「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その9)」のつづき、昨年末の愛知(名古屋・犬山)旅行最終日のお話は、シリーズのタイトルを変えてお届けします。
もう3月も半ばになろうかというのに、「忘れた頃に年末の…」では、「いつの年末?」って感じですから…。
それにしても、前のシリーズ・タイトル「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開」は、不適切だったのではなかろうか…
なにせ、シリーズ9本が、すべて「博物館 明治村」の話に終始しているんですから…。しかも、どれもケータイ
からは修正もできない
ほどの少なからぬ文量でしたし…
そんなわけで、シリーズのタイトルを変えて、昨年末の愛知(名古屋・犬山)旅行最終日の見聞録を始めることにします。
さて、この日私は、当日の記事「愛知(名古屋・犬山)旅行最終日が始まりました」で書いたように、朝食後、ホテル
の近所を散歩してきました。
その帰り道、こんなものを発見
犬山城と木曽川での鵜飼いをあしらった地方色豊かなマンホールの蓋なんですが、そこに書かれている文字は「おすい」
下水道のマンホールなのでしょうけれど、木曽川を汚水が流れているように見えて、あまり芳しくないと思います…
「芳しくない」といえば、この建物も芳しくない…
犬山城下の町人街・外町(とまち)は、見事な景観を保っていました。
ところどころ「抜け」もありますが、
それはそれで、町家の側面を観ることができて興味深いものがあったのですが、件(くだん)の建物は、ただ景観を損なっている
としか思えません
いったい誰だよ、こんな無粋な建物を建てたのは と、半ば憤慨
したら、この建物
は、、、、
「犬山市福祉会館」、公共施設でした
マンホールの蓋といい、犬山市福祉会館といい、なんだか、犬山市が率先して街の雰囲気を壊しているような気がして…
犬山で暮らしている犬山市民の人たちにとってどうなのか判りませんが、一介の旅行者の目
には、そのように映りました
初っぱなからネガティブなお話で恐縮ですけれど、このあと挽回
しますよ
つづき:2014/03/18 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その2)