新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

犬山で江戸時代にタイムスリップ(その2)

2014-03-18 23:28:21 | 旅行記

3月12日の記事「犬山で江戸時代にタイムスリップ(その1)」のつづきです。

今回、犬山で泊まったホテルの敷地内に国宝がありました

ホテルの宿泊客用の割引があるということで、拝見してきました(Suicaが使えました)。

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三つあるという「国宝の茶室」のひとつ、如庵(じょあん)です。

織田信長の弟・織田有楽斎(東京・有楽町の町名の由来になったとかならなかったとか…)が、京都・建仁寺の塔頭「正伝院」に建てた茶室です。

もともと京都にあった茶室がなぜ犬山に?

三井記念美術館サイトによれば、

「如庵」は、明治41年(1908)に三井家の所有となり東京・麻布今井町の三井邸内に移築、昭和3年、北家十代の三井高棟が如庵披きの茶会を行いました。昭和11年には旧国宝に指定され、昭和12年(1937)から5年の歳月をかけ大磯の三井家別荘に移築され、昭和26年(1951)に国宝に再指定されました。
その後、昭和40年に名古屋鉄道に売却され、現在は、
愛知県犬山市に移築されています。

だそうで、東奔西走って感じですナ
東京・麻布今井町の三井邸」って、これまた移築されたこちら(@江戸東京たてもの園こちらの記事に登場)が立っていたところでしょうか?

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と、思ったら、如庵があったという「麻布今井町」と、上に載せた「三井八郎右衛門邸」があった「麻布笄町」とは、全然違う場所でした

   

話を如庵に戻しまして、今、如庵犬山市にある「有楽苑(うらくえん)」の中に佇んでいます。

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この「有楽苑」、リーフレットによりますと、

如庵は、その(正伝院)境内に元和4年(1618)ころ建てた茶室であり、現存する国宝茶席三名席の一つとして茶道史上貴重な遺構である。旧正伝院書院は如庵に連なる隠居所であり重要文化財に指定されている。明治以降、これらの遺構は各地を転々としたが、ようやく有楽の生まれ故郷に帰りつき、安住の地を犬山に得て、「有楽苑」と名づけ後世に残すことになった。

だそうです。
これらの建物が、明治~大正期のものだったら、同じ名鉄グループ「博物館 明治村」に移築されていたでしょうけれど、いかんせん、江戸時代初期のものです。

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やはり「博物館 明治村」とは別の場所が必要だったのでしょう。

「茶道系に弱い私ではありますが、かなり楽しめた「有楽苑」のお話は「その3」に続きます、、、、というか、「本編」はこれから です

つづき:2014/03/19 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その3)

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MISIA関連ニュースが続々

2014-03-16 09:47:25 | MISIA

4月2日ライヴ「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration Thank you 15, Happy 16」の開催とアルバム「NEW MORNING」の発売を控えて、ニュースが続々と発表されています。

NEW MORNING(初回生産限定盤) NEW MORNING(初回生産限定盤)
価格:¥ 4,179(税込)
発売日:2014-04-01
NEW MORNING(通常盤) NEW MORNING(通常盤)
価格:¥ 3,150(税込)
発売日:2014-04-01

MISIAの公式サイトから発表順に整理しますと、

140316_1_01 レンタル向けCD 『MEGA MISIA-NEW MORNING MIX-Mixed by MEGA RAIDERS Limited Rental Edition』 2014年3月26日、取り扱い開始!!

「レンタル向けCD」って、MISIAでは初めてかもしれません。

収録曲リストをみると、既に私が持っている音源ばかりのようですので、iPod Toutchプレイリストをつくりました。

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なかなか良い選曲です
私がMISIAのRemixの中では「未だにコレをこえるRemixはないと思っている、

SWEETNESS (Satoshi Tomiie Sweeter 12" Mix)
忘れない日々 (
Hex Hector's Club Mix)
Everything (Hex Hector's Club Mix)

の3曲が入っています

しばらく通勤(帰宅時)のクルマでは、このプレイリストヘビロテしそう…
一回り1時間35分と、聴き応え充分ですし、、、、、あれ? これだけの分量がCDに入るのか

と思ったら、

収録時間は約30分とボリュームたっぷりのスペシャルなCDとなります。

ですと
単純に既出の音源を並べるんじゃなくて、ダイジェストにしてnon stopに編集しているみたいですナ。
う~む、、、このバージョンも聴いてみたい…

   

NHK-FM『MISIA アフリカの風』WEBページが公開!

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4月1日から始まるNHK-FM「MISIA アフリカの風」の公式サイトがオープンしました。
放送時間は、

火曜 午後11時~翌午前0時(最終週除く)
翌週火曜 午前10時~11時(再)

だそうで、第1回の4月1日は、フラゲしているはずの「NEW MORNING」との間で心が揺れることになりそうです

   

そして最後は、

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「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration Thank you 15, Happy 16」が、Bunkamura オーチャードホールからYouTube全世界生中継

おわぁ~ 凄い
私もYouTube生中継を観たい

とはいえ、当日その時、私はBunkamura オーチャードホールでライヴに参加しているはずですから、YouTube生中継を観ることはできません。
逆に、何らかの理由でライヴに行けなくなって、仕方なくYouTube生中継を観るようなことは絶対にあってはならないこと

「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration Thank you 15, Happy 16」に行けない皆さん、生中継を楽しんでくださいね

ところで、この生中継の映像と音声は、その後、どうなるのでしょうか
もしかして、「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」ライヴDVD & BDは、WOWOW生中継された横浜アリーナでの「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration- Hoshiora Symphony Orchestra」Bunkamura オーチャードホールでの「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration Thank you 15, Happy 16」2種類または豪華2枚組で発売されるのかな?

私としては、どちらでもOKです。

   

ということで、色々と楽しみであります。

こちらで書いたように、4月13日(日)午後にはWOWOWライブでは7時間にも及ぶ(よくよく「7」と縁のあるMISIAです「MISIAスペシャル」が放映されます

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こちらもお忘れなく

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予定どおり美術館・博物館3館と劇場をハシゴ

2014-03-15 23:37:23 | 演芸・演劇

一昨日の記事「今週末の予定」で書いた「ハシゴ」を決行しました。
ルートは、

自宅徒歩最寄り駅埼京線赤羽駅宇都宮線(高崎線かも)上野駅徒歩東京国立博物館(総合文化展)徒歩東京都美術館特別展「世紀の日本画」後期 & 昼食)⇒徒歩上野駅山手線池袋駅徒歩買い物徒歩西武池袋駅⇒西武池袋線⇒(練馬駅で乗り換え)⇒中村橋駅徒歩練馬区立美術館(野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―)徒歩中村橋駅⇒西武池袋線練馬駅都営大江戸線新宿駅小田急線下北沢駅徒歩本多劇場(あとにさきだつうたかたの)徒歩下北沢駅小田急線新宿駅埼京線最寄り駅徒歩⇒自宅

というもので、図に表すとこんな具合。赤線片道利用青線往復利です。

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もっと一筆書きに近づけようとすれば、下北沢からの帰りを、

下北沢駅京王井の頭線渋谷駅埼京線赤羽駅京浜東北線南浦和駅武蔵野線最寄り駅

というルートもありましたが、そこまで「一筆書き」にこだわる必要はありませんから…

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しかも、これでもなお中村橋駅⇔練馬駅はダブりますしねぇ…

   

さて、きょうの「ハシゴ」、その内容は後日書くとしまして、結論から言えば、どれもこれも良かったぁ~

その中でイチオシは、「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」でした。

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いやはや、凄い 面白い 見事

あそこまで緻密甲冑のミニチュアを造り出すだけでもとてつもないのに、とんでもない趣向が盛り込まれていて、もう「感服」のひと言です

図録だけでなく、こんなお土産を買ってきてしまいました。

140315_1_03 「ロケットマン」鉛製フィギュアです。

紙袋も凝っていて、できることなら、袋に直接印刷されていたら言うことがなかったのに…
惜しいなぁ…。

「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」は先週の日曜美術館アートシーンで取り上げられた影響があるのか、観客密度でいえば、東博よりも特別展「世紀の日本画」よりも高かった気がします。

これはお薦めデス

この展覧会、練馬区立美術館での開催は4月6日(日)までで、その後、アサヒビール大山崎山荘美術館に巡回します(4月19日~7月27日)。

そうかぁ…アサヒビール大山崎山荘美術館に巡回ですかぁ…。

「さて、大山崎~山口晃展~」を観に行ったなぁ~、アサヒビール大山崎山荘美術館

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野口哲哉さんの作品って、山口晃さんとモチーフが被っているところが少なからずある気がして、あの美術館でもう一度観てみたい気分です。

きょうの詳しい話は、また後日ということで、今夜のの写真を載せて、、、

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では、この辺で……

【追記】きのう、東京国立博物館で観た鞍(くら)と鐙(あぶみ)のセットです。

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「鶴亀蒔絵鞍鐙(江戸時代・19世紀)」だそうで、

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MISIAの、

になっても、になっても歌い続けて行きます

というフレーズを思い出しました (2014/03/16 11:12)

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明日はJRのダイヤ改正

2014-03-14 23:30:50 | ニュース

明日、3月15日、JRのダイヤ改正が行われます。
JR東日本の場合、今年の改正の目玉は、

秋田新幹線「こまち」の320km/h 運転開始
○長野新幹線に新型車両E7系導入
○高崎線特急の車両置き換えに伴う輸送体系見直しと新たな通勤着席サービス開始
○常磐線(各駅停車)のデータイム増発に伴う武蔵野線との接続利便性向上
○東京メガループの利便性向上
  ・南武線、朝通勤時間帯の増発と快速運転の拡大

だそうで、この中では、私にとって関係ありそうなのは、最初の「秋田新幹線『こまち』の320km/h 運転開始」くらいのものです。
秋田新幹線「こまち」の車両が、すべてE6系に置き換わって、スピードアップするというわけですが(下の写真は去年4月に私が初めて乗ったE6系@大宮駅。記事はこちら)、

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一方、初代「こまち」E3系秋田新幹線から引退です

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上の写真は、今年1月の帰省Uターンで私が最後に乗った「E3系こまち」です(記事はこちら)。

秋田新幹線からは引退したE3系ですが、山形新幹線東北新幹線では走り続けるようですから、まだしばらくはお目にかかれそうです。

   

もう一つ、今年のダイヤ改正で感慨深いのは、寝台特急「あけぼの」レギュラー引退

140314_1_04 今夜のNHK「ニュースウォッチ9」では、下りラストランの出発の模様を上野駅から生中継するは、上りラストランの秋田駅(途中駅)での到着・出発を生中継するはで、この取り扱いの大きさは何だ って感じでした。

私が初めて上京したのは高校生のときで、その交通手段が寝台特急「あけぼの」

生まれて初めて乗る寝台特急(ブルートレイン)の走行中の振動や、発車時の衝撃(客車ですから…)が印象的でしたっけ…
そして、それ以上に印象的だったのが、夜が明けて上野が近づいたときの車窓の風景
恐らく、蕨~川口付近の風景かと思うのですが、巨大なマンションが立っていて、各戸の入口のドアが同じ形でズラリと並んでいました。
自分の家を間違ったりしないのだろうか と思った記憶があります。

数年前の年末、たまにはブルートレインで帰省してみようか と思い立って、寝台特急「あけぼの」の下りのきっぷを申し込んだことがありました(ブルートレインのきっぷえきねっとでは予約できません)。
発売日の昼休み、どきどきしながら東京駅のみどりの窓口に行くと、「ハズレの予約番号」が張り出されていまして、数個しかないその「ハズレの予約番号」の中に私の予約番号が入っていました…

   

私が最後に寝台列車に乗ったのは12年前、中国の瀋陽⇒北京です。
瀋陽を夜に発って、翌朝には北京に着きますから、ちょうど秋田⇒上野と同じような距離なのかもしれません。

その寝台(硬臥)というのが、凄かった

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3段式というのは、私が最初に乗った「あけぼの」もそうでしたから、高さがないのは似たようなもの
問題は、落下を防止するベルトも、ベッドを囲むカーテンもないこと

おいおい、こんな状況で眠れというのか と思ったら、9時か10時になると、車内のすべての照明バホッと消されて、真っ暗

確かに、これならカーテンは不要です…
それにしても、よくベッドから落ちなかったものですな。
それと、毛布がなんだか湿っているような感じで、ちょっと… でした。

   

話を寝台特急「あけぼの」に戻すと、レギュラー引退の理由は、利用者の減少車両の老朽化だそうです。
何度か「あけぼの」「北斗星」を見かけたことがありますが、車両の外観は確かにかなり老朽化していて、ちょっと痛々しいほどでした。

収入とコストを天秤にかけると、普通のブルートレインにはお金をかけられないのだろうな…と納得です。

やはり、今の日本では、寝台特急が生き残る道は「カシオペア」や「ななつ星」のような豪華寝台列車しかないのだろうと思います。
いつかは豪華寝台列車で旅行してみたいと思ってはいるのですが、それは実現できるのはいつのことなのでしょうかねぇ…

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今週末の予定

2014-03-13 22:57:13 | MISIA

今週末、「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」追加・東北シリーズ前半の福島編(3/14の南相馬と3/16の会津若松)で、私としてはどちらも遠征したい気持ちたっぷりなんですが、仕事のことや交通の便を考えると無理でして、私は自宅またはクルマの中から声援を送るつもりです。

その代わりというか反動というか、複数の予定を詰め込みました

   

まずは、だいぶ前に前売り券を買っていた東京都美術館特別展「世紀の日本画」後期

140313_1_03 まだ会期に余裕はあるとは言え、早めに出かけて、併せて、東京国立博物館「伝藤原光能像」を観てこようという算段です。

   

次に、先週日曜日(3/9)のNHK「日曜美術館 アートシーン」を観て、これは観に行かなくては と思った練馬区美術館「野口哲哉展―野口哲哉の武者分類図鑑―」

140313_1_01 練馬区美術館には一度も行ったことのない私ですが、西武池袋線中村橋駅からすぐの場所のようですから、交通の便としては問題はなさそうです。

   

最後は、ドタバタとチケットを取った加藤健一事務所公演「あとにさきだつ うたかたの」です。

140313_1_02 カトケンの芝居は久しぶりですし(ちょうど1年ぶり:記事はこちら)、未だかつてないほどステージに近い席が取れましたので楽しみです。

   

課題は、「あとにさきだつ うたかたの」が開演する17:00までに、中村橋上野を経由して下北沢にたどり着くかということ…

到底、一筆書きは無理ですから、いかに効率よく巡回できるのでしょうか?
そして、それぞれを満喫できるのでしょうか?(これが一番大事)

ちょっと盛り込みすぎでしょうか…

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犬山で江戸時代にタイムスリップ(その1)

2014-03-12 22:49:52 | 旅行記

「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その9)」のつづき、昨年末の愛知(名古屋・犬山)旅行最終日のお話は、シリーズのタイトルを変えてお届けします。
もう3月も半ばになろうかというのに、「忘れた頃に年末の…」では、「いつの年末?」って感じですから…。

それにしても、前のシリーズ・タイトル「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開」は、不適切だったのではなかろうか… なにせ、シリーズ9本が、すべて「博物館 明治村」の話に終始しているんですから…。しかも、どれもケータイからは修正もできないほどの少なからぬ文量でしたし…

そんなわけで、シリーズのタイトルを変えて、昨年末の愛知(名古屋・犬山)旅行最終日の見聞録を始めることにします。

   

さて、この日私は、当日の記事「愛知(名古屋・犬山)旅行最終日が始まりました」で書いたように、朝食後、ホテルの近所を散歩してきました。
その帰り道、こんなものを発見

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犬山城木曽川での鵜飼いをあしらった地方色豊かなマンホールの蓋なんですが、そこに書かれている文字「おすい」

下水道のマンホールなのでしょうけれど、木曽川汚水が流れているように見えて、あまり芳しくないと思います…

芳しくない」といえば、この建物芳しくない…

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犬山城下の町人街・外町(とまち)は、見事な景観を保っていました。

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ところどころ「抜け」もありますが、

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それはそれで、町家側面を観ることができて興味深いものがあったのですが、件(くだん)の建物は、ただ景観を損なっているとしか思えません

いったい誰だよ、こんな無粋な建物を建てたのは と、半ば憤慨したら、この建物は、、、、

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「犬山市福祉会館」公共施設でした

マンホールの蓋といい、犬山市福祉会館といい、なんだか、犬山市が率先して街の雰囲気を壊しているような気がして…

犬山で暮らしている犬山市民の人たちにとってどうなのか判りませんが、一介の旅行者の目には、そのように映りました

初っぱなからネガティブなお話で恐縮ですけれど、このあと挽回しますよ

つづき:2014/03/18 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その2)

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あの日から3年

2014-03-11 22:28:30 | 日記・エッセイ・コラム

きょうの14:46、職場で黙祷しました。

あの日から3年経ちました。

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こんなに早い時刻だったっけ? と思ったりして…

あれほど強烈なインパクトを受けたあの日の午後の記憶が、「ダイジェスト」になっていることに少なからぬショックを受けました

やはり、まだ落ち着いて書けません…

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もう一つの冬のダイヤモンド?

2014-03-10 23:24:14 | MISIA

ちょっと前から、帰宅すべく勤務先の事務所から駐車場に向かって歩くとき、南の空を見上げると、堂々と輝く「冬の大三角形」に、見慣れない「仲間が加わっています。

先週の状況Stella Theater Proでシミュレートすると、こんな具合でした。

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「冬の大三角形」は、オリオン座ベテルギウス(0.5等星)、こいぬ座プロキオン(0.4等星)、そして「冬の夜空の王者おおいぬ座シリウス(-1.4等星)からなっているわけですが、ここしばらく、木星が加わって、トランプのダイヤを形作っています。
星座表に線を引くと、ちょっといびつですが、実際に目撃すると、見事なダイヤモンドに見えます

それが、ここ数日、「お邪魔虫」が…

今夜の状況がこちら

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「ダイヤに入り込んでしまっています
う~む…無粋なヤツです…

ところで、この記事で書いたたまたま「冬のダイヤモンドとは別に、恒久的「冬のダイヤモンド」があるそうで、それがこちら。

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「冬の大三角形」を構成するおおいぬ座シリウス(-1.4等星)とこいぬ座プロキオン(0.4等星)に加えて(時計回り)、ふたご座ポルックス(1.2等星)、(ふたご座カストル(1.6等星)、)ぎょしゃ座カペラ(0.1等星)、おうし座アルデバラン(0.9等星)、そしてオリオン座リゲル(0.2等星)の6~7星で「冬のダイヤモンド」、、だとか…。
実際に見てみないと断言できませんが、かなぁ~りいびつなダイヤモンドだと思います

   

星空といえば、「MISIA星空のライヴVII -15th Celebration-」は、今週から「東北シリーズ」突入します。

140310_1_04 今週金曜日(3/14)の南相馬から、会津若松八戸仙台と、東日本大震災からの復興を「ビタミンM」で後押しするような素晴らしいシリーズになりますよう、祈っています

このシリーズの中で「HOPE FOR JAPAN presents 『東北復興支援合唱コンクール2013』」の続報があるのだろうか…

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忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その9)

2014-03-09 02:17:32 | 旅行記

「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その8)」のつづきは、お役所2連発
まず博物館2丁目の一番奥にある「東山梨郡役所」

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シンメトリーで威風堂々「いかにもお役所」ですが、細い柱が瀟洒な感じを与えています。
いわゆる「擬洋風建築」で、

当時の山梨県令藤村紫朗は大変開明的な人物で、地元に多くの洋風建築を建てさせている。人々はそれらを「藤村式」と呼んだが、この東山梨郡役所もその一例である。

だとか。

ところで、「郡役所」とは何でしょ…

現在も町・村の一つ上の行政区画として「郡」はありますが、「郡役所」というものを見たことも聞いたこともありません。
Wikipediaには、

現在の郡は、住所表記や、広域連合体(広域行政圏)の範囲、都道府県議会選挙区の区割などに用いられるに留まる。

と書かれています。
ところが、明治村のHPによると、昔は、

廃藩置県によって始められた地方行政をより効率的に行うため、明治11年(1878)「郡区町村編制法」が施行される。これにより、県令の任命する郡長が、県令の指示のもとで郡内の町村の行政を指導監督することになった。山梨県は施行当初4郡に分けられたが、明治13年(1880)の太政官布告により9郡に改編された。東山梨郡が誕生したのはこの時で、日下部(くさかべ)村をはじめ30の村が編入された。

だそうで、県令(現在の県知事に相当)は官選ですから、その「県令の任命する郡長が、県令の指示のもとで郡内の町村の行政を指導監督」ということは、まさしく中央集権の神経を町村にまで張り巡らせたということなのでしょう。

   

次は、ついに明治村1丁目に戻ってまいりまして、帝国ホテル中央玄関西郷從道邸と並ぶ明治村のシンボル、三重県庁舎

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イイですねぇ~

シンメトリーで、二階にバルコニーを張り巡らせている点で、「東山梨郡役所」とも相通ずるものがあります。
説明によれば、

間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称になっており、正面側には二層のベランダが廻らされている。この構成は当時の官庁建築の典型的なもので、明治9年東京大手町に建てられた内務省庁舎にならったものである。

だそうですが、それはともかく、近寄ってみると、

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いったいここはドコ?って感じ…

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NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」こちらの記事もご参照方)では、外観が秋山真之(本木雅弘)正岡子規(香川照之)夏目漱石(小澤征悦)が一堂に会した「東京大学予備門」として撮影に使われたほか(下の写真のバルコニーのシーン、覚えています)、

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知事室第2部で使われたそうなのですが、こちらはよく判らず…

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それにしても立派知事室です
立派といえば、ホールも立派でした

140309_1_08 一方、玄関の真上の部屋はステキ

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アフタヌーン・ティーを楽しむのにうってつけの部屋とお見受けしました、、、、が、県庁なんだよな、ここ…

   

三重県庁舎の向かいに立っているのは、「鉄道局新橋工場」です。

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側面の四角四面の大きな窓と、前面のアーチ状の扉分度器のような窓との取り合わせがなかなかよろし

ちょっと不思議なのは、「鉄道局新橋工場」といいながら、ガイドブックでは「旧所在地:東京都品川区大井町 日本国有鉄道大井工場内となっていること。

建物の前に置かれていた説明板を転記しますと、

鉄道局新橋工場は東京新橋駅構内に鉄道の木工場として建てられた。この建物は、構造技術の面では鉄道寮新橋工場にならって造られたものであるが、鋳鉄柱に「東京鉄道局鋳造」の銘があり、国産鉄道建築の初期例といえる。
大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として昭和41年(1966)まで使用された。

とあります。
なるほど、そういうことですか…

ちなみに、「鉄道新橋工場」明治村(4丁目)に移築されています。

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こちらの説明板には、

鉄道寮新橋工場は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場に機関車修復所として建てられた。その後規模が拡張され、大正4年(1915)には大井町へ移転し、用品倉庫として昭和42年(1967)まで使用された。

だそうで鉄道新橋工場鉄道開業の年明治5年(1872)鉄道新橋工場明治22年(1889)に建てられて、共に大井工場に移築され、昭和41~42年(1966~67)まで使われていたというのですから、77~95年間も現役だったということ。旧・国鉄って、物持ちが良かったんですなぁ~

と、話を鉄道新橋工場に戻して、中に入りましょう。

中には御料車が展示されています。
まず、皇后用「5号御料車」(明治35年(1902)・新橋工場製)。

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えんじ色のソファと、金地の天井画(川端玉章「帰雁来燕図」)との組み合わせがゴージャスです。
ガイドブックによれば、

5号御料車は最初の皇后用御料車として製作された車輌である。全長16m余、総重量約22tの木製2軸ボギー車で、車内には帝室技芸員の橋本雅邦・川端玉章が描いた天井画、昭憲皇太后のご実家一条家の家紋の藤をあしらった布が椅子や腰張りに使用されているなど、華麗な内装がなされている。

だそうで、大正天皇のお后、貞明皇后(旧名:九条節子)はこの御料車を使われなかったということでしょうか?
もっとも、一条家の家紋:一条藤と九条家の家紋:九条藤とは微妙に異なりますが、説明文の「藤をあしらった」だけなら、どちらでもOKではあります。

御料車は、鉄道博物館(鉄博)で何度か拝見しましたが、鉄博では車両自体ガラス越しでしか見られないもので、二重のガラス越しになって、車内はよく見えないのですよ

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それに比べて、明治村の展示は見やすくて、大変に結構だと思います。
でも、車体を傷つけられないか、気を使うんだろうな… JR東海からの寄託品ですし…

さて、もう一両、御料車は、明治天皇用の「6号御料車」(明治43年(1910)10月・新橋工場製)です。

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特別企画展「御料車~知られざる美術品~」@鉄博図録によれば、明治天皇がこの御料車を使われた可能性があるのは、明治45年(1912)5月3日「演習天覧のための行幸」両国橋⇔四街道を往復された1度のみ

もっとも、

7号御料車完成後も、大正天皇が(6号御料車を)ご乗用として使用した。

そうです。なんだか一安心…

それはさておき、玉座ほかのソファの色にご注目

ただの金色にしか見えませんが、もう一度、特別企画展「御料車~知られざる美術品~」 図録によれば、

椅子の張地は、菊紋章と小葵紋に天皇のみに使われることが許されている黄櫨染という色になっている。

とな。芸が細かい
黄櫨染のことはこちらの記事をご参照くださいませ。

   

と、いうことで、ようやく「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開」シリーズ「明治村編」完結です

明治村には、少なくとももう一度出かけて、完全制覇せねばと思っています

つづき:2014/03/12 犬山で江戸時代にタイムスリップ(その1)

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忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その8)

2014-03-08 13:00:13 | 旅行記

かなり中途半端だった「忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その7)」のつづきです。

まず、「その7」で外観を紹介した「東松家住宅」重要文化財)の内部。

通りに面した入口を入ると、すぐ右に「ミセ」があります。

140308_1_01

東松家は「明治20年代後半までは油屋を生業とし、その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた」のだそうな。
堀川貯蓄銀行のことには、後ほどもう一度触れるとして、東松家住宅の左側1/3を、3階吹抜の「通り土間」が貫いています。
通り土間の右側に、「ミセ」のほか、家族の生活の場が連なっているんですが、

140308_1_02 外光が入って、まるでアーケード街のようです。
そして、一番奥にある台所も、

140308_1_03 開放感たっぷりで、夏の炊事では熱気がこもらなくて快適そうです。

この通り土間と「ミセ」・座敷の配置は、秋田市の「旧金子家住宅」(記事はこちら)でも見られましたっけ…

140308_1_04 ところで、東松家が営んだという堀川貯蓄銀行、昭和3年(1928)9月に川崎貯蓄銀行に買収されています。昭和金融恐慌の余波なのでしょうか?
それはともかく、堀川貯蓄銀行を吸収した川崎貯蓄銀行はの系譜を覗くとこんな具合です。

明治14年(1881)年に茨城で設立された東海貯蓄銀行(旧・東海銀行とは無関係)が明治32年(1899)に改称(この時点で川崎財閥の資本が入った、当初から川崎系だったのか不明

昭和11年(1936)9月、川崎第百銀行(同年11月、第百銀行と改称)に吸収合併

昭和18(1943)年4月、第百銀行三菱銀行に吸収合併

1996年4月、三菱銀行東京銀行と合併して東京三菱銀行に改称

2006年1月、東京三菱銀行UFJ銀行と合併して三菱東京UFJ銀行に改称して現在に至る

と、まるでトーナメント戦のようです。
上に「(東海貯蓄銀行は)旧・東海銀行とは無関係」と書いたのですが、UFJ銀行三和銀行東海銀行が合併してできた銀行ですから、時を経て、三菱東京UFJ銀行の下に東海貯蓄銀行東海銀行がくっついたわけですな

ところで、川崎第百銀行は、昭和2年9月に第百銀行と合併した際に川崎銀行から改称した銀行なのですが、その川崎銀行本店(のごく一部)が明治村5丁目に移築・保存されています。

140308_1_05 なんだか廃墟のようで、もともとの建物を偲ぶのはほとんど無理

ガイドブックから転載しますと、

140308_1_06

 

と、ホントにごく一部が移築されたことが判ります。
もっとまともな移築・保存できなかったものかと思いますが、もしかすると、この建物(矢部又吉・設計)が昭和期に竣工したひよっこだからなのかも…

そういえば、川崎銀行千葉支店の建物は、千葉市美術館中央区役所の建物の1&2階に保存されていましたっけ

140308_1_07

そして、旧・川崎銀行千葉支店は、さや堂ホールとして現役・活躍中の由。
まことに御同慶の限りであります

ところで、川崎銀行川崎支店ってのはあったのだろうか…
随分昔のこと、京成佐倉駅前にさくら銀行佐倉支店(現・三井住友銀行佐倉支店)があるのを目撃して目が点になりましたっけ…

   

かなぁ~り話が逸れたところで明治村2丁目に戻ります。

ちょっとそういう風には見えませんが、こちらも元・銀行です。

140308_1_08

安田銀行会津支店です。
説明によれば、「当初は既存の土蔵造(どぞうづくり)の建物を借りて営業していたが、明治40年(1907)この建物が新店舗として落成した」のだそうで、銀行として建てられたものとはねぇ~
安田銀行会津支店の所在地は「会津若松市大町」だそうで、現在のみずほ銀行会津支店(会津若松市中央)とは別の場所(近所)にあったようです。
もっとも、昔の町割は、通りを挟む両側が同じ町名であるケースが多いですから、もしかすると同じ場所かもしれません。

さて、安田銀行会津支店の内部はこうなっていました。

140308_1_09

「明治体験処 ハイカラ衣装館」として、記念撮影用衣装を貸し出してくれるサービス拠点になっていました。

それはさておき、外観と違って、内部は銀行っぽい

   

次は学校です。

140308_1_10

こちらの「駅だ」と言われればそう思ってしまいそうな洋風の建物は、「もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったが、昭和4年(1929)同校の校舎が新築されるに際し、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築された」という「千早赤阪小学校講堂」で、1階が体操場、2階が講堂になっています。
上の写真で、2階の右側の部分が出っぱっているのがお判りかと思いますが、これは「天皇皇后両陛下のご真影と呼ばれる写真、教育勅語を写した勅語謄本が収められていた」奉安殿の部分だそうです。
残念ながら、「現在と創健時の建築法規が異なるため、千早赤阪小学校2階の公開は行っておりません」デス

「建築法規」の違いは、建物の移築にも影響を及ぼしていて、この千早赤阪小学校の場合、

明治村への移築に際し、建物の高さが木造建築の法定限度を超えるため、建物四隅の壁体の中に鉄骨を埋め込んで、補強した。

だそうな。
いろいろと大変です…

そういえば、Wikipediaに、

1987年に建築基準法が改正・施行されるまでは、準防火地域において木造3階建ての建築は禁止されていた。主要都市の市街地は殆どが準防火または防火地域のため、木造3階建ては郊外の防火無指定地域においてのみ僅かな棟数が建てられていた。

とあるとおり、かつて、まちなかで木造3階建てを見ることはほとんどありませんでした。
でも、「東松家住宅」木造3階建てです。
説明によれば、

江戸時代にはいかに富裕でも武家以外のものが三階建ての建物を造ることは許されず、慶応3年(1867)に なってはじめて京都、東京でこの禁令が解かれ、以後順次全国で認められるようになった。しかし、大正8年に市街地建築物法により木造高層住宅が禁止されたので、3階建以上の木造住宅はわずか50年ほどの間しか造られなかった

だそうで、やはり「東松家住宅」貴重な建物なんですねぇ

   

もう1棟の学校は、

140308_1_11

第四高等学校物理化学教室です。
こちらの記事で紹介した明治村4丁目和風質実剛健さが伝わる「第四高等学校武術道場『無声堂』」とはちがって、白塗りの下見板張りの壁面と大きな窓がアメリカン軽やかです(屋根は瓦葺き)。

中に入ると、廊下の天井が高い
というのも、階段教室があるからで、

140308_1_13

試しに座席についてみました。

140308_1_12

う~む、この眺め、学生の頃を思い出すなぁ~

ちなみに、第四高等学校物理化学教室は、

もとはH型の大規模な建物であったが、明治村では中央部分だけを移築・保存している。

だそうです。

   

この建物に入ると、二人のレリーフが飾られています。

140308_1_15b

その下に置かれた説明板によると、

明治村は 東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎氏の発想に基づいて
名古屋鉄道株式会社社長の土川元夫氏の決意によって 誕生した。
永く、その功績を讃えるため 彫刻家菊池一雄氏の手になる 両氏の肖像を
共に机を並べた、この校舎に掲げる。
昭和57年4月

だそうな。
そうか、加賀藩の藩校明倫堂に端を発して現在の金沢大学へと繋がる第四高等学校OBお二人が明治村生みの親だったんですか。
それにしても粋な計らいだと思います。

ところで、「建築家の谷口吉郎」は、東京国立近代美術館飛鳥資料館のほか、東京国立博物館(東博)東洋館などの設計を手がけられています。

140308_1_15

ご子息の谷口吉生氏は、いまや美術館建築の第一人者(だと思う)で、東博法隆寺宝物館も氏の作品です。

そうそう、建て替えのため長らく「不在」だった(ホント、長かった…京都国立博物館平常展示館は、いよいよ今年9月13日「平成知新館」として開館予定(設計:谷口吉生)のようです(下の写真は昨年のゴールデンウィークの時の「平成知新館」)。

140308_1_16

明治村生みの親の実のご子息が「平成知新館」を設計するなんて、まさしく「温故知新」だなぁと思うのであります。

つづき:2014/03/09 忘れた頃に年末の愛知旅行記を再開(その9)

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