昨日、asahi.comに、「江戸時代の経本、実は奈良時代の写経だった 薬師寺」(リンク切れご容赦)という記事が載っていました。
奈良・薬師寺は1日、寺所蔵の大般若経(だいはんにゃきょう)47冊が、奈良時代に書写された経巻を再構成した「永恩経(えいおんきょう)」の一部とわかったと発表した。元は巻物だったが、江戸時代に折り本に仕立て直されたらしく、これまで江戸時代の経本とされていた。永恩経は約40巻しか見つかっておらず、重要文化財級の発見という。
だそうです。
以前からあったものが、実は由緒正しき「お宝」であったことが判明したというわけです。
明治末期に東大寺の大仏さまの足下から発見されていた鉄剣が、正倉院の御物だということが判ったなんてニュース(こちらで書きましたなぁ)がありましたが、歴史は着々と更新されていくものだと、改めて思いました。
で、話を薬師寺の経本に戻します。
asahi.comの記事を読み始めた時は、最新ニュースだと思っていたのですが、最後にこんな記述があります。
経本は26日~3月6日、東京・五反田の薬師寺東京別院で開かれる「薬師寺の文化財保護展」(朝日新聞社後援)で公開される。
薬師寺東京別院でこうした催し物が開催されることは知っていました。 東博・平成館の文化財保護法制定60周年記念 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」の出口で、お坊さんらしき方(法衣&袈裟姿でした)がフライヤーを配っていらっしゃって、私もいただきましたから。
改めて、いただいてきたフライヤーを見ますと
、
-新たに確認・修復された寺宝-
というフレーズと共に、「永恩経」の写真が載っているではありませんか
情けないことに、まったく気がつきませんでした
というか、こんなドラマチックな背景を持っているものとは、知りませんでした
こりゃ、行ってみなければ
薬師寺東京別院での「薬師寺の文化財保護展」は、2月26日(土)~3月6日(日)と、「たった9日間だけの特別公開」デス
拝観料は500円、「お抹茶付」だそうな。
と、ここまで来て、ちょっとした疑問がわいてきました。
上にリンクを貼ったasahi.comの記事には、2月1日に薬師寺が「江戸時代の経本、実は奈良時代の写経だった」と発表したことになっていますけれど、「大般若波羅蜜多経」の経本が「奈良時代・永恩経」と記されたフライヤーを私が入手したのは1月29日のこと。
こりゃ、薬師寺と朝日新聞が仕込みましたな…