Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』読了(1/4)

2009年12月27日 06時42分30秒 | Weblog

新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』、12月に読了。内橋克人著。文春文庫。2009年3月刊。

 08年末、非正規雇用者の契約打ち切りにともなう帰結としての日比谷公園での「年越し派遣村」(p.11)。「憲法二十五条で保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権は、実は、一九九〇年代の後半以降、ドラスティックに脅かされてきました」。

 教育の機会不平等。「・・・富裕層にのみ、私立進学の道がひらかれているということは、結果としての平等だけではなく、機会としての平等も今日の私たちの社会は失っていることになるからです」(p.20)。

 新自由主義経済・市場原理主義への道。「一九七〇年代以降に、あなたの気がつかないうちにさまざまな政策の変更がなされていったのです。その結果としての「現実」なのです。/・・・/やがて日本にも八〇年代後半にそれはやってきます。「内需拡大」「内外価格差是正」「規制緩和」「努力が報われる社会」「構造改革」・・・・・・そのときどきにキャッチフレーズを変えながら、それはやってきたのです。多くの人々がその政策変更の本当に意味するところを知らないままに、政策は変更されていったのです。/そうした政策の変更がたやすくできるようなしかけも、選挙制度に組み入れられます」(pp.28-29)。
 「一、それまで規制下にあった産業を自由化する。/・・・安全や安定が重要な分野である・・・規制がはずされていったのです。/・・・/二、累進課税をやめる。・・・/三、貿易の自由化。・・・/・・・労働者の生活水準を著しく切り下げ、安全も脅かす・・・/・・・ほんの一握りの非情でしかも貪欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与えることなのだと。一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったものすべてを窓の外に投げ捨ててしまうことなのだと。/・・・二極分化が進んでしまい、上に行くのはわずかで、下へ、下へと吐き出されていく。・・・低所得層へと吐き出されていく有様がはっきりと見て取れます。/・・・規制緩和とは、これまで公平なアンパイアのいたゲームからアンパイアをのけてしまうということだったのです。・・・ルールが変わってしまうということには無自覚でした。皆が、なんとなく良くなるという錯覚を持ったのです。結局、そうした人々はゲームから弾き出され、得をしたのは、権力の中枢にいてルールブックが変わることをよく自覚した一握りの人々でした」(pp.34-39)。
 「働く人々の生活水準は劇的に低下し、経営者と株主、投機家という一握りの強者が莫大な富を手にする。/それが規制緩和によってアメリカで起きた現実だったのです。」(p.43)。「宮内義彦氏がCEO(最高経営責任者)をつとめるオリックスのグループ企業」。「宮内氏は規制緩和の名の下に、自分のビジネスに都合のよい政策変更をしかけている(p.143)。
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●『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』読了(2/4)

2009年12月27日 06時38分26秒 | Weblog

【内橋克人著、新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環

 日本航空。「・・・労働の規制緩和す。/かつて、派遣労働は禁止されていました。・・・/みなさんもおぼえているでしょう/会社を自由に選択できる、休みたいときに休むことができる、自由な働き方、それが派遣労働です―――というようなキャッチフレーズを。/・・・/労働者派遣法の改悪によって、雇用者つまり「働かせる側の自由」は大きく拡大、雇用に対する責任は縮小され、労働者つまり「働く側の自由と権利はどんどん縮小しています」(pp.44-47)。
 タクシー業界。「・・・タクシー運転者の年収の方が生活保護基準額を下回っている・・・」(p.61)。
 レトリック。「・・・レーガン大統領が使ったレトリックが「トリクルダウン・エフェクト」というものでした。/・・・水がしたたりおちるように、、富裕層への減税のおこぼれが、下のほうにおちていくということです。/日本でも、まったく同じことを言っていた人がいます。/小泉内閣で構造改革をおしすすめた経済学者の竹中平蔵です。・・・/人々は満足しているでしょうか?/アメリカで、日本で・・・」(p.68)。

 なぜ? 「・・・こうしたみずからの首をしめるような政策変更を受け入れたか、・・・/一つには、「『規制緩和』を戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚したこと」、/二つめには「学者をメンバーに入れた一見中立に見える政府の審議会、あるいは、主相の私的)諮問委員会の口当たりのいいキャッチフレーズにまどわされたこと」、/三つめには「これら審議会の意見を大きくアナウンスした大マスコミの存在」、/そして四つめには「小選挙区制度の導入」が挙げられるでしょう」(p.72)。
 接待をうけ○ー○○しゃぶしゃぶに「入り浸っていたなど、目をおおうような倫理の頽廃がありました。/・・・/「規制緩和」によって官僚から権限をとりあげることができれば、暮らしがよくなると錯覚していったのです。/・・・「労働」や「福祉」「医療」「教育」などの分野に対する規制の緩和は、ひとつひとつ公共性との関係を慎重に検討しながらなされるべきだったのです。/竹中平蔵氏などは、・・・官僚悪者論が彼らの常套句で、民営化に反対する人間は、あたかも官僚の見方をするかのように言われました。/・・・私たち・・・批判をし、竹中平蔵氏も「きわめていかがわしい」と日本経済新聞紙上でののしったのです」(pp.74-75)。

 小選挙区批判vs〝改革〟派。「・・・反改革派とされて叩かれました。/・・・石川真澄氏などは「韓国なども・・・採用してるので、・・・まずそれをきちんと調べるべきだ。詳細を調査すべきだ」と論陣を張ったのですが、・・・石川批判を盛んに展開しました。/・・・それはすごいもので、石川氏が辟易して、「もう私は書く気がしない」と言っては天井を仰いでいたものでした。/それぐらい批判は猛烈だったのです」(pp.78-79)。
 憲法改正への胎動。「郵政四事業の民営化もそのひとつですし、イラクへの派兵もそのひとつでしょう。/・・・今、憲法の改正が政治日程にのぼるようになったのです」(pp.80-81)。「・・・現行憲法の骨抜き化です。現在の憲法九条をすなおに読めば、イラクへの派兵はできなかったのです」。
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●『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』読了(3/4)

2009年12月27日 06時35分59秒 | Weblog

【内橋克人著、新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環

 「その経済学者の名はミルトン・フリードマンと言います」(p.83)。
 ケインズ学派vsシカゴ学派。「・・・ネオリベラリズムの始祖とも言える、ミルトン・フリードマン・・・。/・・・マネタリズムの原則、「競争している市場は安定している」「競争市場は常に公平だ」という前提は、もう時代の現実に合わなくなっていると私は考えますが、いずれにしてもフリードマンは市場原理主義の一つの大きな思想的な柱であり、彼の存在を抜きにしては現在の新自由主義ネオリベラリズム)を語ることはできません」(p.86)。「・・・「市場にまかせさえすれば、すべてうまくいく」という彼の理論・・・/・・・貨幣の供給量によってのみ経済はコントロールできる、公共事業や福祉事業による需要創出効果は、無駄である、というこの考えをマネタリズムとも呼びます」(pp.90-95)。
 「レーガン、ブッシュ・シニア・・・クリントン政権も、・・・/これによってシカゴ学派の優位は決定的となり、アメリカ中の大学やビジネススクールでフリードマン流の自由経済学が教えられるようになります。IMF(国際通貨基金)」やWTO(世界貿易機関)、世界銀行といった国際機関や世界各国の官庁や中央銀行に自由主義経済学の洗礼を受けた卒業生が送り込まれ、「グローバリズム」の名の下に世界各国に市場原理主義を広めてゆくわけです(pp.98―99)。保険、公衆衛生の安全規制など、政府によるあらゆる規制に反対。

 「フリードマンの市場原理主義を極端な形で採用した国家の軌跡」(p.107)。チリでは、CIAの〝協力〟でアジェンデ政権をクーデータにより破壊し、「政権を銃口で掌握したピノチェト」は「シカゴ大学でフリードマン流経済学を学んだ若きエコノミストたちを閣僚に登用し、極端な自由化政策を進めることになるのです。/「彼らは「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれました」。『悪夢のサイクル』の始まり。「価格規制の撤廃、関税引き下げ、貿易の自由化、税制のフラット化、財政支出の削減、公的年金や医療保険の民営化、公企業の民営化、最低賃金の撤廃や組合交渉の違法化など労働規制の緩和、外資規制の緩和、金融取引の自由化などなどの市場原理主義政策をまさにフリードマンの教科書通りに実施・・・」(p.112)。
 「ピノチェト政権に反対するチリのデモ隊からは、フリードマンは「独裁を支持した自由主義のドン・キホーテ」と呼ばれたのです」(p.114)。「ネオリべラリズムは、小さな政府を標榜しながら、実は、軍事に関しては大きな政府という形態をとります(p.170)。
 「このコンセルタシオン政権下の経済成長が世界的に注目されたわけですが、その成功は、決して新自由主義政策によるものではなく、むしろ行き過ぎた市場原理主義への反省の上に立って、貧困問題や社会格差の縮小に真剣に取り組んだ結果であることは明らかです。従って、これをもって「市場主義の勝利」といった言い方をするのは、完全な間違いです」(p.118)。日本の新政権が小泉や竹中の誤った政策を、この方向で修正してくれるとよいのですが・・・。
 アルゼンチンの新自由主義改革も失敗(pp.118-125)。

 
「ネオリベラリズムの政策によって、引き起こされるサイクルとは」(pp.126-127)。「・・・国の市場を支配し、利潤を搾取して国外に持ち去るという構造が確立・・・」(p.128)。
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●『新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環』読了(4/4)

2009年12月27日 06時33分25秒 | Weblog

【内橋克人著、新版 悪夢のサイクル/ネオリベラリズム循環

 「そうした「投機」のための金を、私は労働の対価や商品を買うためのおカネ」と区別する意味でマネー」と呼ぶことにしています。/そのマネーが自由に動ける市場を、アメリカは欲したのです」(p.163)。バブル前後。
 「ここいう「マネー」は「お金」とは違うものです。/・・・『モモ』・・・ミヒャエル・エンデも『エンデの遺言』・・・そのことを指摘しています。/・・・正当な労働の対価としていただくものである・・・。/ではマネーとは何かといえば、それはお金から出てきたものではあるけれども、元のお金とはすっかり姿を変え、投機のために使われ投機のために使われているもの。たとえば証券取引所で扱われているような、さまざまな金融商品がそうです」(pp.196-197)。

 なぜイラクは侵略されたのか? 「このマネー資本主義と唯一違う価値観の文化圏があります。それがイスラム諸国です。・・・/・・・日本と反対に市場原理主義を布教するアメリカにとって最も手ごわい障壁となっているのが、実はイスラム圏なのです。/イスラムの世界では、「正当な労働の対価以外は受け取ってはならない」という戒律があります。市場主義にとって最も脅威になる・・・」(p.170)。「・・・一種の道徳性、人間性、倫理性です。それに対する人々の信頼の面です。/日本、あるいはアメリカの銀行は違います。こうした国々では「お金は貸すよ、だけどそっちが失敗したら、そっちの責任だよ」というものです。さらに国家権力と結託して貯金金利をゼロにして、自分たちはコスト・ゼロで資金を集めながら、大変な金利で貸す。こういうことを平気でやります。/イスラム銀行は投機というものには乗りません。・・・投機はしない。/・・・/・・・イスラムはやはりマネー資本主義に対抗している現実であり、市場経済をより健全なものにしてゆく上で大きな価値を持つ対抗思潮であると考えています」(p.173)。「・・・アメリカが今、イラクでやろうとしていることは、イスラム世界の市場化だというわけです。・・・イスラム圏の市場化こそがイラク戦争の目的であったという意見は、この戦争の本質を突いていると私も感じます」(p.177)。

 教育にまで自由化の波が・・・、それは赤紙を意味した。「・・・安倍晋三氏は・・・公教育の場に市場原理を導入する・・・。・・・学校間競争が始まり、学校は効率化され、子どもたちも「選択の自由が得られる」とうたいました。しかし、実際に・・・アメリカの自治体や、イギリスなどでは、・・・その選択権を行使することさえできないという結果になっています。・・・これまでもあった学校格差がもっと激しいかたちであらわれ、階層化はよりいっそうすすみました。/・・・/・・・イラクで死んでいった若者の多くは、製造業が死に絶え、荒廃し、仕事もない地方の学歴の低い若者たちです。海兵隊、そうした仕事のない街に狙いをさだめてリクルーターを派遣します。/・・・軍隊は、階層社会を這いのぼる唯一の梯子です。/そのチャンスに賭けて、多くの若者が戦場にでかけ死んでいっているのです」(pp.179-180)。

 
フィンランドのノキア。「・・・自らの利益率を上げることだけを見てきた企業ではない・・・」(pp.212-213)。またしても北欧。教育においても「「規制緩和」をおこなっている日本とは反対の方向を向いているのです。/それでも日本より成績がいい、という点に注目してください。/・・・それを受け入れる国民的コンセンサスがあるのです。/・・・国民それぞれが共通して負担をおうことで、社会的な安定を選んでいるということになります。/・・・自分の利益のためではなく、公共のためとは何かということを考え行動しています。/・・・ネオリベラリズム的な循環の中では、格差が拡大し、大が小を呑み、少数の者に富と権力が集中してゆく、そうした中での人心の荒廃こそが最も問題なのです。」(p.218)。

 安全ネットのある社会システム(p.221)。
 OSを公共財ととらえたリナックス(p.222)。
 フェアトレード(p.229)。FEC地域自給自足圏(アウタルキー)(p.229)。「もともと地元に豊かにあるものを、輸送エネルギーを使って海外から運んでくるという社会は、どこか間違っている、歪んでいると感じます。/今の日本は、・・・まさに正反対の方向に向かっているのです」。見習うべきは、北欧諸国。たとえば、FECについてはデンマーク(p.231)。

 田原氏との違い。「田原総一郎氏は、「若い起業の志をつぶすな」・・・という文章を書いています。/・・・/しかし若者の夢とは、メイク・マネーだけでしょうか。/・・・/人間に対するインセンティブはマネーだけではないのです。/一人は万人のため、万人は一人のために、それを目指して努力する。自分が成功するのでなく、より多くの人のために役立つというのもやはり青年の夢であり、満足であり、インセンティブです。決してお金だけではありません」(p.225)。竹中氏などとは全く違う、真の意味での経済ジャーナリスト内橋さんの真骨頂。
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