5月6日の記事、「めったにない『平日休み』忙しい」で、さいたま市の辺境にある官公庁
(by
)と、特別展「写楽」を観に東京国立博物館(東博)(by
)に行ってきたと書きましたが、「さいたま市の辺境」まで行くのも何かの機会
とばかりに、3か月ぶりに埼玉県川島町にある遠山記念館にも行ってきました。前回の訪問のことは、「『二引』が二連発(その2)」で簡単に書きましたが、本編たる「なんとも凄いお屋敷でした」が書きかけでしたっけねえ…
。
ホントは、遠山邸について最後まで書き上げたいところですが、とりあえずきょうのところは美術館についてだけ書きます。
今回、遠山記念館に行った最大のお目当ては、「なんとも凄いお屋敷でした(その1)」で、
こりゃ、ぜっっっっっっっったいに行かねば
と書いた「佐竹本三十六歌仙絵巻」の一枚、「大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)」です。
そして、予定どおり、「佐竹本三十六歌仙絵巻・大中臣頼基」を観ることができました
頼基さんが着ている黒い袍(ほう)に輪郭線として白い線が入っていますが、作品説明によれば、これは白絵具で線を描いたものではなく、墨で塗り残しているのだそうな。
結構大きめの料紙に、余白をたっぷりとって、ちんまりと描いているところがJapanesqueです。
ちなみに右側に書かれている頼基さんの歌は、
つくハやまいとゝしけきに紅葉して
みち見えぬまておちやしぬらん
(筑波山はさぞやびっしりと紅葉して、路が見えないほどに落ち葉が
敷きつめられていることだろう:徒然煙草訳)
だそうですが、、、さっぱり読めんゾ
さて、念願の佐竹本三十六歌仙絵巻以外にも、以前から観たいと思っていた作品を観ることができました。
英一蝶(はなぶさ・いっちょう)の「布晒舞図(ぬのさらしまいず)」です。
英一蝶のことは、2009年10月に放映されたNHK日曜美術館「流人絵師・英一蝶 元禄快男児伝説」で初めて知りました。
NHKのサイトから説明を引用しましょう。
遊郭・吉原に遊び、太鼓持ちとして名を馳せる。小唄を作っては江戸中で流行らせ、大名たちにとりいっては蕩尽させる。しかしその派手な行状が幕府の怒りに触れ、元禄11(1698)年、絶頂期を迎えていた47歳の絵師は三宅島に配流となってしまう。流刑は無期が原則の絶望的な状況。しかし一蝶は、絵筆を捨てず、近隣の島々から画の注文をとって描き続けた。
<中略>
将軍綱吉の死に伴う大赦によって江戸に戻ったときは58歳。「浦島太郎のようだ」とつぶやきながら老絵師は、さらに力を振り絞って傑作「雨宿り図屏風」を生み出す。吉原通いもすぐに復活、豪商と放蕩の限りをつくした。73歳で世を去るが、人々は記憶し続け、俳人・宝井其角との友情と島暮らしの哀感は「英一蝶干物便り」として講談で語り継がれている。
元禄版「新体操のリボン」を連想させる躍動感にあふれたこの作品は、一蝶が三宅島に流されていた頃に描かれたものだそうです。
聞こえる波の音を消すように、一蝶の頭の中では吉原の音曲
が鳴り響いていたことでしょう。
なんとも良い作品です。
美術館を拝見したあと、遠山邸をぐるりと一廻りしました。
前回の雛飾りに代わって、今回は当然のように「端午の節句飾り」を楽しませていただきました。
と、右手前に飾られている人形に目が止まりました。
これって…、つい先日行ってきた熊本城で、気軽に観光客との記念撮影に応じていたこの方ではありませんか
意外なところで再会(?)を果たしました
遠山記念館を後にした私は、一旦自宅に帰り、今度は電車で上野に向かいました。
自宅の最寄り駅から上野駅までは、埼京線⇒京浜東北線(快速)を乗り継いで、約30分。
日頃の通勤に片道1時間半を要していることを思えば、悲しいくらい近い…
今年度は何回東博にいけるんでしょうねぇ…。
それはともかく、本館特別5室で開催中の特別展「手塚治虫のブッダ展」を観た後(感想はまた後日)、約1か月ぶりに総合文化展(本館2階)を観覧。
さすがに、前回(昨年のパスポートの有効期限当日の4月2日に行ってきました)とは大きな違いのない展示でしたが、それでも、今回はこちらの名品
を拝見することができました。
Wikipediaの「見返り美人図」についての記述にこんなのがありました。
同時代で年下の絵師・英一蝶は本作に刺激を受けてか、対抗するかのように、構図等に類似点の多い1図『立美人図』を描いている。
ですと
出てきましたなぁ~、英一蝶
確かに、一蝶の「立美人図」には師宣の影響が如実に現れています(一蝶の描いた「見返り美人」は、いかにも吉原風…)。
まったく意識していなかったのですが、見事につながりました
ということで、きょうはこの辺で失礼