エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

<私>が新鮮にされるとき:<私>と、遊び相手の<私>との出会い 

2013-04-22 05:13:43 | エリクソンの発達臨床心理

 前回は「アイデンティティの混乱」のお話でした。アイデンティティを形成するって、やりがいがありますね。支払い猶予(モラトリアム)でいろいろ実験していると、悪いレッテルを張られるかもしれませんし。また、国家が、若者をそそのかして、国家の信奉する価値に献身させようとするかもしれませんしね。第一、若者がその社会に適応するためには、世の中がよくなる約束を大人がする必要があります。しかし、今の日本に、そんな約束をできる大人が果たしているのでしょうか? さらには、アイデンティティの危機を打開できるほどの、人生哲学の刷新を提示する大人がどこにいるのでしょうか?
 さて、今回はToys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeの、青年期の部分の第4段落です。それでは翻訳します。





 結局、日常生活を礼拝にすることがいかにダイナミックな働きをするかを証明するのに、組織に入った若者が、前もって準備された就任式や堅信礼に自ら進んで同調するのと、日常生活を礼拝に出来ない若者が,偽物の礼拝を,間に合わせで作りがちであるのを比べて、際立った違いがあること以上に役立つものはありません。こういった,日々の礼拝は、比較的まとまりの良い、世間に対するビジョンだけが約束できる見通し、すなわち、「<私>が生きている実感」が、同等に、自分の「<私>が生きている実感」を新しくしたいと願っている、ほかの人の<私>と連帯するときに、新しくなる」という見通し、を保障しようとします。また、こういった毎日の礼拝 は、悪者とは関係がないと一緒に言うことによって、あるいは、実際に思慮深く自己犠牲をすることによって、幼い良心が物事に上手に対処することを保障しようとしますし、心の中で大事にしている理想に一緒に賭けて生きることや、習った正式なやり方をよいものと認めることも保障しようとします。






 これで青年期の部分の第4段落の翻訳は終了です。ここは、短いけれども、難しいところです。中身が分かりにくいからです。少なくとも、日頃から内省的な生活、すなわち、自分(<私>)との対話をしていない人には、ピンとこないところではないですか? 
 <私>が新鮮になるのは、<私>を新鮮にしたいと願っている、他の人の<私>と出会い、心が通じるときである、と言うところがとても大事ですね。そのような出会い、それこそが,日常生活を礼拝にすることに,他なりませんが、そのような出会いを日々したいものですね。
 今日はここまで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする