を歩き回って不思議だったのは、江戸幕府との縁が深い寺でありながら、葵の紋ではなく、「二引紋」だったこと。

二引紋」といえば、足利家とか細川家と、武家のイメージなのですが、どうして喜多院で多用されている(喜多院のHPでも表示しています)のでしょうか?

調べてみますと、これは天海(慈眼大師)さんの紋らしい。天海大僧正が創建した上野・寛永寺葵の紋だらけだというのに、「第27代住職」と中途半端な肩書きしか持たない喜多院でのこの重用ぶりは一体何?

と、いろいろと糸がつながる一方で、謎が深まる川越大師・喜多院でございました。

つづき:2011/02/15 「二引」が二連発(その2)
別の意味でつづき:2011/02/27 「かはごえ」は素敵な街でした(寺&教会編)

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