新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

南九州旅行記(その1:水前寺公園の巻①)

2011-05-30 22:10:24 | 旅行記

いまさら、とは思いつつ、ゴールデンウィークの前半(4/29夜~5/2)に決行した3泊4日の南九州旅行の旅行記を始めます。

3泊4日」とはいいながら、思い立つのが遅かったため、熊本に向かう飛行機は遅い便しかとれなかったもので、4月29日の記事「二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(初日)」に書いたように、初日は、熊本空港に着いて、リムジンバスで熊本市内に入って、あとはホテルで寝るだけでした。

そんなわけで、2日目の4月30日から旅行記を始めます。

   

旅行2日目の行程は、4月30日の記事「二十数年ぶりの南九州旅行を決行中(2日目)」に書きましたように、

ホテル(チェックアウト)⇒徒歩熊本駅(荷物をコインロッカーに投入)⇒市電無料)⇒水前寺公園電停徒歩
水前寺成趣園徒歩ジェーンズ邸・日赤記念館⇒夏目漱石旧居
徒歩市立体育館前電停市電無料)⇒通町筋電停徒歩
⇒昼食徒歩花畑公園徒歩熊本城徒歩
熊本県立美術館本館永青文庫展示室徒歩旧細川刑部邸
熊本城周遊バス熊本駅⇒駅ナカで夕食新幹線鹿児島中央駅
徒歩⇒ホテル

というものでした。

ほぼ1日を費やして熊本市内を動き回ったつもりですが、要は、水前寺公園熊本城周辺しか行っていません。
ドタバタと旅行の準備をする中で、熊本での探訪先はこの2カ所しか思いつきませんでした…

さて、通称:水前寺公園、正式名称:水前寺成趣園は見事な大名庭園でありました。

最近はアフロでCMに出演(こちらの記事こちらのサイトをご参照方)されている水前寺清子さんという歌手がいらっしゃいまして(んにゃ…知る人ぞ知る)、彼女の芸名が、彼女の故郷にある水前寺公園から採られていることは知っていましたが、水前寺公園についての私の知識はここまで。
漠然と、「水前寺というお寺があるのだろう」と思っていました。

んで、水前寺成趣園へ向かう「参道(なのでしょうな)」の入口に着くと、

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おぉ、EVタクシー
それはどうでもよろしくて、視線を右に160°ほどずらすと、、、、

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鳥居
鳥居というものは神社の入口に立ってるのが普通で、鳥居をくぐって進んだ真正面にお寺があるケースというものは相当に稀なはずです。

そして、入場料400円を支払って水前寺公園、もとい、水前寺成趣園に入り、説明板を読んでようやく判りました

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細川忠利は、肥後入国に従ってきた豊前羅漢寺の僧玄宅のために寛永9年(1632)、今の成趣園に水前寺を建立しました。その後綱利の時、寺を近隣に移し玄宅寺と呼び、その跡地に庭園を築き、お茶屋を設けました。これが今の水前寺成趣園です。年中絶えることのない清水の庭園は東海道五十三次をかたどったものと言われ、桃山式回遊庭園の代表的なものです。

ですと。やはり「水前寺」というお寺があったんですな。今はありませんけど…。

さて、あまり拝見したことのない大名庭園というもの、天気もほどほどでがきれいで、そして開放感にあふれていました。

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ただ、開放感にあふれすぎていて、現代の建物が否応もなく背景になってしまうのが残念…

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さて、参道にあった鳥居はこの神社「出水(いずみ)神社」のものでした。

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明治11年(1878年)創建といいますから、かなり若い神社です。
水前寺成趣園のHPから沿革を転載しますと、

明治10年西南の役で、熊本の城下は焼野ヶ原となりました。旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって、戦いで荒んだ人心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から崇敬者相集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びここに社殿を創建し、細川藤孝公ほか3柱を斎鎮しました。後に歴代の藩主10柱及び忠興公室ガラシャ夫人が合祀されました。

とな。

110530_1_07 園内には肥後細川藩の初代藩主の忠利公(お寺の水前寺を建立した方)の銅像と、忠利公のおじいさん藤孝公(幽斎)の銅像が並んで立っていました。
揮毫は細川宗家の現当主・細川護熙さんです。

系図ではこのお二人の間に入る忠興公はどうした?

そんな不思議さよりももっと不思議だったのが、この銅像の裏手にある流鏑馬場(というのか?)脇の並木でした。

110530_1_08 なぜに揃いも揃ってこんな妙な形に育っているのでしょうか?

私の故郷の海岸沿いにある防風林・砂防林は、冬の強烈な季節風を受けて斜めに育っているのですが、こんな街中で木の形が変わるような強風が吹くとは思えません。
がぶつかってきたらクッションになるように、あえて矯正したのでしょうか?
なんとも不思議な並木でした。

   

上の方で紹介した水前寺成趣園の説明板では、

年中絶えることのない清水の庭園は東海道五十三次をかたどったものと言われ

とありましたが、どこ東海道五十三次どこをかたどったものかさっぱり判りませんでした。
せいぜい、この築山富士山なのだろうな、、、くらいのもの…

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もうちょいと細かな説明があれば…と思いました。
でも、それは無粋かも…

   

水前寺成趣園には、阿蘇からやって来た湧き水でできた(つくった?)大きながありまして、きれいな水の中ではたくさんのが泳いでいました。

や、どこにでもいるだけでなく、っぽい鳥もいるし、

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そして、何よりも、たぁ~~っくさんいました

うぐぁ~と、伸びをしているようなのとか、

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あんたら、何をしてるんだ」的な2匹とか、

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二日酔いっぽいのとか、

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レツゴー三匹なのとか、

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いったい何匹の亀が棲息しているのでしょうか

っつうことで、「水前寺公園の巻」はまだ続きます。

つづき:2011/05/31 南九州旅行記(その2:水前寺公園の巻②)

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