「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その3)」のつづきも有楽苑のお話です。
有楽苑の中には如庵の他、3つの建物が立っています。
まず、如庵と渡り廊下で繋がっている旧正伝院書院(「その2」の最後の写真です)。
![旧正伝院書院 140322_1_02](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/3d/b8eb862dbad783c26172e6c8a585a65d.jpg)
次は、「如庵の作者織田有楽が大坂の天満屋敷に建てた茶室を再現した(図録
より)」という元庵(げんあん)。
![元庵 140322_1_03](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d5/b4921efd6ed217345d7e318908456aad.jpg)
そして、「四季折々、有楽苑内で催される茶会のために建てられた新席」の弘庵(こうあん)です。
![弘庵 140322_1_04](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/eb/46828338a8a78f6f757b65211b7c6950.jpg)
有楽苑の全体図はこうなっています。
![有楽苑の全体図 140322_1_01](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/0c/205afeb09328f3fa95fff5fee0cf832d.jpg)
あ"
トイレ
もあった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/sign02.gif)
このトイレ、有楽苑の風情に合わせた造り
になっていまして、トイレ
だからといってあなどれません![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/punch.gif)
![有楽苑のトイレ 140322_1_05](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4b/5f03d46241c26f2f8c83cfbddad2d74a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/shoe.gif)
それじゃ、通用門から入って有楽苑内をずずっと散策してみましょうか。
元庵の裏手にある「元庵中門」が、なかなかかわいらしい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/heart04.gif)
![元庵中門 140322_1_06](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b5/59a0afd94264e9290fbbfb639225f177.jpg)
思わず、「元庵中門」をくぐって、元庵に近づいてみました。
この眺め、まさしくJapanesque![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/sign01.gif)
![元庵中門 140322_1_07](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e8/8996984466eb3a2c16cea2465110ea03.jpg)
ほげ~
としながらふり返ると、
![元庵 140322_1_08](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/83/bc101454d9d7df482e702711a2f41117.jpg)
これまたJapanesqueですなぁ~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/japanesetea.gif)
石灯籠と中門、そして中門に通じる飛び石 …、実にイイです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/punch.gif)
この「元庵中門」とは対照的に、旧正伝院書院の前に立つ岩栖門は、ど~ん
って感じでした。
![岩栖門 140322_1_09](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/35/e0e02bb1a1184b0e992006057efd9ed8.jpg)
「岩栖門」は図録
によれば、
この門は文明年間に細川満元が京都新町頭に建立した岩栖院の唐門と伝えられている。
その後京都の東山へ移されたが、慶長年間再び旧地に戻され、明治末年三井家の手に渡り、如庵と共に大磯へ移されたが、有楽苑正面の門として犬山へ移築された。
だそうで、如庵・旧正伝院書院・岩栖門の3点セットが、三井宗家から名鉄
と所有権が移ると同時に、大磯から犬山にやって来た由。
ちょっと威風堂々
過ぎて、近づきがたい雰囲気を漂わせています…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/catface.gif)
「近づきがたい」といえば、旧正伝院書院の外壁に沿って、点々と妙なものが置かれていました。
両手で包み込めるくらいの大きさの石が、縄で十文字に括られています。
別の場所で見かけたものをアップ
して載せますと、こんなモノです。
![「有楽好みの井筒」前にあったソレ 140322_1_11](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ce/5391b45ab73c5cb754485fc2441eec95.jpg)
親切にも説明板
がありました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/sign01.gif)
これは「関守石(せきもりいし)」というもので、
関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に据えられる石で、蕨縄やシュロ縄で十文字に結んである小石のことです。
茶道の作法
において、この石が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があり、これから先、客の出入りを遠慮してもらうための印として関守の役をもたせたためにこの名があります。
関守石の形式としては、径10~15cmぐらいの比較的底の安定の良い小石に、シュロ縄か蕨縄でにぎりをつけて持ち運びできるようにしたものが使用されるのが一般的なようです。
その簡素で優れたデザイン性に加え、その用途に応じ、必要な時に、必要な場所に配置することができるのが優れた点でもあります。
止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ばれます。
だそうです。
なるほど…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/confident.gif)
「立入ご遠慮下さい」という立て札
じゃ無粋
だし、ただ石ころが置かれていたら、たまたまそこに石ころがある
みたいなのに対して、縄で括られた石が置かれていれば、主人
の何らかの意思が込められた石だと思いますものねぇ…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/confident.gif)
「察して下され
」という奥ゆかしさが、これまたJapanesqueだなぁ~と思い入った
次第です。
つづき:2014/04/18 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その5)