
gendai.netに出ていた記事です。
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【http://gendai.net/articles/view/geino/127694】
「ろれつ」も「滑舌」も超越した境地
2010年11月30日 掲載
ラジオにこだわる理由は?
●永六輔(タレント)
17日、乗車中のタクシーが事故に遭い、左肩を打撲する全治2週間のケガを負った。だが、TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」のレギュラー出演に支障なく通常通り続けている。
同番組は03年9月1日に、放送回数が1万回に到達。07年1月2日放送分で、放送開始から40周年を迎え、同年7月2日放送分で1万1000回に。
今年の4月に喜寿を迎え、10月には難病指定のパーキンソン病を告白。だがラジオに対するパワフルな姿勢は健在だ。
33年東京生まれ。テレビの草創期を支えた放送作家。タレント、作詞家、エッセイスト。作詞は「上を向いて歩こう」「黄昏のビギン」「見上げてごらん夜の星を」「遠くへ行きたい」など。著書に「大往生」
「老い方、六輔の。」などがある。
高齢、病身にもかかわらず、ラジオに出続けているのは、8年半前にがんで亡くした最愛の妻で、優れたプロデューサーの昌子夫人の勧めだ。「もうテレビに出ないほうがいいんじゃない?」「作詞はそろそろやめたら?」と仕事のあり方も提案された。昨年、ある雑誌では「子育ては妻まかせで、僕も一緒に育ててもらった。男は結婚相手によって本当に人生が変わるから」とのろけていた。
一部には、かつての軽妙洒脱なトークのテンポ感もなく、「ろれつが回らなくなって聴きづらい」という指摘も。本人は精神科医の北山修の言葉を借りて開き直る。「『永さんはずっと転びながら生きてきたんだし、昔から舌足らずなんだからそれで沈み込むのはおかしい』と言われました」
もっとも、たまに滑舌がよくなる瞬間もある。今年の10月2日の放送では、声にはハリがあり、独特の笑い声も生気がみなぎっていた。今年の6月から2週間に一度の鍼(はり)治療を施すようになってからだという。
打ち切りの話がないのは、聴取率が好調だから。毎週土曜日に4時間半のラジオ長寿番組を全うする。その秘訣はいったい何か。
今年元日、朝日紙上の小沢昭一との対談で次のように語っている。
「番組で一緒に仕事をしている遠藤泰子アナウンサーと、リスナーからの手紙。
一家3代で続いてくださるファンがたくさんあるからですね。タクシーの運転手さんとかに
『聴いていますよ』と言われるとうれしい。あとスポンサー。降板の話が出た時も
『あなたの番組ですから』と支持してくれた」
テレビではなく、ラジオをホームグラウンドにしていることについては、「今のテレビは怒っているか、何かを食っているしかない。同じようなコメンテーターが出て同じことをしゃべる。番組が終わる時、皆で手を振る。僕はあれと一緒になりたくない」。さらに「テレビに出ると、世の中を見ているようで自分が逆に見られている」とも。
放送界にかかわって60年以上。
「辞めろって言われればすぐに『はい』と辞めます。待っている人がいれば続けるけど、
僕が気にすることじゃないから」(今年6月の朝日新聞)
淡々としているのも、キャリアと矜持(きょうじ)のたまものだ。
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