[※サンデーモーニング(2017年10月1日)(三「ト」物語)↑]
(2024年9月4日[水])
《虐殺や差別を防ぐためには、首長や政治家の公式な声明が最も有効》なはずなのに、《追悼文の送付を見送り続けている》小池百合子東京「ト」知事。
大野元裕埼玉県知事と《都内の式典で追悼文の送付を見送り続けている》小池百合子東京「ト」知事、どちらがまともな知事でしょうか? 《安田浩一さんの話 首長や政治家の公式な声明は、虐殺や差別を防ぐために最も有効なこと》(東京新聞)。埼玉県本庄市でも、《吉田信解本庄市長(56)は「過ちを繰り返さないために、何が起きたかきちんと調べ、殺された人の無念に思いを寄せて追悼することは大事」と語ります》(東京新聞)。
『●《明らかに、小池都知事の「追悼文拒否」は歴史修正主義の虐殺否定論と
ヘイトに勢いを与えた》…《空疎な小皇帝》石原慎太郎元「ト」知事越え』
『●小池百合子「ト」知事、追悼文は? 《…ようやくこう答えたのだった。
「それは毎年送っておりません」…この回答はあまりに卑怯だろう》』
『●発生100年の関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」問題…ニッポン政府は
記録がないと嘯き、東京「ト」知事は事実を認めず、ヘイト団体は…』
『●森達也監督「福田村事件」…《関東大震災の混乱で差別意識を背景に惨殺
されたのは「朝鮮人」だけではありません》(デモクラシータイムス)』
『●福田村事件…《人が成長するため「歴史とは失敗を記憶するためにある」
と森さんは語る。人のうちにある凡庸な悪が震災下で暴虐を犯した》』
『●<金口木舌>《森達也さんが監督…映画「福田村事件」…人のうちにある
ある凡庸な悪が震災下で暴虐を犯した。目を背けてはいけない歴史である》』
『●この《レイシスト・歴史修正主義体質》な小池百合子東京「ト」知事に
に「2,912,628票」「3,661,371票」も投じてしまった都民の皆さん』
『●「2,912,628票」「3,661,371票」に続き、「2,918,015票」を獲得し小池
百合子東京「ト」知事が3選…心ある都庁の職員の皆さんも4年間、地獄』
《■小池百合子の排外主義・歴史修正主義思想 朝鮮人虐殺の
史実否定のヘイト団体で過去に講演したことも …しかも、
小池氏は自民党衆院議員時代の2010年、ヘイト団体「そよ風」で
講演をおこなっている。「そよ風」は小池知事が追悼文送付を
取りやめた2017年から横網町公園内でヘイト集会を開催。
ちなみに、2019年のヘイト集会では「…」などの発言が飛び出し、
東京都は2020年8月、これらの発言を人権尊重条例に基づいて
ヘイトスピーチであると認定している》(リテラ)
『●「2,918,015票」を獲得して3選を果たした小池百合子東京「ト」知事…
《朝鮮人追悼文を送らないのは「毎年同じ理由でございます」》だそうです』
『●《虐殺や差別を防ぐためには、首長や政治家の公式な声明が最も有効》な
はずなのに、《追悼文の送付を見送り続けている》小池百合子東京「ト」知事』
『●水島朝穂さん《学歴詐称問題…3選を果たした小池知事には、今後とも、
公選法の「虚偽事実公表」の疑いが問われ続けるだろう》…か? 懐疑的だ…』
《小池百合子の排外主義・歴史修正主義思想 朝鮮人虐殺の史実否定のヘイト団体で過去に講演したことも》ある小池百合子東京「ト」知事に、「2,912,628票」「3,661,371票」に続き、「2,918,015票」も投じてしまった都民の皆さん、このままでいいの? 小池「ト」知事は《「…」となぜか半笑い。決して笑える話ではない》のではないか [日刊ゲンダイ【小池都知事は朝鮮人虐殺「追悼文」8年連続で不送付…会見で半笑い“負の歴史”直視せず】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/359899?utm_source=x&utm_medium=sns)]?
石原真樹記者による、東京新聞の記事【関東大震災で起きたこと 朝鮮人追悼式典を長年続ける埼玉・本庄市長が祖父母から聞いた「群集心理の怖さ」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/351540)によると、《1923年の関東大震災の後、朝鮮人による暴動や放火といったデマが広がり、殺傷事件が多発。政府や首長がその歴史を直視しない動きが広まる中、埼玉県本庄市と熊谷市、上里町では犠牲になった朝鮮人を追悼する式典が長年続いており、首長も出席してきました。吉田信解本庄市長(56)は「過ちを繰り返さないために、何が起きたかきちんと調べ、殺された人の無念に思いを寄せて追悼することは大事」と語ります。(聞き手・石原真樹)》
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/351540】
関東大震災で起きたこと 朝鮮人追悼式典を長年続ける埼玉・本庄市長が祖父母から聞いた「群集心理の怖さ」
2024年9月1日 20時18分
1923年の関東大震災の後、朝鮮人による暴動や放火といったデマが広がり、殺傷事件が多発。政府や首長がその歴史を直視しない動きが広まる中、埼玉県本庄市と熊谷市、上里町では犠牲になった朝鮮人を追悼する式典が長年続いており、首長も出席してきました。吉田信解本庄市長(56)は「過ちを繰り返さないために、何が起きたかきちんと調べ、殺された人の無念に思いを寄せて追悼することは大事」と語ります。(聞き手・石原真樹)
吉田信解(よしだ・しんげ) 1967年9月、埼玉県本庄市出身。生家は市内の真言宗智山派の大正院で、2022年から住職。1995年に本庄市議選で初当選し、2005年から本庄市長。早稲田大では雄弁会に入会し、副幹事長を務めた。
◆本庄市の追悼行事は戦前からあった
―本庄市では毎年9月1日に追悼慰霊式を開き、市長も出席して追悼の言葉を述べています。
追悼行事がいつ始まったのかははっきりと分かりませんが戦前からあり、祖父の英覚(1995年に85歳で他界)は「だいぶ昔からやっていたよなあ」と話していました。いつから行政主催になったかも分かりません。私自身は気づいたときには祖父に連れられて追悼法要に行っていたという感じです。
市内の和尚さんがみんな集まって短いお経を上げて、市長が追悼文を読んで、指名焼香して線香を手向けて。参加する在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が対立し雰囲気が険悪だった時代もありますが、今はとても静謐(せいひつ)を保っていますし、「毎年やってくれてありがとう」とお礼の言葉をいただき、こちらもありがたいです。昨年は89人が参加しました。
(インタビューに応じる吉田信解市長=埼玉県本庄市で)
慰霊式が開かれる長峰墓地は犠牲になった朝鮮の方が埋葬された場所。慰霊碑には歴史的な変遷があって、震災翌年に新聞記者が建立した碑は「鮮人の碑」とありましたが、差別用語だろうとなり、戦後に新しく作り替えて「慰霊碑」となりました。長峰墓地の一画を自分の寺も所有していることから、祖父が追悼の角塔婆を毎年書いており、今は私が書いています。
◆東京から群馬へ向かう中継点で起きた悲劇
―1923年、本庄市で何があったのでしょうか。
9月4日、当時の本庄警察署内に収容されていた朝鮮人が大勢の群衆に襲われ、殺されました。なぜ本庄で事件が起きたかというと、地理的な要因が影響していると思っています。
当時、東京方面から朝鮮の人たちがトラックで群馬方面に移送されてきていて、本庄はその中継点でした。埼玉から群馬に向かうには神流川を渡らなければならないのですが当時は鉄道の橋しかなく、渡しの船を使おうとしたけれど群馬側に拒否されたようです。
引き返さざるを得なくなり、一方で東京からは次々と被災した人たちが押し寄せてくる。本庄でどんどん人が膨れあがっていき、「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れた」などのデマも流れ、殺気立った人たちが警察署を襲ったのだと思います。
なぜ朝鮮人が警察署に収容されていたかというと、守るためだったと思うのです。ところが警察署は人が少なく多勢に無勢でした。これは伝聞ですが、当時の警察署長と町民の折り合いがあまり良くなかったそうで、警察に取り締まられ警察に反感を持っていた無頼の徒が混乱に乗じて首謀したという話も聞きました。
殺された人数は実ははっきりしなくて、当時の記録で八十数人、といわれています。多少前後するかもしれませんが結構大勢いたはずです。祖母が見ていますから。
◆裁判後、正気でいられなくなった首謀者たち
―祖母はどのようなことを語っていましたか。
祖母の久枝(2018年に106歳で他界)は本庄生まれで、関東大震災のときは小学5年生でした。学校帰りに本庄警察署の前を通りかかったら群衆がたくさん集まっていて「こっちに来るんじゃない!」と言われ、翌日だったか数日後だか、菰(こも)をかぶされた遺体が大八車で中山道を運ばれていくのを見たそうです。「あんなに恐ろしいことはなかった」と聞きました。
(長峰墓地にある慰霊碑。角塔婆は吉田信解市長が
書いている=埼玉県本庄市で)
事件の首謀者たちは逮捕され裁判にかけられ、しばらくして出てきて「みんなおかしくなっちゃった」とも話していました。ある草相撲力士は気がふれたかして、うちの寺に押し込み強盗のように入ってきて、祖母の父親が取り押さえるという事件があったそうです。
これは私の類推ですが、群集心理の中で「こいつらは悪いことやった連中、だからやっちゃえ」という、肝試しみたいなことをしてしまったけれど、あとから良心の呵責(かしゃく)にさいなまれ、正気ではいられなくなったのではないでしょうか。
当時、関東大震災の四十九日法要を町内の安養院で行っているのですが、表向きは震災犠牲者の追悼法要ですが、郡長が読んだあいさつの内容は犠牲になった朝鮮人の供養だったそうです。供養や追悼の気持ちは事件の直後からずっとあったのだと思います。
◆「悪い奴ら」が来た…膨らむうわさ、恐怖に駆られて
―群集心理の恐ろしさを感じます。
その当時を考えると、普通の住民が突然凶暴化して罪のない人間を襲ったのではなく、殺した側は「悪い奴らが来た」という感覚だったわけです。
それがまさに、流言の怖さ。護送された朝鮮の人たちがどんどん東京方面から来るわけで、多くの人は不安に感じたことでしょう。
裁判記録には、東京で自分の妹が朝鮮人にやられたのではないかと思ってやりました、という証言も残っています。祖母からは「朝鮮人が爆弾を持って襲ってくると聞いた」という話も聞きました。警察署長の奥さんが朝鮮人だ、だから署長が朝鮮人をかばっているんだ、といううわさも流れたそうです。
母方の祖父は埼玉県熊谷市出身で、在郷軍人だった父親が、「朝鮮人が襲ってくる」というので自警団を組織して、怪しい朝鮮人がいないか見回ったそうです。
帰ってきて、ふーっとため息をついて「ああ、俺の軍刀を血で染めなくて済んだ」と。殺したくはないけれど、怪しい人間がいるとしたら、みんなの手前、やらなきゃいけない。そういう空気がたぶんあったのではないでしょうか。まさに群集心理の恐ろしさです。
当時は韓国併合して13年目です。母方の祖父の話では、日本が領土にしたから「抵抗されるんじゃないか」という気持ち、恐怖感があったようです。言葉が通じないし、民族が違うし、情報を遮断された中で、何があるか分からない、となってしまう。
◆まず何が起きたのかをきちんと調べることから
―同じ過ちを繰り返さないために何が必要でしょうか。
まずは、何が起きたのかをきちんと調べること。そして殺された人たちの無念に思いをよせ、追悼することが大事だと思います。追悼と同時に、流言飛語やデマが流れる混乱状態の中では人間はこういうことをやってしまうということを、みんなが共有しておくことも必要だと思います。
非常事態になる前には、まずは相互理解でしょうね。言うは易し行うは難し、ですが。
例えば、生活のルールを守らない人は日本人にも外国の人にもいますが、それが外国人だと「やっぱり外国人は」と偏見が生まれ、広まってしまう。そういう問題はあると思います。
(インタビューに応じる吉田信解市長=埼玉県本庄市で)
私自身は地元のイベントなどで外国の人と交流する機会には、なかなか役所がアクセスできない人がいるので、彼らの困りごとがあったら皆さんが中継になって行政に伝えて欲しい、とお願いしています。見えない存在になってしまうことが一番良くないので。
可視化、見える化していく。外国の人にも「ルールがあるから守ってくださいね」と求めていく。お互いに理解しようとしていくことがまずは大事じゃないかなと思います。
◆身をていして守った人たちもいた
関東大震災当時、本庄町内のお寺には逃げてきた朝鮮人をかくまって、押し寄せてきた自警団に「やるんだったら俺をやってからにしろ」と守った住職がいたそうです。「俺を殺したら7代たたるぞ」って。そうやって身をていしてかばった人たちもいるのですね。
深谷方面からきたトラックを「危ないから」と逃がした町の人たちの話もあります。やっぱり非常時に大事なのは正常な気持ちと勇気でしょう。朝鮮人を守ったという話はあちこちにあって、「そうしなければいけない話」として、もっと取り上げられるべきだと思いますね。
私の祖父も「俺だったら絶対に、俺を殺してから行けって言った」とよく話していました。子ども心に「じいちゃん何をかっこつけているんだよ」なんて思っていましたが、そういう話を聞かされると、そうだよな、そうしなきゃいけないよなって思いますよね。いざという時の冷静さと勇気はとても大事ではないでしょうか。
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