「『二引』が二連発(その1)」のつづきは、(その1)で
でも、今回の場合、クルマ
でなければ行くのがかなり困難
な場所が最終目的地
ですから・・・
と書いた「最終目的地」のお話です。
そこには、二引紋が刷り込まれたこんな襖とか、
この「最終目的地」というのは、川越市役所から20分ほどで行ける、埼玉県比企郡川島町(かわじままち)にある、遠山記念館です。
そういえば、遠山の金さん(遠山景元)の紋も二引でしたっけ…。
ですが、この遠山記念館の遠山さんと金さんとは何の関係もありません(って断言して良いのか、ちと不安…)。
「遠山記念館の遠山さん」については、リーフレットの記述を読むのが手っ取り早い。
遠山さんは、日興證券の創立者・遠山元一さんでした。
豪農に生まれたものの実家が没落し、16歳から株屋に丁稚奉公して、30歳前に自ら証券会社を設立し、それを日本有数の証券会社に育て上げた、いわば「立志伝中の人物
」です。
私が遠山記念館の存在を知ったのは、つい最近のこと。
去年の9月に「超々久しぶりの千秋公園(その4、まだ寄り道)」を書くにあたって、「佐竹本三十六歌仙絵巻」を調べると、その一枚「大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)」を収蔵しているのが、初めて聞く遠山記念館だったというわけです。
そして、遠山記念館を調べると、私の家からさほど遠くないところにあること、庭やお屋敷が公開されていることを知り、そのうちに行ってみたいと思っていました。
日本画というものは、収蔵しているからといっていつも公開されているなんてことはあり得ません。
どうしても観たい作品は、あらかじめ公開されていることを確認してから出かけないことには、徒労に終わるのが常です。
でも、今回は、とりあえずどんなところか知っておこうと出かけたしだいです。
で、行ってみると、なんとも凄いところにありました。
周りは田んぼが広がり、その中を圏央道が通っている、はっきり言って田舎でした。
ところが、遠山記念館は、どうしてこんなところ(失礼)に、これほどまでのものがあるんだ
と驚愕するしかないものでした。
まず、入口にあたる長屋門は、離れて観ると、シンプルかつ上品なもので威圧感はありません。
ところが、近づいてしげしげと眺めると、
良い材料と良い仕事とかなりのお金が費やされていることが、素人目にも察せられます。
長屋門をくぐると、目の前に広がるのはきれいなアプローチ
梅が咲き誇っていました
これは期待以上の世界が待っている気配が濃厚です
そして、、、、、このあとはまた後日
つづき:2011/03/04 なんとも凄いお屋敷でした(その1)