新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その13)

2011-05-21 18:19:50 | 旅行記

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その12)」のつづきです。

その10」で、

この時は理解不能でしたが、旅行から帰ってきてから調べるうち、今回の旅行に際しても大きな示唆をいただいた@niftyデイリーポータルZの記事(後述します)のライター木村岳人さんが・・・

と書いたものの、後述し忘れていました

くだんの木村さんの記事は、「琵琶湖疎水をたどって京都まで」ではなく(いま見つけました)、今年3月17日に掲載された「琵琶湖疎水を巡る、産業観光モニターツアーに参加した」でもなく(あの地震後、@niftyデイリーポータルZはほとんど見ていませんでした)、2月17日の「京都では学校建築を見るべきだ」でした。
もっとも、この記事自体はあまりしっかりと読んでいなくて、だからこそ記事の冒頭に出てくる龍谷大学の建物を観て、「その2」で書いたように、

ここはどこ? 私は誰?」な建物でした。
しっかりと予習していれば、おぉ で済む話かもしれませんけれど、何の予備知識もなかった私ドキドキでありましたよ。

なんてことになったのでした。ケガの功名ってやつでしょうか?

で、私の目を引きつけたのは木村さんの記事の一番最後に書かれていたこの告知でした。

京都の大学には明治時代の建造物が数多く残っていて楽しいですが、京都には大学建築以外にも、明治時代に築かれた土木建築がいろいろ残っています。その代表格といえば、やはり琵琶湖疏水じゃないでしょうか。
来月、2011年3月12日(土)、13日(日)に、観光庁のモニターツアー事業として「琵琶湖疏水ツアー」が開催されるそうです。私が以前デイリーに書かせていただいた「琵琶湖疏水をたどって京都まで」という記事をご縁に、このツアーにご招待いただきました。
  【明治ロマンの道~琵琶湖疏水と近代京都をめぐる~】 
疏水とか明治とかねじりまんぽとか、そういうのにご興味のある方は、参加されてはいかがでしょうか。私は3月13日のツアーにうかがう予定です。

そして、リンク先のツアー募集サイトを見て、楽しそう~と思ったのですよ。
そんなわけで、木村さんの一連の記事をしっかりと読んでいれば、今回の京都旅行は若干違う感覚で楽しめたのかもしれません。
でも、まぁ、知らなかったからこそ楽しめた部分もかなりあると思っています

   

さて、昼食に南禅寺名物の湯豆腐を食べた後(地震後、近所のスーパーでは豆腐がずっと品切れで、私は豆腐を渇望しておりました)、京都市美術館へと向かいました。

今回は、裏側から敷地に侵入(?)しましたが、京都市美術館は、裏側から見ても素敵な建物です

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基本デザインを本館と合わせた事務棟もかなりよござんす

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そして、扉の金具が絢爛豪華

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さて、初日にもやって来たものの、既に入場時間を過ぎていた(記事はこちら親鸞展を観ますぞ

110521_2_04 チケット売り場で、2日前に東本願寺でgetした割引券を提示したところ、売り場のおねえさまは、ボールペンと割引券を返してよこし、

こちらに「しゅうは」をご記入いただけますか?

とな

「しゅうは」って・・・?

聞くと、

例えば『本願寺派』といったものです。

だそうで、なぁ~んだ「宗派」か
さっそく「大谷派」と記入すると、当日1,300円のところ、無事に800円で入場できました

で、色々あった末に観た親鸞展だったのですが、、、わたし的にはイマイチでした。

国宝・教行信証(坂東本)で親鸞聖人の肉筆を拝見できたことが一番の収穫だったでしょうか(失礼ながら、結構がさつな筆遣いでした)。
もともと、ほとんど信心を持っていないから(もちろん私が、デス)ですかねぇ~

   

なんともあっけなく親鸞展を観終わって京都市美術館を後にした私が向かったのは、並河靖之七宝記念館です。

並河靖之さんというのは、明治~大正期に活躍した七宝作家で、私がその名前を知ったのは、2009年秋に東京国立博物館で開催された「御即位20年記念特別展『皇室の名宝-日本美の華-』」がきっかけでした。

2009年10月12日の記事「東京国立博物館で満腹感!」でこのように書きました。

最後に紹介するのは、「第2部 近代の宮殿装飾と帝室技芸員」で展示されていた、並河靖之作「七宝四季花鳥図花瓶」です。まったく予備知識もなく観たこの作品、実に実に美しい作品でした。きょうの「東博完全制覇」で、もっとも「持って帰りたい作品」でした
ありゃ、人間わざではありませんよ、ホント。
この記事を書くにあたって、下調べ(後調べ?)をしているうちに、京都に「並河靖之七宝記念館」という施設があることを知りました。機会があったら是非行きたいものです。ただ、この記念館、毎週月・木曜日の休館日に加えて、冬休み(12月初旬~翌年3月中旬)と夏休み(7月中旬~9月初旬)まであるので、なかなかタイミングが難しそうです。

永徳、若冲から大観、松園まで」と副題が冠されたこの展覧会で「もっとも持って帰りたい作品」に選び出したのですから、その気に入り方はハンパではありませんでした(持って帰っても飾れない作品は除外しています。無意味なこだわりですが…
宮内庁・三の丸尚蔵館のHPに作品の写真が載っていますが、ほの暗い会場で観たこの作品は、地の漆黒が周りの空気と一体となって、そこから草花や鳥が飛び出してくるようでした。

そんなこともあり、また、冬休み夏休みはあっても春休みはないし、休館日の月・木曜日祝日の場合は翌日に振り替えだそうですから、喜び勇んで出かけた次第です。

神宮通を南に歩き、一旦、三条通まで出て、ちょいと西に進んで「この辺りか?」と「上る」と、

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なんとも京都なおうち

そしてその向かいに、これまた京都なおうち(というにはかなりデカイ)の並河靖之七宝記念館はありました。

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この記念館の見どころは、並河さんが生涯手放さなかったという作品群だけではなく、明治時代中頃に建てられた建物通り庭というものを初めて見ました)や工房、琵琶湖疎水を引き込んだ庭園も見事なものでした。

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決して広い庭ではありませんが(私の実家の庭の数倍は広いケド)、外界とを区切る塀の内側には小宇宙のように落ち着いた空間が広がっていました。

並河さんは帝室技芸員に任命され、東京に工房を構えた後も、本拠地はこの京都の屋敷に置いていたそうです。
そりゃそうでしょう。皇室技芸員に任命されたのは、この屋敷が完成した2年後のこと。
いくら名誉ある仕事をもらったとしても、こんな素敵なお屋敷を離れたくないのは致し方ないことだと思います。

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ふと屋根を見上げると、一文字瓦と呼ばれる瓦と、、、七宝紋に「」を組み合わせたトレードマーク(?)が

ホンの数十mしか離れていないところを、クルマがブンブン走る三条通が通っているというのに、この落ち着いた風情はどうしたことなんでしょ。
並河靖之七宝記念館はお薦めデス。開館していれば、ですが…

   

これにて、2泊3日の京都旅行の主な見物はほぼ終了。
あとは新幹線の時間を横目に見ながら、たらたらと京都駅に向かうだけです。

京都旅行3日目の散策マップはこんな具合です。

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さぁ、次回はようやく完結編です

【追記】さきほど、TV番組表をつらつらと見ていたところ、今日(5月22日)のNHK BSプレミアムの放送予定に、こんな番組を発見

“いのち映す超絶工芸”▽色彩めぐる小宇宙
 七宝家・並河靖之

な な な なんというタイミングでしょうか
あわてて録画予約しました

よくよく見ると、「極上美の饗宴」のシリーズ「いのち映す超絶工芸」の第2回として、先週月曜日夜に放映したものの再放送のようです。
不覚でした…

放送時間・内容は以下のとおりです。

5月2322日(日) 13:00~13:58
シリーズ“いのち映す超絶工芸”▽色彩めぐる小宇宙 七宝家・並河靖之
シリーズ「いのち映す超絶工芸」第2回は、明治の七宝家・並河靖之。金属の素地に釉薬で彩色し焼成する七宝は、3000年以上の歴史を持つ。なかでも、日本の自然の色彩の移ろいを繊細に表現した並河の作品は、最高峰とされる。葉の一枚一枚まで微妙に異なる色のグラデーション。花や鳥を縁取る緻密(ちみつ)で表情豊かな線。それらを際立たせる漆黒の背景。一代限りで受け継がれなかった並河の幻の技の秘密と、その生涯を探る。

ご興味がありましたら是非ご覧ください [2011/05/22 07:59]

つづき:2011/05/22 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その14:完結編)

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「MISIAの森」プロジェクトが始動!

2011-05-21 10:40:07 | MISIA

きのう、一般財団法人mudefからメルマガが届きました。

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TOPICSは、三つで、
HOPE FOR JAPANの募金活動 in 新潟・長野・神奈川、「MISIAの森」プロジェクトが始動、エリナの家修復工事の進捗状況 でした。

この中で、わたし的に最も注目は、「MISIAの森」プロジェクト
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国際森林年」の「国際生物多様性の日」、2011年5月22日に、石川県森林公園で「森の保全活動を通じて生物多様性の保全の重要性を訴える、『MISIAの森』プロジェクト」がスタートするのだそうです。

mudefのリリースによれば、「MISIAの森」の活動の3本柱は、

森づくり活動:森の保全活動と津幡町の子どもたちによる生きもの調査の実施
アートプロジェクト:アート作品を通じた生物多様性をテーマにしたメッセージの発信
子どもの夢の森づくり:子どもが考える夢の森づくりのアイデアを公募形式で募集

というもので、こうした活動を通じて、

森の保全を行うとともに、生物多様性の保全を訴えるメッセージ発信。さらに、子どもたちが住む未来の地球を意識し「希望」をつなぐ存在を中心に据えることで、子どもたち自身が未来を考えていくきっかけとなるような「豊かな森」作りを、アートを通じて行う。人間どうし、生物どうしのつながりを通じ、アートという形でメッセージを発信していくことで、想像することの豊かさや大切さを、訪れる人たちに喚起していく。

のだとか。

すばらしいことです

石川県は列車に乗って通過したことしかない私、「MISIAの森」が活動している間(5年間)に、ぜぇ~ったいに行きたいゾ

   

ところで、人が木を植えて、それを育てるという営みって、凄いことだと思っています。
木の寿命は人間より遙かに長いですから、自分が植えた木が生長して、それが材木となって売れるようになる頃には、自分が生きている保証はまったくありません。まさしく「子孫に美林を残す」つもりでなければ、植林は割に合いません。

日本列島の上を飛ぶ飛行機から地上を見下ろすと、日本ってホント緑の多い国です。
日本の国土面積の2/3森林です。そして、日本の森林の40%人工林が占めているといいます。
つまり、日本人は、国土面積の1/4以上に人為的に木を植えたということになります。
これって、凄くないですか

ところが、2009年4月20日の記事「『木』について考えてみた」に書いたように、その人工林危機に瀕しています
森林の手入れをする人手が足りないことよりも(っつうか、仕事の無い人がたっぷりいるのに…)、商売としてなりたたないことが大きな問題です。
林業の望ましいサイクルは、

先祖の植えた木を販売する⇒木材の収入を元に植林する⇒間伐・枝落とし・下草刈りなど手入れをする⇒間伐材を販売する⇒間伐材の収入を元に手入れする⇒良質な木が育つ⇒木を販売する⇒以上の繰り返し です。

ところが、日本の多くの人工林では、

先祖の植えた木を販売する⇒木材の収入を元に植林する⇒放置⇒ひょろひょろの木しか育たない⇒木が売れない⇒商売にならない です。

「MISIAの森」の「テーマ」にある「森の保全を行う」というのは、森を見守る(=放置する)ことではなくて、積極的に手入れすることを意味しているはずです。
そして、積極的に手入れするためには、手入れする人の厚意に頼るだけでは長続きするはずもなく、手入れすることが経済的な意味を持つ(見返りが見込める)ようにすることが必要でしょう。
森林が土砂災害の防止や水源としての役目を果たしているとして公費をつぎ込むことにも意義があるでしょうけれど、それだけではなく、林業が「なりわい」として成り立つようにすることが必要だと思います。

林野庁が「林業の持続的かつ健全な発展」のためにやっているという諸施策を検証・強化することとか、「持続性のない方法」で伐採された木材・加工品に対する輸入制限・高関税なんて方法もアリかもしれません。

また、私のような一般人も、値段が多少高くても、意識して国産材を使うことが必要かも…。
「MISIAの森」プロジェクトの協賛企業のひとつ、アサヒビールは2,156haもの社有林「アサヒの森」を持っています。
ビール瓶の王冠の内側に貼るコルクを手に入れるためにアベマキ(阿部真紀さんではない)を植林・育成したのが始まりだったそうで(数年前、こちらの造林企業社長さんの講演をお聴きしたとき、聴講者の一人だったアサヒビールのトップの方が話されていました)、なんとなく、水力発電のための水源地として所有し始めたという東京電力尾瀬との関係に似ています。

東電の話はともかく、「アサヒの森」で伐採された間伐材は、建築材として使われている他、「アサヒグループの経営する外食店舗向けの割り箸や、看板や絵馬といった飲食店向け販促物の材料として活用」されているそうです。

   

割り箸といえば、世の中の外食産業から割り箸がどんどん姿を消しています。
牛丼屋ならまだしも、ラーメン屋うどん屋までが割り箸ではなくプラスチック箸に変わってきています。私としては、非常に嘆かわしく思っています。
仮に、国産間伐材を利用した割り箸が+5~10円(こちらをご参照)で「トッピング」としてメニューにあれば、私はこちらを選びます

ところで、「割り箸を燃やしたら、CO2が排出されるのでは?」とお思いの方、割り箸に使われる木材に含まれる炭素は、長くとも過去数十年に大気から吸収したCO2由来のものですから、それを燃やすことでCO2が排出されたとしても、地球環境にはニュートラルです。

   

と、またもやグダグダ書いてしまいました。でも、ネタをもう一つ

●●の森」と聞いて思い出したのはこちら。

110521_1_3 名古屋にある「ノリタケの森」です。

名前に反して「」ではなくて野原っぽいところですが、良いところでした。愛知・名古屋界隈の窯業の歴史なんぞも勉強できましたし

ノリタケの森に出かけたのは2006年8月のこと。
1日半の年休をとって、MISIA 星空のライヴⅢ Music is a joy forever名古屋公演@名古屋センチュリーホールを聴きに遠征した際に行ってきました。

星空のライヴIII~Music is a joy forever~ [DVD] 星空のライヴIII
Music is a joy forever [DVD]

価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2008-12-17

おりしも、昨夜そして今夜と、THE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUEST名古屋公演ですな。

うぐぅ~ また行きたい、TOMJSQ

コメント (2)
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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その12)

2011-05-19 23:55:19 | 旅行記

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その11)」のつづきは、琵琶湖疎水記念館の訪問記です。

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東北で生まれ育った私にとって琵琶湖疎水は、安積疎水とともに、「そんな水路があるらしい」程度の認識でしたが、京都で生まれ育った人たちは、きっと「郷土史」で勉強したことでしょう。

京都市三大事業」というものがあるそうで、この碑によると、

110519_1_02

第2疎水
水道
市電の走る幹線道路

の「同時建設」とな。

第2疎水はあっても、琵琶湖疎水がありませんな。
琵琶湖疎水は、その「開通を転機に東京遷都後の沈滞からよみがえった」といいますから、まさしく別格の扱いです。

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きっと、京都市内の小学生たちが社会科見学でこの琵琶湖疎水記念館にやってきて、京都府知事として琵琶湖疎水の建設に尽力した北垣国道さんとか、担当の土木技師・田邊朔郎さんとかのことを勉強しているのでしょう。

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リンク先をご覧の方はおわかりでしょうけれど、琵琶湖疎水記念館京都市上水道局の広報施設で、館内の展示が 撮影禁止なのは残念ですが、入場無料デス

また、館外なら撮影(だと思う…)。
こんな水車ペルトン式水車)とか、

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こんな発電機スタンレー式発電機)とか、

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はたまた、ただの古い材木にしか見えないこんなの大津閘門の木)とか、

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産業遺産好きの私としては、盛り上がりっぱなしです

   

さて、琵琶湖疎水は、1881年(明治14年)に北垣知事が構想し、1885年に着工して、1890年に完成した、琵琶湖の水を京都に引くための水路です。

何の先入観もなく想像すれば、飲み水を琵琶湖から引くために造ったものだと思いがち(私だけ?)ですが、

疎水の水力で新しい工場を興し、で物資の行き来を盛んにしようという計画

だったのだとか(琵琶湖疎水記念館のリーフレットより)。
ですから、日本最初の事業用水力発電所蹴上発電所」(下の写真は第2疎水と共に1902年に完成した第2期発電所)とか、

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下流の舟溜まりにいるを上流に引き上げるインクラインとか、

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と、セットなんですな。

私は、この日この時まで知りませんでした

とっくに滋賀と京都との物流はトラック輸送に置き換わってしまったわけで、インクラインは「廃線」ですが、いいです、この眺め…

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話を琵琶湖疎水記念館に戻しますと、工事技師を務めた田邊朔郎さんの話が凄かった…。

なにせ田邊さんときたら、1861年に生まれ、卒業論文に琵琶湖の疎水計画を取り上げて1883年に工部大学校東京大学工学部の前身)を卒業したと思ったら、直ちに京都府御用掛として採用されて、琵琶湖疎水工事の工事技師ですぞ

つまり、大学を出たばかりの若者が、こんな大プロジェクトの責任者に任命されて、その仕事を成し遂げたというわけです。

任命する方も任命する方なら、プロジェクトを任されて、それを実現してしまう方も…デス

なんという時代だったのでしょうかねぇ~

思いを現代に呼び戻すと沈鬱な気分になりつつも、幕末~明治初期の日本人のDNAを、現代の日本人も受け継いでいるはずではないか、やりようによっては何とかなるのではないか、と思った次第です。

つづき:2011/05/21 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その13)

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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その11)

2011-05-17 22:27:15 | 旅行記

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10)」のつづきは南禅寺から始めます。

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南禅寺と言えば、石川五右衛門がその楼上から「絶景かな、絶景かな」と言ったとか言わないとかで有名な三門(実際にはあり得ない話らしい)とか、国宝の方丈が見どころなのでしょうけれど、京都旅行最終日のテーマは、初日から持ち越しになってしまった「親鸞展」を除いて、「近代の京都」です。

ですから、私が南禅寺にやって来たお目当てはこちら

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1880年代後半につくられた水道橋、水路閣です(「」ってのがいい)。

琵琶湖の水を京都市街に引き込んだ水路、琵琶湖疎水を街の北に引き込むための水道橋だそうで、地面は写真の手前(西)が低く、写真の奥(東)が高くなっています。

写真の手前(西側)に、水路閣の上まで行けそうな通路があったので登っていきますと、

110517_1_03おわぁっ 水が流れています

現役です
しかも、標高の低い西側から標高の高い東側へ
理屈で考えれば当然なのですが、単純に驚きました

それでは、水路の下流はどうなっているのでしょうか?
一旦、水路閣の下に下りて、芸術的な眺めを楽しみながら、

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南禅寺の本坊の裏山を登っていくと、水路は北にカーブしていて、、、

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水路閣の終点がありました。

このように、疎水はトンネルの中へと続いていました。

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このトンネルに入った疎水は、更に北に向かって流れ、やがて、哲学の道に寄り添って流れている、と、聞きますが、私は哲学の道を歩いたことがありません…

水路閣が現役の水路として使われていることを確認した私は、かなり満足して、南禅寺の境内へと戻りました。
と、目に止まったのは、境内の側溝

110517_1_07水は、当然のように、高きから低きへと、東から西へと流れています。
ですが、すぐ近くにある水路閣の水が、側溝の水とはまったく逆の方向に流れているのを見たばかりの私にとっては、かなり感慨深いものがありました

で、以上で今回の南禅寺訪問はお終い。
時間にもっと余裕があれば、方丈庭園も拝観したかったのですが…
まぁ、また京都に来る機会があることでしょうから、その時の楽しみにとっておくことにしましょう。

   

南禅寺を後にした私は、次なる目的地、琵琶湖疎水記念館へと向かいました。

110517_1_08

この日お目当ての施設だけあって、楽しめました

が、このつづきはまた後日。
小分けで申しわけありませんが、いろいろ事情がありまして…

つづき:2011/05/19 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その12)

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減らしたのか?減ったのか?

2011-05-16 22:16:37 | 日記・エッセイ・コラム

帰宅すると、郵便受けに電気の検針票が入っていました。
全国的に広がりつつある節電活動、私の実績はどうなのかを見てみました。

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今年の4月13日~5月15日の33日間の電気使用量は314kWhで、昨年5月分は31日間で461kWh
単純に計算して▲32%デス

ちなみに、先月分、3月11日(地震の前日が検針日だったんだ…)~4月12日は33日間で371kWh、昨年4月分は33日間で569kWhでしたから、▲35%にもなっていました

大震災後、エアコンはほとんど動かしていないし、トイレの便座を暖めるのは止めたし、照明を抑え気味にしているし、4月以降は、出勤前のTVの電源はずっとOFFにしてます。そんな「取り組み」の積み重ねが使用電力の削減につながったのでしょうか?

もっとも、3月以降、京都旅行だ、北海道遠征だ、温泉競馬だ、南九州旅行だ、と、未だかつてないほど頻繁に旅行していたこともあるでしょうけれど…。でも、温泉競馬以外は東京電力管外への旅行ですから、節電には協力していたことにはなるのではなかろうか…

さて、今年の夏はどんな夏になるのでしょうか?
私の勤務先では、機械を冷やす空調最優先で、人を冷やす空調は必要最小限にとどめられることになっています。
東電東北電力の管内だけでなく、ほぼ全国的に節電が求められることになりそうな今年の夏、冷害にならない程度冷夏になってほしいと思います。ホント、後生だから…デス

考えてみると、今年の会社の夏休みがどうなるのか現時点では不明ですが、帰省しても、あまり節電には結びつきません…

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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10)

2011-05-15 21:35:05 | 旅行記

いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)」のつづき、3月19~21日の2泊3日の旅の最終日のスタートです(ダイジェストはこちら)。

ほとんど行き当たりばったりの今回の旅、最終日はとりあえず、初日に行き損ねた親鸞展@京都市美術館(顛末は「その5」で)に行くこととして、その前に久しぶりの南禅寺と初めての琵琶湖疎水記念館、そして、平安神宮の近くにあるという並河靖之七宝記念館に行くことにしました。

そうと決めたら、早々にホテルをチェックアウトして、荷物を京都駅のコインロッカーに放り込み(さすがに9時前なら余裕綽々)、行動開始です。

   

ホテル京都駅⇒地下鉄烏丸線烏丸御池駅⇒地下鉄東西線蹴上駅

のルートで、蹴上に到着しました。
南禅寺に向かう最短ルートはどれなのだろうかときょろきょろしていると目に止まったのが、このトンネル。

110515_2_1_2そして、トンネルの入口にある案内図によれば、

110515_2_02

このトンネルを通れば、南禅寺に行けそうです。

それにしても、案内図に書かれている「トンネル(ネジリマンポ)」って、いったい何?

トンネルに入って、「ネジリマンポ」やらの意味の一端を理解できた気がしました。
なにせ、レンガ積みが、かなりユニークです。
ほら

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トンネルの壁全体がねじれているのです。
アップにしてみましょう。

110515_2_04

う~む…
なぜにこんな積み方なんだ? そして、「ねじり」は判ったけれど、「まんぽ」って何だ?

この時は理解不能でしたが、旅行から帰ってきてから調べるうち、今回の旅行に際しても大きな示唆をいただいた@niftyデイリーポータルZの記事(後述します)のライター木村岳人さんが、同じく@niftyデイリーポータルZで「不思議なトンネル『ねじりまんぽ』」という記事を書いていらっしゃいました。
そして、

ねじりまんぽは、正式には斜拱渠(しゃきょうきょ)と言い、強度を高めるために煉瓦を斜めに積んだトンネル、ということだ。「まんぽ(間歩)」とは鉄道の線路をくぐるトンネルのことで、それがねじれているから「ねじりまんぽ」。至って単純明快なネーミングである。

と、極めて明確に謎を解き明かしてくださいました。
いやぁ~、素晴らしい 木村さんに心からの拍手をお送りします

で、ねじりまんぽとやらを抜けると、何とも静かな、いかにも高級そうな住宅地が続いていました。

110515_2_05

たとえばこちらの「何有荘」という表札が掲げられたお屋敷、調べると、この界隈は南禅寺の敷地に貴顕紳士たちがこぞって造営した別荘の密集地だったそうで、この「何有荘(かいうそう)」もそのひとつとか。

お金持ちの方々には、どうか高級品・美術品の購入や豪邸・名園の造営に精を出していただいて、人生の末期には、相続税対策としてそれらを財団法人の所有に移し、そして一般公開していただきたいものです。

   

歩き進むうちに、こんな掲示を見つけました。

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手作り感あふれる「特別拝観中」のこの掲示、等伯のお猿さん(猿候促月図)もいるではありませんか
って、ここはどこ?

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南禅寺の塔頭の一つ、金地院でした。
金地院(こんちいん)と聞いて思い出すのは、金地院崇伝(こんちいん・すうでん)です。
金地院崇伝は、江戸時代初期に徳川幕府の顧問格として活躍した人で、南光坊天海のライバルです。

当然のように、ここにも東照宮がありました。

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拝殿の天井に描かれた龍は狩野探幽の筆によるものだとか。

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上下左右どうなっているのかよく判らない写真で申しわけありません。 m(_ _)m

さて、金地院は、時間が早かったからなのか、はたまたいつもそうなのか、参拝客がほとんどおらず、ほとんど独り占めでした

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雨上がりの新緑がきれい…

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110515_2_12金地院に吸い寄せられる原因になった「等伯のお猿さん」の拝観は時間が合わずに断念しましたが(この時点で9:50)、私としては大満足でした。

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行き当たりばったりならではの、僥倖ってヤツでしょうか?

   

ホクホクしながら、南禅寺に到着

南禅寺

境内に入ると、、、、、またもや変なものを見つけてしまいました

110515_2_15洗車禁止」?
ここでクルマを洗う人がいるということでしょうか?
確かに、洗車する前にこの掲示をきれいにするのが先だとは思いますが…

以前(こちらの記事をご参照方)、相国寺で見たこちらの掲示ともども、京都五山と自動車との関係が面白い

110515_2_16

つづき:2011/05/17 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その11)

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私を見て! かな?

2011-05-15 08:54:08 | MISIA

昨夜、ろくなTV番組がなかったもので、ザッピングしていたところ、BSジャパンのところで指が止まりました。
放映されていたのは、「世界で最も描かれた女 シュジー・ソリドール」という番組でした(初回放送は2009年12月だとか)。

110515_1_1 シュジー・ソリドール、、、私にとっては画家タマラ・レンピッカの友人(愛人?)で、モデルを務めたということしか知りませんでした(昨年6月27日に放送されたNHK日曜美術館タマラ・ド・レンピッカ 時代を挑発した女」では、シュジーを描くタマラを映した当時のニュース映画を観ることができましたっけ)。
ですが、シュジー・ソリドールが、BSジャパンの番組の副題「226人の画家はなぜ彼女を描いたのか?」にあるように、多くの画家たち、それもかなりの大物を含む画家たちのモデルになったことは知りませんでした。
また、シャンソン歌手としても有名であることも…。

そして驚いたのは、番組のHPに書かれているこの事実

狂乱の時代が終わる20年代末、シュジーは男性との愛をきっかけにイヴォンヌ(徒然煙草注:愛人の女性)と決別し、新しい人生に踏み出す。自分のナイトクラブを開き、本格的にシャンソン歌手として活動を始めた。店の壁には肖像画が飾られ、シュジーは自分の絵に囲まれながら独特の重厚なアルトで歌い、人気を集めた。詩人ジャン・コクトーとの友情、美貌の女流画家レンピカとの親密な関係・・・。同性愛を高らかに歌うシュジー・ソリドールは、自立した女の象徴となり、肖像画は描かれ続けた。モデルになる条件はただひとつ「自分の店に飾ること」だった

つまり、「モデルになってあげてもいいわよ。でも、私のために描いて」ということ。

画家は売るために絵を描いて、そのためにモデルを依頼するのが普通だと思うのですが、これはいったいどうしたことでしょうか?
画家が、報酬はいらない、ただ描きたい という衝動を起こす存在だったということでしょうか、シュジー・ソリドールは…。
その辺り、芸術家ではない私には理解できません。もっとも、絵を描く動機が「報酬はいらない、ただ描きたい」という気持ちだというケースだって十分にあり得ると思います。

   

描いた画家ではなく、描かれたモデルに焦点を当てた「世界で最も描かれた女 シュジー・ソリドール」は、とても面白い番組でした。

着眼点が秀逸だし、登場したソリドールの肖像画がどれも素晴らしかったし(レンピッカの他、藤田嗣治マリー・ローランサンジャン・コクトーキース・ヴァンドンゲンモイーズ・キスリングなどなど、どれも画家の個性が鮮やかに表れていました)、そして、ソリドールの人生がなんとも魅力的でした。
もう一度、番組のHPから引用します。

1900年、シュジー・ソリドールは二十世紀の始まりと共に生まれた。ブルターニュの荒々しい海、海賊の名門の私生児、貧困、彫刻のような端正な顔立ちと並外れた美しい肢体、男性のような低い声・・・、強烈なコンプレックスと相対するプライドは、「人に認められたい」という強い願望となる。その願望は、パリに上京後、肖像画というカタチでかなえられる。肖像画は次第に、イヴォンヌの依頼がなくても描かれるようになった(徒然煙草注:それまではイヴォンヌが「自分用」にシュジーの肖像画作成を画家たちに依頼していた由)  <略>
狂乱の時代が終わる20年代末、シュジーは男性との愛をきっかけにイヴォンヌと決別し、新しい人生に踏み出す。自分のナイトクラブを開き、本格的にシャンソン歌手として活動を始めた。店の壁には肖像画が飾られ、シュジーは自分の絵に囲まれながら独特の重厚なアルトで歌い、人気を集めた。  <略>
多くの人がパリを離れた第二次世界大戦の間も、自分の店で歌い続けた。ドイツ軍将校も来店したことから、戦後、対ナチ協力を疑われて公民権を剥奪された。数年後、カーニュ・シュル・メールに再びナイトクラブを開き、肖像画に囲まれて歌い続け、肖像画も描かれ続けた。最後の作品は1983年。生前から制作され、完成した後、静かに息を引き取った。

眉をひそめる周りの視線もなんのその、同性愛者であることを隠そうともせずに堂々と時代を闊歩し、ナイトクラブを経営して自分で歌い、対独協力者の汚名を着せられてもやがてナイトクラブを再開して歌い続け、最期までモデルを務めた…。
時代の転換点を何度も乗り切って、自分らしさを貫いた、なんとも強い女性です。
番組には、ソリドールの歌の伴奏を務めたおばあちゃんたちが登場しましたが、彼女らはホントにソリドールが大好きって感じで、なんともジーンとしました

ソリドールにとって、モデルである自分を見つめる画家の目、壁に飾られた自分の肖像画を観るナイトクラブの客の目、歌う自分を見つめる観客の目、それらからエネルギーを吸収していたのでしょう。
まさしく、INTO THE LIGHTの歌詞「私を見て」です。

ソリドールは晩年、保有していた自分の自画像50点あまりを、住んでいたカーニュ・シュル・メールの美術館に寄贈します。
この美術館:グリマルディ城美術館では、壁一面に飾られたソリドールの肖像画が観客に見つめられているのでしょう。そして、その様子にソリドールはあの世で微笑んでいるに違いありません。

   

私がシュジー・ソリドールという女性のことを知ったのは、昨年春に観た展覧会「美しき挑発 レンピッカ展」(@ Bunkamura ザ・ミュージアム)でした。(その時の訪問記はこちら

そして、「美しき挑発 レンピッカ展」の開催を知るきっかけになったのは、昨年3月7日の記事「街で見かけたかなり気になるポスター」で書いたように、JR上野駅で見かけたポスター(画像はフライヤーのものですが、ポスターもほぼ同じデザイン)でした。

110515_1_2 見た瞬間、ビビビッと、MISIAのアルバムKISS IN THE SKY」を連想したのでしたっけ…。KISS IN THE SKY (CCCD)
KISS IN THE SKY (CCCD)
価格:¥ 3,059(税込)  発売日:2002-09-26

クルマ通勤になって、駅や電車でポスターを見る機会も、新聞広告を見る機会もほとんどなくなってしまいました。
当然、この時のような運命的(?)な遭遇の機会も激減しています。

どうにかしてアンテナを高く掲げないと、Amazonの「おすすめ商品」ばかりを眺めているように、世界が狭くなってしまいます

ちょっと危機感を覚えている最近の私です。

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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)

2011-05-14 20:18:33 | 旅行記

続けざまに「いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)」のつづきに行きます。

金閣寺から「きぬかけの路」を歩いて龍安寺に向かっていると、道路脇の「のり面」が見事な地層を露出させていました。

110514_2_01

これほどくっきりグニャグニャした地層を目にすることは、そうそうあるものではありません。
まったく予定外の眼福でありました。
途中、かなりお腹が減ったので、立命館大学近くの喫茶店で、かなり高いサンドイッチ・セット(やはり京都の食べ物は高い…)を食べているうちに、天気予報どおり雨が降り出しました。

でも、すぐに龍安寺に到着

110514_2_02

上の写真で、参道の両側に低めの竹垣が見えます。何のへんてつもない竹垣だと思っていのですが、この記事を書くために龍安寺のHPをみていたところ、この竹垣は「龍安寺垣」と呼ばれる様式なのだそうな。
引用しますと、

特徴は透かしの部分に割竹を菱形に張っていることであり、菱形のデザインは柱やカーブにも対応しやすく、長い距離に適した竹垣といえる。

だそうです。
ブログを書くことは勉強になります、ホント。
こちらのサイトによれば、最近は、ユニットタイプの竹垣も売られているんですなぁ。

さて、傘をさそうかさすまいかと悩むくらいの雨の中、拝観料500円也を納め、さっそく石庭を観ようとすると、、、
おわぁぁっ、なんじゃこりゃ

110514_2_03

団体客がいたわけではなく、個人客が集まって団体になっているのです。
みんな静かに縁側に座って石庭を観ているのですが、それでも、これだけの人たちに混じって石庭に向かい、禅の境地を味わえるほどできた人間ではありません、私は…

石庭を早々に退散し、「唯吾知足」の蹲踞(つくばい)とか、

110514_2_04

侘助椿とか、

110514_2_05

方丈の内部を観た後、

110514_2_06

そそくさと外に出たのでありました

110514_2_07

高校の修学旅行で龍安寺に来たときの印象は、「小さな庭…」でした。
今回の再訪で、もっと気の利いた思い出を残したかったのではありますが、叶わなかったのは残念です。

降る雨の勢いが増す中、鏡容池を巡るように庭園を一周し、龍安寺を後にしました。

110514_2_08

ところで、龍安寺は、徳大寺家(藤原定家の日記「明月記」の「徳大寺家本」で知られるお家柄)の山荘を細川勝元が譲り受け、禅寺として創建したものだそうです。
こちらの門の「二引紋」は、足利将軍家の紋というよりも、細川家の紋だったんですな。

110514_2_09

それにしても、このブログには「二引紋」がよく登場します(例えばこちら)。どうしてなんでしょうか?書いている私にも判りません。

   

龍安寺を拝観したあと、仁和寺にも足を伸ばそうかと考えていました。
私のHN、徒然煙草は古典の「徒然草」から拝借したもので、そのつながりからして、仁和寺を外すわけにはいかないだろうと思ったのです。

なにせ、石清水に出かけた仁和寺の坊さんが、メインが山の上にあることを知らずに、中途半端で帰ってきてしまった話とか(第52段「仁和寺にある法師」)、宴会で酔っ払った仁和寺の坊さんが頭に鼎(かなえ)をかぶって踊っていたら、鼎が取れなくなってしまったホントに痛い話とか(第53段「これもまた仁和寺の法師」)、徒然草と仁和寺とは切っても切れない仲です。

ですが、龍安寺を拝観し終わった段階で16:00を過ぎていた結構、雨が降っていた、そして何よりも、疲れていたという理由で、仁和寺の拝観はまたの機会にということで、この日の行動を終了してホテルに向かったのでありました。

つづき:2011/05/15 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その10) 

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いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)

2011-05-14 09:07:35 | 旅行記

書きかけだった京都旅行記のつづきです。
最後に書いたのが4月9日の「随分前のような気のする京都旅行記(その7)」ですから、1か月以上も空いてしまいました また、京都旅行に出かけたのが、大震災から間もない3月19~21日でしたから、もう2か月近く前の話です。

そんなわけで、シリーズの名前も「いったいいつの話だ?の京都旅行記」変えることにしました。

   

前回の記事「その7」では、旅行2日目の午後、北野天満宮に行ったところまで書きました。

ちょっとおさらいとして、旅行当日の夜に書いた「京都旅行ダイジェスト(2日目)」から、この日の旅程を載せておきましょう。

ホテル徒歩⇒大津駅⇒JR琵琶湖線⇒京都駅⇒近鉄京都線・橿原線
⇒西ノ京駅⇒薬師寺⇒西ノ京駅⇒近鉄橿原線・京都⇒京都駅
地下鉄烏丸線⇒今出川駅⇒路線バス北野天満宮徒歩金閣寺
徒歩龍安寺徒歩⇒龍安寺駅⇒嵐電北野線⇒帷子ノ辻駅
徒歩⇒太秦駅⇒JR嵯峨野線⇒京都駅⇒徒歩⇒ホテル

というわけで、北野天満宮参拝のあとは、徒歩金閣寺龍安寺と、高校の修学旅行の追体験(修学旅行の時は当然ながらバスで移動)を続行しました。

110514_1_1

北野天満宮北門を出た私は、西大路通のダラダラとした上り坂を歩き、金閣寺を目指しました。
コインランドリーも、花屋も、食堂も、銭湯も、み~んな「金閣寺」です

110514_1_2

そして、左大文字を間近にみながら、

110514_1_3

金閣寺に到着

110514_1_04

鹿苑寺 通称 金閣寺」には駐車場がありますが、で来ても大丈夫なようです(ただし、3頭まで)。

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拝観料というか、「参拝志納料」400円をお納めすると、お札(おふだ)をいただけました。

110514_1_06 これは実用性の高い「入場券」です

さて、お札(おふだ)にも名前が登場する「金閣舎利殿」、大変に美しゅうございました。

110514_1_07

武家造りの二層(潮音洞:ちょうおんどう)と禅宗仏殿造り風の三層(究竟頂:くっきょうちょう)の「昭和大修復」を経て、張り替えられた金箔がきれいですが、私にとっては、寝殿造りの初層(法水院:ほっすいいん)の焦げ茶の柱や梁白壁との対比が大変に気に入りました。
しかも、法水院の金碧障壁画がかすかに見えたのも、かなりうれしい

ところで、以前から金閣の写真を見るたび、「軒下から伸びる棒」が気になっていました。
これデス。

110514_1_08

間近からしげしげと眺めて、この「」の役割を理解することができました。

なんのことはない。雨だれから柿葺(こけらぶき)の屋根を守るための雨どいだったんですな。

それはともかく、ここにあぐらをかいて、ビールでも飲みながら庭園を眺めたら、さぞかし良い気分になれることでしょう。

何という名前の部分なのでしょうか?

眺め」といえば、ここから眺めると「夕日に映える金閣が殊(コト)に佳(ヨク)い」という茶室「夕佳亭(せっかてい)」からの眺めがこちら。

夕佳亭からの眺め

う~む、、、曇り空がうらめしい…

ところで、夕佳亭の前に賽銭箱が置かれていて、しかも、かなり傾いていました
なぜ茶室の前に賽銭箱が、しかも、こんな妙な風に置かれているのでしょうか?

110514_1_11

このちょいと間抜けな眺めよりも、こちら夕佳亭の風情の方が素敵かもしれません。

110514_1_12

こうして庭園を一周した私は、抹茶ソフトを味わった後、次の目的地・龍安寺を目指してきぬかけの路を歩き始めたのでありました。

110514_1_13

   

高校の修学旅行で金閣寺に来たときの記憶は、さっぱり残っていません
それほど当時の私には印象の薄い「観光地」だったのでしょう。もしかすると、キンキラキンに対する反発と、そうは思いながらも先入観と当時の経年劣化した金閣との落差にがっかりしたのかもしれません。
でも、歳をとって再訪してみると、なかなか見どころのある、インパクトの強いところでした。
個人の邸宅&庭園だったという事実と、創建当初はかくあってであろう金閣の輝き…。やはり第一級の観光地です
ただ、願わくば、方丈の中も拝観したかったデス…

110514_1_14

つづき:2011/05/14 いったいいつの話だ?の京都旅行記(その9)

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おさらばえ~ (ToT)

2011-05-12 21:44:48 | ニュース

MISIAの「逢いたくていま」に、こんな歌詞があります。

もう二度と 逢えないことを 知っていたなら
繋いだ手を いつまでも 離さずにいた
『ここにいて』と そう素直に 泣いていたなら
今も あなたは 変わらぬまま 私の隣りで 笑っているかな

逢いたくていま 逢いたくていま
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2009-11-18

まさしくこの感覚を味わざるをえないニュースが飛び込んできました。

日本たばこ(JT)が、

上記73銘柄以外で震災前に販売しておりました23銘柄につきましては、以前より銘柄ごとの販売数量が少なく、今後においても需要の減少がさらに加速するものと予想されることから、出荷の再開を断念し、廃止することといたしました。

110512_1_1 と発表して(こちらをご参照方)、その「出荷の再会を断念し、廃止する」23銘柄の中に、私が吸っていた「マイルドセブンFK」が含まれていたのです。(右の写真は、2009年4月2日の記事「赤羽の空気はうまかった」に登場したもの)

マイルドセブン・ファミリーのパッケージが揃ってモデルチェンジした時も「マイルドセブンFK」は置いてけぼりで、「廃止されるのかな…」と思っていたし、東日本大震災後に他のJT製たばこが在庫切れになる中で「マイルドセブンFK」は最後まで売られていて、「もともと売れていなかったのか?」と思っていました。
そうしたところ、案の定です…

△月□日をもって、販売を終了します」というアナウンスがあれば、それなりに気持ちの整理もできたでしょうけれど、一時的な販売休止だったはずだったのが、そのまま廃止とは…。
販売再開を待っていた私としては、なんとも…

もっとも、これを機会にタバコをやめるか?、といいますと、そんな気はさらさらなかったりもします

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