東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012083102000111.html)。
裁判所には危機感はあるようだが、司法を変える気はあまりないようだ。過去の反省や、責任の所在を明らかにする気など、全くない。
「裁判官の独立は憲法で保障されている」のは当たり前だが、「最高裁は「研究会は裁判官の研さんが目的で、個々の判断を縛るわけではない」」と言っており、見せ掛けだけの研究会に止まりそうだ。
これまでさんざん原発推進側に肩入ればかりしてきた。原発の危険さを判断できないほど推進側の論理が破綻しているのであれば、安全側(反原発側)に判断しておけばよかったのだ。3.11東京電力原発人災の相当の責任は、裁判所、特に最高裁にある。「井戸謙一元裁判官は、原発に危険性が無いことは電力会社側に立証責任がある、という正論を述べられている。」
『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」・・・・・・いま、その〝少年〟は?』
『●改めて冷温停止「状態(「準」、「みたいな」、「なんちゃって」)」宣言と原発再稼働』
『●志賀原発訴訟第二ラウンド: 裁判所は信頼を回復できるか?』
『●原発裁判はどれも完敗: 井戸謙一元裁判官と小出裕章さんの対話』
『●そりゃぁ、東京電力原発人災以降を見ただけでも、「司法」にも絶望するよな』
『●井戸謙一元裁判官再び: 最高裁は常に国側に、そして、努力は無駄に』
『●金沢地裁原発差し止め判決: 井戸謙一元裁判官』
さらに、3.11後に変わったのかといえば、全く変わっていない。例えば、これ:
『●東京電力、「お前のモノだろう!」』
「サンフィールドが、東電が他人の土地の上に放射性物質を付着させ、土地の利用に制限をかけていると主張したのに対し、東電側は放射性物質は誰の所有にも属さない「無主物」であって、飛んでいる虫のようなものだから除去する責任を負わないと主張した」。こんなふざけた主張を裁判所が支持するのだから、どうしようもない。「無主物」なんていう言い草が通用する世界って、一体なんだ?
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012083102000111.html】
原発安全性「本格審査を」 最高裁研究会 裁判官に改革論
2012年8月31日 朝刊
最高裁が開いた原発訴訟をめぐる裁判官の研究会で、国の手続きの適否を中心としてきた従来の審理にとどまらず、安全性をより本格的に審査しようという改革論が相次いでいたことが三十日、共同通信が情報公開請求で入手した最高裁の内部資料などで分かった。
裁判所はこれまで原発訴訟のほとんどで「手続き上適法」などとして訴えを退けてきた。改革論が浮上した背景には、東京電力福島第一原発事故を踏まえ、このままでは司法の信頼が揺らぎかねないとの危機感があるとみられる。原発訴訟の審理の在り方に変化が起きる可能性がある。
最高裁は今年一月二十六、二十七の両日、全国各地の裁判官三十五人を集めて特別研究会を開催。裁判官は自分で問題を設定して対応策を記した報告書を提出、議論のたたき台にした。
原発訴訟について報告書を出した七人のうち五人が、これまでの訴訟の在り方について問題を提起したり、安全審査を進める具体的手法について意見を述べた。研究会の関係者は、裁判所が安全性の審査により踏み込む必要性については、ほかの参加者にも異論はなかったとしている。
内部資料によると、ある裁判官は「放射能汚染の広がりや安全審査の想定事項など、福島事故を踏まえ、従来の判断枠組みを再検討する必要がある」と提案。安全性の審査・判断を大きく改めるべきだとの考えを示した。国、電力側の提出した証拠の妥当性をこれまで以上に厳しく検討する狙いとみられる。
別の裁判官は「原子炉の安全性を審理判断するに当たり、専門的・科学的知見をどのような方法で取り入れていくべきか」と問題設定した上で、証人調べは「一方に有利になることは避けられない」と指摘し、「複数の鑑定人による共同鑑定が望ましい」と述べた。専門家が裁判官を補佐する専門委員制度の活用の提案もあった。
裁判官の独立は憲法で保障されている。最高裁は「研究会は裁判官の研さんが目的で、個々の判断を縛るわけではない」としている。
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