「二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(2日目)」のつづきです。
日曜劇場「JIN-仁-」の第一シリーズのエンディング・テーマは、もちろん、MISIAの「逢いたくていま」でした。
「逢いたくていま」の歌詞が、咲さんの気持ちなのか、野風さんの気持ちなのか、はたまた物語の行く末なのかと考え込んだものでした。
それが、聞いた所によれば、星空のライヴⅤ Just Balladeの鹿児島公演でMISIA曰く、「鹿児島でつくった曲です」だとか。知覧ほか資料館を見学して、つくったのだそうです。
確かに、それならば、合点のいく歌詞です(但し、あまりにも悲しすぎる…)。
でも、だからといって、私がMISIAを追体験しようとして知覧に行ったわけではありません。
旧陸軍の特攻基地として有名な「知覧」を私が知ったのは、まだ中学生の頃だったかと思います。
母親から勧められて読んだこの本(の改版前)がきっかけでした。
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特攻基地知覧 (角川文庫) 価格:¥ 609(税込) 発売日:1973-07 |
この本の中に、知覧で整備兵をしていた私の叔父(母の姉の夫)が実名で登場するのですよ。
【追記】改めて「特攻基地知覧」を読んだところ、叔父は知覧ではなく別の基地勤務で、しかも士官でした (2011/05/07 22:31)
以来、機会があれば知覧に行ってみたいと思いつつ、その機会がなく、今回初訪問したという次第です。
鹿児島中央駅前から満員に近い路線バスで約1時間20分も揺られて、知覧の「特攻観音入口」に着いた時、霧雨
模様でした。
天候は回復するはずだったのに…。
「万が一」としてもってきていた折りたたみ傘をさして、巨大な急須と茶碗
をカメラに収めたり
妙に汚れている「一式戦闘機 隼」(の復元実物大模型?)の写真を撮ったり、
特攻隊員らが出撃前の休息の場としていた「三角兵舎」を見学したり、
知覧特攻平和会館で、特攻隊員の方々の膨大な遺書や遺品を見学して物思いにふけるうち、
いつの間にやら良い天気になり、陽が差していました。
「特攻」という、およそ人間が考え得る最低・最悪の戦術を思いつき、それを実行した(=部下を特攻に出撃させた)日本人がいた
ということについては、後日じっくり考えた上で書くことにして、いくつかの遺書を読んで思ったことは、特攻に出撃した若者たちにとって最も辛かったことは、自分が若くして亡くなることではなく、自分が亡くなることで家族や恋人、友人たちがどれだけ悲しく辛い思いを味わうことになるかを相像することではなかったかと思います。
そして、残された人たちは…
知覧特攻平和会館のとなりにあるミュージアム知覧(郷土史の博物館)で、企画展「婚約者への手紙~最期に、君に伝えたいこと~(フライヤーのPDF)」が開催されていました。
1945年4月12日に知覧を飛び立ち、沖縄で戦死した穴澤利夫大尉が、婚約者に宛てた遺書は、読むのも辛いものでした。
穴澤さんが自宅に来て、帰ったあと、灰皿から穴澤さんが吸ったタバコの吸い殻を取り出し、今も保管している(展示されていました)という婚約者の心情も辛い…
ちょっと「遺書」の一部を転載しておきます。
今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。
然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。
「あなたの幸を希う以外に何物もない。
「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。
あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
<中略>
今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言って見たい。
1、読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2、観たい画
ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
3、智恵子。会いたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って往く。
ことばをなくしてしまいます…
つづきのようなもの:2011/05/02 二十数年ぶりの南九州旅行から帰還