新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)

2011-05-14 20:18:33 | 旅行記

続けざまに「いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)」のつづきに行きます。

金閣寺から「きぬかけの路」を歩いて龍安寺に向かっていると、道路脇の「のり面」が見事な地層を露出させていました。

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これほどくっきりグニャグニャした地層を目にすることは、そうそうあるものではありません。
まったく予定外の眼福でありました。
途中、かなりお腹が減ったので、立命館大学近くの喫茶店で、かなり高いサンドイッチ・セット(やはり京都の食べ物は高い…)を食べているうちに、天気予報どおり雨が降り出しました。

でも、すぐに龍安寺に到着

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上の写真で、参道の両側に低めの竹垣が見えます。何のへんてつもない竹垣だと思っていのですが、この記事を書くために龍安寺のHPをみていたところ、この竹垣は「龍安寺垣」と呼ばれる様式なのだそうな。
引用しますと、

特徴は透かしの部分に割竹を菱形に張っていることであり、菱形のデザインは柱やカーブにも対応しやすく、長い距離に適した竹垣といえる。

だそうです。
ブログを書くことは勉強になります、ホント。
こちらのサイトによれば、最近は、ユニットタイプの竹垣も売られているんですなぁ。

さて、傘をさそうかさすまいかと悩むくらいの雨の中、拝観料500円也を納め、さっそく石庭を観ようとすると、、、
おわぁぁっ、なんじゃこりゃ

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団体客がいたわけではなく、個人客が集まって団体になっているのです。
みんな静かに縁側に座って石庭を観ているのですが、それでも、これだけの人たちに混じって石庭に向かい、禅の境地を味わえるほどできた人間ではありません、私は…

石庭を早々に退散し、「唯吾知足」の蹲踞(つくばい)とか、

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侘助椿とか、

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方丈の内部を観た後、

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そそくさと外に出たのでありました

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高校の修学旅行で龍安寺に来たときの印象は、「小さな庭…」でした。
今回の再訪で、もっと気の利いた思い出を残したかったのではありますが、叶わなかったのは残念です。

降る雨の勢いが増す中、鏡容池を巡るように庭園を一周し、龍安寺を後にしました。

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ところで、龍安寺は、徳大寺家(藤原定家の日記「明月記」の「徳大寺家本」で知られるお家柄)の山荘を細川勝元が譲り受け、禅寺として創建したものだそうです。
こちらの門の「二引紋」は、足利将軍家の紋というよりも、細川家の紋だったんですな。

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それにしても、このブログには「二引紋」がよく登場します(例えばこちら)。どうしてなんでしょうか?書いている私にも判りません。

   

龍安寺を拝観したあと、仁和寺にも足を伸ばそうかと考えていました。
私のHN、徒然煙草は古典の「徒然草」から拝借したもので、そのつながりからして、仁和寺を外すわけにはいかないだろうと思ったのです。

なにせ、石清水に出かけた仁和寺の坊さんが、メインが山の上にあることを知らずに、中途半端で帰ってきてしまった話とか(第52段「仁和寺にある法師」)、宴会で酔っ払った仁和寺の坊さんが頭に鼎(かなえ)をかぶって踊っていたら、鼎が取れなくなってしまったホントに痛い話とか(第53段「これもまた仁和寺の法師」)、徒然草と仁和寺とは切っても切れない仲です。

ですが、龍安寺を拝観し終わった段階で16:00を過ぎていた結構、雨が降っていた、そして何よりも、疲れていたという理由で、仁和寺の拝観はまたの機会にということで、この日の行動を終了してホテルに向かったのでありました。

つづき:2011/05/15 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10) 

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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)

2011-05-14 09:07:35 | 旅行記

書きかけだった京都旅行記のつづきです。
最後に書いたのが4月9日の「随分前のような気のする京都旅行記(その7)」ですから、1か月以上も空いてしまいました また、京都旅行に出かけたのが、大震災から間もない3月19~21日でしたから、もう2か月近く前の話です。

そんなわけで、シリーズの名前も「いったいいつの話だ?の京都旅行記」変えることにしました。

   

前回の記事「その7」では、旅行2日目の午後、北野天満宮に行ったところまで書きました。

ちょっとおさらいとして、旅行当日の夜に書いた「京都旅行ダイジェスト(2日目)」から、この日の旅程を載せておきましょう。

ホテル徒歩⇒大津駅⇒JR琵琶湖線⇒京都駅⇒近鉄京都線・橿原線
⇒西ノ京駅⇒薬師寺⇒西ノ京駅⇒近鉄橿原線・京都⇒京都駅
地下鉄烏丸線⇒今出川駅⇒路線バス北野天満宮徒歩金閣寺
徒歩龍安寺徒歩⇒龍安寺駅⇒嵐電北野線⇒帷子ノ辻駅
徒歩⇒太秦駅⇒JR嵯峨野線⇒京都駅⇒徒歩⇒ホテル

というわけで、北野天満宮参拝のあとは、徒歩金閣寺龍安寺と、高校の修学旅行の追体験(修学旅行の時は当然ながらバスで移動)を続行しました。

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北野天満宮北門を出た私は、西大路通のダラダラとした上り坂を歩き、金閣寺を目指しました。
コインランドリーも、花屋も、食堂も、銭湯も、み~んな「金閣寺」です

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そして、左大文字を間近にみながら、

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金閣寺に到着

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鹿苑寺 通称 金閣寺」には駐車場がありますが、で来ても大丈夫なようです(ただし、3頭まで)。

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拝観料というか、「参拝志納料」400円をお納めすると、お札(おふだ)をいただけました。

110514_1_06 これは実用性の高い「入場券」です

さて、お札(おふだ)にも名前が登場する「金閣舎利殿」、大変に美しゅうございました。

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武家造りの二層(潮音洞:ちょうおんどう)と禅宗仏殿造り風の三層(究竟頂:くっきょうちょう)の「昭和大修復」を経て、張り替えられた金箔がきれいですが、私にとっては、寝殿造りの初層(法水院:ほっすいいん)の焦げ茶の柱や梁白壁との対比が大変に気に入りました。
しかも、法水院の金碧障壁画がかすかに見えたのも、かなりうれしい

ところで、以前から金閣の写真を見るたび、「軒下から伸びる棒」が気になっていました。
これデス。

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間近からしげしげと眺めて、この「」の役割を理解することができました。

なんのことはない。雨だれから柿葺(こけらぶき)の屋根を守るための雨どいだったんですな。

それはともかく、ここにあぐらをかいて、ビールでも飲みながら庭園を眺めたら、さぞかし良い気分になれることでしょう。

何という名前の部分なのでしょうか?

眺め」といえば、ここから眺めると「夕日に映える金閣が殊(コト)に佳(ヨク)い」という茶室「夕佳亭(せっかてい)」からの眺めがこちら。

夕佳亭からの眺め

う~む、、、曇り空がうらめしい…

ところで、夕佳亭の前に賽銭箱が置かれていて、しかも、かなり傾いていました
なぜ茶室の前に賽銭箱が、しかも、こんな妙な風に置かれているのでしょうか?

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このちょいと間抜けな眺めよりも、こちら夕佳亭の風情の方が素敵かもしれません。

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こうして庭園を一周した私は、抹茶ソフトを味わった後、次の目的地・龍安寺を目指してきぬかけの路を歩き始めたのでありました。

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高校の修学旅行で金閣寺に来たときの記憶は、さっぱり残っていません
それほど当時の私には印象の薄い「観光地」だったのでしょう。もしかすると、キンキラキンに対する反発と、そうは思いながらも先入観と当時の経年劣化した金閣との落差にがっかりしたのかもしれません。
でも、歳をとって再訪してみると、なかなか見どころのある、インパクトの強いところでした。
個人の邸宅&庭園だったという事実と、創建当初はかくあってであろう金閣の輝き…。やはり第一級の観光地です
ただ、願わくば、方丈の中も拝観したかったデス…

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つづき:2011/05/14 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)

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