新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10)

2011-05-15 21:35:05 | 旅行記

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)」のつづき、3月19~21日の2泊3日の旅の最終日のスタートです(ダイジェストはこちら)。

ほとんど行き当たりばったりの今回の旅、最終日はとりあえず、初日に行き損ねた親鸞展@京都市美術館(顛末は「その5」で)に行くこととして、その前に久しぶりの南禅寺と初めての琵琶湖疎水記念館、そして、平安神宮の近くにあるという並河靖之七宝記念館に行くことにしました。

そうと決めたら、早々にホテルをチェックアウトして、荷物を京都駅のコインロッカーに放り込み(さすがに9時前なら余裕綽々)、行動開始です。

   

ホテル京都駅⇒地下鉄烏丸線烏丸御池駅⇒地下鉄東西線蹴上駅

のルートで、蹴上に到着しました。
南禅寺に向かう最短ルートはどれなのだろうかときょろきょろしていると目に止まったのが、このトンネル。

110515_2_1_2そして、トンネルの入口にある案内図によれば、

110515_2_02

このトンネルを通れば、南禅寺に行けそうです。

それにしても、案内図に書かれている「トンネル(ネジリマンポ)」って、いったい何?

トンネルに入って、「ネジリマンポ」やらの意味の一端を理解できた気がしました。
なにせ、レンガ積みが、かなりユニークです。
ほら

110515_2_03

トンネルの壁全体がねじれているのです。
アップにしてみましょう。

110515_2_04

う~む…
なぜにこんな積み方なんだ? そして、「ねじり」は判ったけれど、「まんぽ」って何だ?

この時は理解不能でしたが、旅行から帰ってきてから調べるうち、今回の旅行に際しても大きな示唆をいただいた@niftyデイリーポータルZの記事(後述します)のライター木村岳人さんが、同じく@niftyデイリーポータルZで「不思議なトンネル『ねじりまんぽ』」という記事を書いていらっしゃいました。
そして、

ねじりまんぽは、正式には斜拱渠(しゃきょうきょ)と言い、強度を高めるために煉瓦を斜めに積んだトンネル、ということだ。「まんぽ(間歩)」とは鉄道の線路をくぐるトンネルのことで、それがねじれているから「ねじりまんぽ」。至って単純明快なネーミングである。

と、極めて明確に謎を解き明かしてくださいました。
いやぁ~、素晴らしい 木村さんに心からの拍手をお送りします

で、ねじりまんぽとやらを抜けると、何とも静かな、いかにも高級そうな住宅地が続いていました。

110515_2_05

たとえばこちらの「何有荘」という表札が掲げられたお屋敷、調べると、この界隈は南禅寺の敷地に貴顕紳士たちがこぞって造営した別荘の密集地だったそうで、この「何有荘(かいうそう)」もそのひとつとか。

お金持ちの方々には、どうか高級品・美術品の購入や豪邸・名園の造営に精を出していただいて、人生の末期には、相続税対策としてそれらを財団法人の所有に移し、そして一般公開していただきたいものです。

   

歩き進むうちに、こんな掲示を見つけました。

110515_2_06

手作り感あふれる「特別拝観中」のこの掲示、等伯のお猿さん(猿候促月図)もいるではありませんか
って、ここはどこ?

110515_2_07

南禅寺の塔頭の一つ、金地院でした。
金地院(こんちいん)と聞いて思い出すのは、金地院崇伝(こんちいん・すうでん)です。
金地院崇伝は、江戸時代初期に徳川幕府の顧問格として活躍した人で、南光坊天海のライバルです。

当然のように、ここにも東照宮がありました。

110515_2_08

拝殿の天井に描かれた龍は狩野探幽の筆によるものだとか。

110515_2_09

上下左右どうなっているのかよく判らない写真で申しわけありません。 m(_ _)m

さて、金地院は、時間が早かったからなのか、はたまたいつもそうなのか、参拝客がほとんどおらず、ほとんど独り占めでした

110515_2_10

雨上がりの新緑がきれい…

110515_2_11

110515_2_12金地院に吸い寄せられる原因になった「等伯のお猿さん」の拝観は時間が合わずに断念しましたが(この時点で9:50)、私としては大満足でした。

110515_2_13
行き当たりばったりならではの、僥倖ってヤツでしょうか?

   

ホクホクしながら、南禅寺に到着

南禅寺

境内に入ると、、、、、またもや変なものを見つけてしまいました

110515_2_15洗車禁止」?
ここでクルマを洗う人がいるということでしょうか?
確かに、洗車する前にこの掲示をきれいにするのが先だとは思いますが…

以前(こちらの記事をご参照方)、相国寺で見たこちらの掲示ともども、京都五山と自動車との関係が面白い

110515_2_16

つづき:2011/05/17 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その11)

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私を見て! かな?

2011-05-15 08:54:08 | MISIA

昨夜、ろくなTV番組がなかったもので、ザッピングしていたところ、BSジャパンのところで指が止まりました。
放映されていたのは、「世界で最も描かれた女 シュジー・ソリドール」という番組でした(初回放送は2009年12月だとか)。

110515_1_1 シュジー・ソリドール、、、私にとっては画家タマラ・レンピッカの友人(愛人?)で、モデルを務めたということしか知りませんでした(昨年6月27日に放送されたNHK日曜美術館タマラ・ド・レンピッカ 時代を挑発した女」では、シュジーを描くタマラを映した当時のニュース映画を観ることができましたっけ)。
ですが、シュジー・ソリドールが、BSジャパンの番組の副題「226人の画家はなぜ彼女を描いたのか?」にあるように、多くの画家たち、それもかなりの大物を含む画家たちのモデルになったことは知りませんでした。
また、シャンソン歌手としても有名であることも…。

そして驚いたのは、番組のHPに書かれているこの事実

狂乱の時代が終わる20年代末、シュジーは男性との愛をきっかけにイヴォンヌ(徒然煙草注:愛人の女性)と決別し、新しい人生に踏み出す。自分のナイトクラブを開き、本格的にシャンソン歌手として活動を始めた。店の壁には肖像画が飾られ、シュジーは自分の絵に囲まれながら独特の重厚なアルトで歌い、人気を集めた。詩人ジャン・コクトーとの友情、美貌の女流画家レンピカとの親密な関係・・・。同性愛を高らかに歌うシュジー・ソリドールは、自立した女の象徴となり、肖像画は描かれ続けた。モデルになる条件はただひとつ「自分の店に飾ること」だった

つまり、「モデルになってあげてもいいわよ。でも、私のために描いて」ということ。

画家は売るために絵を描いて、そのためにモデルを依頼するのが普通だと思うのですが、これはいったいどうしたことでしょうか?
画家が、報酬はいらない、ただ描きたい という衝動を起こす存在だったということでしょうか、シュジー・ソリドールは…。
その辺り、芸術家ではない私には理解できません。もっとも、絵を描く動機が「報酬はいらない、ただ描きたい」という気持ちだというケースだって十分にあり得ると思います。

   

描いた画家ではなく、描かれたモデルに焦点を当てた「世界で最も描かれた女 シュジー・ソリドール」は、とても面白い番組でした。

着眼点が秀逸だし、登場したソリドールの肖像画がどれも素晴らしかったし(レンピッカの他、藤田嗣治マリー・ローランサンジャン・コクトーキース・ヴァンドンゲンモイーズ・キスリングなどなど、どれも画家の個性が鮮やかに表れていました)、そして、ソリドールの人生がなんとも魅力的でした。
もう一度、番組のHPから引用します。

1900年、シュジー・ソリドールは二十世紀の始まりと共に生まれた。ブルターニュの荒々しい海、海賊の名門の私生児、貧困、彫刻のような端正な顔立ちと並外れた美しい肢体、男性のような低い声・・・、強烈なコンプレックスと相対するプライドは、「人に認められたい」という強い願望となる。その願望は、パリに上京後、肖像画というカタチでかなえられる。肖像画は次第に、イヴォンヌの依頼がなくても描かれるようになった(徒然煙草注:それまではイヴォンヌが「自分用」にシュジーの肖像画作成を画家たちに依頼していた由)  <略>
狂乱の時代が終わる20年代末、シュジーは男性との愛をきっかけにイヴォンヌと決別し、新しい人生に踏み出す。自分のナイトクラブを開き、本格的にシャンソン歌手として活動を始めた。店の壁には肖像画が飾られ、シュジーは自分の絵に囲まれながら独特の重厚なアルトで歌い、人気を集めた。  <略>
多くの人がパリを離れた第二次世界大戦の間も、自分の店で歌い続けた。ドイツ軍将校も来店したことから、戦後、対ナチ協力を疑われて公民権を剥奪された。数年後、カーニュ・シュル・メールに再びナイトクラブを開き、肖像画に囲まれて歌い続け、肖像画も描かれ続けた。最後の作品は1983年。生前から制作され、完成した後、静かに息を引き取った。

眉をひそめる周りの視線もなんのその、同性愛者であることを隠そうともせずに堂々と時代を闊歩し、ナイトクラブを経営して自分で歌い、対独協力者の汚名を着せられてもやがてナイトクラブを再開して歌い続け、最期までモデルを務めた…。
時代の転換点を何度も乗り切って、自分らしさを貫いた、なんとも強い女性です。
番組には、ソリドールの歌の伴奏を務めたおばあちゃんたちが登場しましたが、彼女らはホントにソリドールが大好きって感じで、なんともジーンとしました

ソリドールにとって、モデルである自分を見つめる画家の目、壁に飾られた自分の肖像画を観るナイトクラブの客の目、歌う自分を見つめる観客の目、それらからエネルギーを吸収していたのでしょう。
まさしく、INTO THE LIGHTの歌詞「私を見て」です。

ソリドールは晩年、保有していた自分の自画像50点あまりを、住んでいたカーニュ・シュル・メールの美術館に寄贈します。
この美術館:グリマルディ城美術館では、壁一面に飾られたソリドールの肖像画が観客に見つめられているのでしょう。そして、その様子にソリドールはあの世で微笑んでいるに違いありません。

   

私がシュジー・ソリドールという女性のことを知ったのは、昨年春に観た展覧会「美しき挑発 レンピッカ展」(@ Bunkamura ザ・ミュージアム)でした。(その時の訪問記はこちら

そして、「美しき挑発 レンピッカ展」の開催を知るきっかけになったのは、昨年3月7日の記事「街で見かけたかなり気になるポスター」で書いたように、JR上野駅で見かけたポスター(画像はフライヤーのものですが、ポスターもほぼ同じデザイン)でした。

110515_1_2 見た瞬間、ビビビッと、MISIAのアルバムKISS IN THE SKY」を連想したのでしたっけ…。KISS IN THE SKY (CCCD)
KISS IN THE SKY (CCCD)
価格:¥ 3,059(税込)  発売日:2002-09-26

クルマ通勤になって、駅や電車でポスターを見る機会も、新聞広告を見る機会もほとんどなくなってしまいました。
当然、この時のような運命的(?)な遭遇の機会も激減しています。

どうにかしてアンテナを高く掲げないと、Amazonの「おすすめ商品」ばかりを眺めているように、世界が狭くなってしまいます

ちょっと危機感を覚えている最近の私です。

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