続けざまに「いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)」のつづきに行きます。
金閣寺から「きぬかけの路」を歩いて龍安寺に向かっていると、道路脇の「のり面」が見事な地層を露出させていました。
これほどくっきりとグニャグニャした地層を目にすることは、そうそうあるものではありません。
まったく予定外の眼福でありました。
途中、かなりお腹が減ったので、立命館大学近くの喫茶店で、かなり高いサンドイッチ・セット(やはり京都の食べ物は高い…)を食べているうちに、天気予報どおり雨
が降り出しました。
でも、すぐに龍安寺に到着
上の写真で、参道の両側に低めの竹垣が見えます。何のへんてつもない竹垣だと思っていのですが、この記事を書くために龍安寺のHPをみていたところ、この竹垣は「龍安寺垣」と呼ばれる様式なのだそうな。
引用しますと、
特徴は透かしの部分に割竹を菱形に張っていることであり、菱形のデザインは柱やカーブにも対応しやすく、長い距離に適した竹垣といえる。
だそうです。
ブログを書くことは勉強になります、ホント。
こちらのサイトによれば、最近は、ユニットタイプの竹垣も売られているんですなぁ。
さて、傘をさそうかさすまいかと悩むくらいの雨の中、拝観料500円也を納め、さっそく石庭を観ようとすると、、、
おわぁぁっ、なんじゃこりゃ
団体客がいたわけではなく、個人客が集まって団体になっているのです。
みんな静かに縁側に座って石庭を観ているのですが、それでも、これだけの人たちに混じって石庭に向かい、禅の境地を味わえるほどできた人間ではありません、私は…
石庭を早々に退散し、「唯吾知足」の蹲踞(つくばい)とか、
侘助椿とか、
方丈の内部を観た後、
そそくさと外に出たのでありました
高校の修学旅行で龍安寺に来たときの印象は、「小さな庭…」でした。
今回の再訪で、もっと気の利いた思い出を残したかったのではありますが、叶わなかったのは残念です。
降る雨の勢いが増す中、鏡容池を巡るように庭園を一周し、龍安寺を後にしました。
ところで、龍安寺は、徳大寺家(藤原定家の日記「明月記」の「徳大寺家本」で知られるお家柄)の山荘を細川勝元が譲り受け、禅寺として創建したものだそうです。
こちらの門の「二引紋」は、足利将軍家の紋というよりも、細川家の紋だったんですな。
それにしても、このブログには「二引紋」がよく登場します(例えばこちら)。どうしてなんでしょうか?書いている私にも判りません。
龍安寺を拝観したあと、仁和寺にも足を伸ばそうかと考えていました。
私のHN、徒然煙草は古典の「徒然草」から拝借したもので、そのつながりからして、仁和寺を外すわけにはいかないだろうと思ったのです。
なにせ、石清水に出かけた仁和寺の坊さんが、メインが山の上にあることを知らずに、中途半端で帰ってきてしまった話とか(第52段「仁和寺にある法師」)、宴会で酔っ払った仁和寺の坊さんが頭に鼎(かなえ)をかぶって踊っていたら、鼎が取れなくなってしまったホントに痛い話とか(第53段「これもまた仁和寺の法師」)、徒然草と仁和寺とは切っても
切れない仲です。
ですが、龍安寺を拝観し終わった段階で16:00を過ぎていた、
結構、雨が降っていた、そして何よりも、
疲れていた
という理由で、仁和寺の拝観はまたの機会に
ということで、この日の行動を終了してホテル
に向かったのでありました。
つづき:2011/05/15 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10)