『ルポ戦場出稼ぎ労働者』、2月に読了。安田純平著。集英社新書、2010年3月第1刷発行。
帯より、「世界中から集められる、貧しい派遣労働者たち! 自ら出稼ぎ労働者となり、単独潜入取材した記録! 民営化の果て、その現場とは?」
ファルージャ 日本本人人質拘束事件(p.39、68)。
非情な日本政府の対応。「・・・「テロリスト」という言葉を使うということは、無条件に殺されてしかるべきだ、と判定を下すに等しい。人として、報道に携わる者として、私は「テロ」「テロリスト」という言葉は使うべきではないと拘束経験を通して改めて確認した。/・・・。/ちなみに、私が日本政府に救出されたということはまずないと考えて良いと思う」(p.70)。
犬になれというのか? 「・・・批判してくるだけなので正体は分からないが、要するに、「政府の活動の邪魔にならないよう、現場取材などせず、おとなしく政策に賛同していろ」ということだ。/・・・。/・・・政府の決定にただ従うだけの「狗(いぬ)」になりはて、・・・」(p.71)。
いい加減で、ふざけた答弁に終始した小泉純一郎元首相。「・・・日本の航空自衛隊はこの空港へ米兵などを輸送していたが、地上戦は起きていないにしても追撃砲などによる攻撃はされている。これが日本政府の言う「非戦闘地域」だ」(p.77)。
9・11事件と何の関連もなく、その後、イラクへの空疎な侵略戦争へ(p.114)。
戦争という金儲け。「利益のために、新鮮さを犠牲にしてでも何千kmも離れた場所から安い食材をかき集める。それを扱うのも同様に集められた安い労働力だ。グローバル化の象徴といえる経済活動だが、それが人間のためになっているのかどうか。イラク戦争を動かしているのは、人間性よりも収益性を求めるこうしたシステムと欲望である」(p.142)。
イスラム的地産地消社会の破壊(p.143、145)。FECの重要性。「・・・互いに顔を突き合わせられる範囲である、という考え方は、グローバル化に対抗する地域社会の一つのあり方として面白いと思う」(p.145)。
悪魔の仕打ち。それでも貧しい派遣労働者は戦場に出稼ぎせざるを得ない。「・・・しかし、そうして命の危険と引き替えに金で誘っておきながら、その金すら払わないというのは〝悪魔の所行〟ではないか。命をかけて戦場に来た人々が、自分が奴隷になったのだと知ったときの衝撃はいかほどだろうか」(p.160)。
「・・・米軍基地ででも働くしかない。米軍を支持しているわけではなくても、彼らを業務で支え、依存しなければ生活が成り立たない。これを占領状態というのだろう。・・・「米国の協力者」として民兵に襲われる事件が絶えず・・・」(p.176)。
かつての日本との良好な関係(p.211)がいまや。
チェイニーらのキッタナイ行い(p.227)。戦争の民間委託・民営化(p.230、)。
「特に戦後復興においては、人道的な側面と人心掌握のためにも、民間企業であっても社会的責任の面を重視した公的な貢献が必要なはずだった。営利のみを追求する企業に任せきりにした占領体制のあり方、ひいては公共性よりも効率性を重視する「民営化」によって成立したイラク戦争そのものに構造的な欠陥があった」(pp.233-234)。
「自己責任」だから戦場へ、という超「自己責任国家」ネパール(p.235)。「・・・そうした「自己責任社会」においては、戦場に出向いてでも稼ぎたい、という人が出てくるものだ。/日本も「自己責任社会」を目指すならば、こうした側面も受け入れざるを得ないことになるだろう。「戦場に行くなら自己責任」ではなく、「自己責任だから戦場に行く」んである」(p.237)。
間接的参戦。「・・・自らの払ってきた税金は既に戦争のために費やされているのだから、日本国民は既に十分に参戦している」(p.245)。
迷惑論という矛盾。「イラク戦争を動かすための基本的な部分を民間人に担わせているのだから、イラク労働はいわばイラク戦争の公式プログラムである。そのプログラムに参加することを「迷惑」と考えているならば、イラク戦争そのものを否定していることになってしまうが、日本政府はそうした様子は一貫して見せていない。この「迷惑論」は、論理性も具体性もないが、何となく他人を叩く、日本独特の「空気」というものだ」(p.245)。
戦争できる国へと変貌。「日本で格差が広がって・・・。終身雇用や年功序列などの雇用形態を解体して成果主義を持ち込み、規制緩和によって市場原理主義を徹底させ、相互扶助機能のあった日本型共同体構造を米国型「自己責任」社会へと変えてきた結果である。・・・かつては経済と民政に投じてきた予算を軍事に振り向けるようになってきた」(p.246)。上記の「「迷惑論」はあくまで過渡的なものであって、この流れが加速し、定着すれば、「愛国心」と「空気」は戦場へ「行くな」から「行け」へと変わっていくだろう。そのときのために用意されてきたのが格差である。仕事がないなら戦場へ行け、ということだ」(p.246)。
日本人が戦場に出稼ぎに行く時代(p.242)。「・・・低賃金・無収入層が増えていることは間違いないだろう。年間の自殺者は〇九年までに十二年連続で三万人を超えた」。